見出し画像

ティモレオン

『ティモレオン』 ダン・ローズ

決して派手ではないがそこでしか味わえない料理を出してくるので、新作メニューがいつも気になる店。ダン・ローズは、例えるならばそんな感じの作家だ。

ページをめくるごとに現れる強烈なイメージ、美しい情景、忘れ難い文章。「ティモレオン」を読むことは、時間を忘れる濃厚な体験である。

雑種犬ティモレオンと暮らす孤独なゲイの老人のもとに謎のボスニア人青年が転がり込んでくるところから物語は始まる。

この老人が、しょぼいのだ。

美青年に目がないが、なにかと性格に難のあるせいで、長続きしない。別れた恋人たちにはだらだらと恨みを持ち続け、彼らにあてこするような自殺の仕方を何パターンも妄想したり。

彼は突然現れた美しいボスニア人青年の関心を買おうと、成功していた過去に有名人と一緒に撮った写真を見せたりと必死にアピールするが、自分の利得にしか興味を持たない青年の反応はひたすら冷酷。老人の側に寄り添ってくれるのはティモレオンだけだ。

老人のティモレオンへの愛情愛着は、純粋で手放しのものである。腹黒いボスニア人が犬を邪険に扱うのにも、断固抗議はできないまでも心を痛めている。

それなのにあろうことか。

それほど強い愛情を抱いているにも関わらず、ある日若者にそそのかされ、老人はティモレオンをローマの街に捨ててしまう。その顛末がまた呆れたもので、犬を捨てろと言う若者に最初は抵抗していたくせに、その問題から逃れるように酒を飲み泥酔し、そして酔っ払ったまま若者に車に乗せられ、言われるがままに犬を捨てるのだ。

老人と青年がローマから去って第一章は終わり、第二章は、ローマに置き去りにされたティモレオンが、家へと帰る道すがら出会う人間たちの、人生と心を描く物語が続く。

第一章での主軸は、難あり老人と酷薄なボスニア人青年だった。だが、第二章では彼らはほぼ脇役となる。

恋人への夢を抱いてローマにやってきたウェールズ娘や、波乱の運命に翻弄される中国人の少女など、ほんの束の間ティモレアンと接点を持つ人々が、第二章、そしてこの本の、主役である。

彼ら一人一人のエピソードを巡る旅が、この本の白眉だ。作者の筆に導かれて、読者はいくつもの人生のいくつもの鮮烈なドラマに立ち会うことになる。

作者の、淡々と丁寧に心理をあぶり出す筆致には舌を巻く。

そのストーリーテリングと、絶妙かつ極上のマジックリアリズムの隠し味が、道端の小石のような彼らの小さな人生のドラマを忘れがたい宝石に磨き上げている。

老人と若者が旅先で立ち寄るガソリンスタンドの店員の出自や、若者の昔の友人の恋物語など、ほんの1ページ分ほどの挿話までもが、淡いマジックリアリズムの宝石のよう。コテコテが苦手な人にも読みやすいのでおすすめだ。

ちらちらと現れるティモレオンを追いながら数々の人生の断片を堪能した先に読者を待っているのは、しかし、容赦のない残忍な結末である。

愚かな者はどこまでも愚かであり、邪悪な者はどこまでも邪悪である。この物語世界は、その残酷なしかしまた真であるかもしれない人間の性を臆せずあぶり出して幕を閉じる。

この短い一冊の本は、小説のはざまにこぼれ落ちた脇役達の小さな宝石のような輝きのギフトボックスであり、人生はお伽話ではないという痛烈な教科書だ。