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菊地成孔・大谷能生『M/D マイルス・デューイ・デイヴィスⅢ世研究』用プレイリスト(Apple Music)と、読書感想文

いわゆる(?)菊地&大谷本のなかでも大著の部類にあたる『M/D』(2008、エスクアイア マガジン ジャパン)に登場する大量の楽曲を一気にきけるプレイリストを作った。
もう15年前の本だが、数あるマイルス本のなかでも名著だと思う。本を読みながら聴くもよし、ジャズ史入門として単独で聴くもよし、好きな形でお楽しみいただければ幸い。

本書はマイルス・デイヴィスの生涯に関して菊地・大谷が東京大学にておこなった講義をもとにしている。
よく知られるように、マイルスは抑圧的な現実に迎合した音楽家だった。スイング~ファンク~ヒップホップと、時代ごとに父権的だったビートを下敷きにして即興音楽を作っていたり、マイケル・ジャクソンやジミヘンといったポップスターの真似をしたり、「フリージャズ」というパンドラの箱の存在に気づいていながらふたを開けることはしなかったりした。いわばマイルスはエディプスの帝国の虜囚だった。
それに対し、モダンジャズの歴史上ではライバルとももくされることが多いジョン・コルトレーンは天才インプロバイザー&コンポーザーだったにも関わらず、あっさりフリー方面に向かってポピュラリティの追及を放棄し、晩年は「宇宙」とか「私は神になりたい」みたいな発言をしはじめた。コルトレーンは、循環する貨幣に握られた社会の欲望の型にはまることはなかったけれど、結果的には革命的な欲望が現代の社会にぶつかって敗北した姿そのもののように思える。

菊地・大谷の歴史観が興味深いのは、この一般的(?)で安直なマイルスの位置づけを部分的に転覆している点である。
『M/D』に先立つジャズ史講義本『東京大学のアルバート・アイラー』でも述べられていた通り、菊地・大谷は平均律~バークリー・メソッド~MIDIへと連なる機能和声による作曲/演奏法を一貫して「モダニズム」の運動ととらえる。

マイルス・デイヴィスはこの運動を軸に、モード奏法・作曲法の発明によってバークリーメソッドの外へとジャズ、ひいては北米のブラックミュージック全体を解き放ち、20世紀初頭にすでに出現していながら機能和声理論による分析を拒んでいたブルースの初期衝動を蘇らせた存在として説明される。
菊地・大谷によればブルースの登場時点で、ブラックミュージックは長調と短調を共在させるという西洋音楽の伝統にはなかった方法で複数性やアンビヴァレンスの表現手段を獲得していた。この、アフロアメリカンが本来的に持っていた脱構築的なブルース衝動―――メランコリーを統合失調に消化するという技法―――がモダニズム運動の慣性に引きずられていったん抑圧されていたところを、もう一度マイルスが引っ張り出したというのが菊地・大谷史観なのだ。

かように、菊池・大谷はマイルスはモダニズムの極北をいくモーゼだったと位置付ける。モードジャズもバークリーメソッドでは分析できないということなので、これはこれで納得できる。コルトレーンは即興法を硬派に追求し続けた結果、ビバップ~モードを通ってスペースまで行った人なので、そもそもの系統が違うらしい。
余談だが以前何かのインタビューでリチャード・ボナも、「マイルスバンドの演奏を、音量を絞ってトランペットの音だけ取り出して聴くと、彼はブルースそのものを演奏していたということがわかる」と言っていた。

この「単純化された機能和声の理論による作曲」という流れとそこから逸れていく流派を固定的に対置して、端的に言ってマルクス的なものからの逃走の文脈においてマイルス・デイヴィスの生涯やジャズの歴史を説明しているところにニューアカデミズムを感じ取るのはたやすい。
なお菊地は『東大アイラー』文庫版のあとがきでは「アンチ・ニューアカデミズム」を標榜していた。もちろん菊地も属すると思われるフロイト派的には、強い否認は防御機制の症候である。

菊池・大谷が語る楽理の発展史的には、平均律~バークリーの分析を拒むような形式の誕生こそが近代合理主義の超克だった。そして、MIDIが登場して音楽がさらに規格化され、それへの抵抗としてジャズミュージシャンたちはプレイヤーとしての意匠をさらに強化し、正統派モダン・ジャズ回帰、フュージョン/クロスオーバー、フリーインプロに走って行った。それがジャズの「ハイパーモダニズム」だとされている。確かにリビドー経済の欲望の型から脱したという意味では成功した「逃走/闘争」であると思うし、結論としてはまとまっている。
しかしわたしは、ヒップホップに代表されるサンプリング技術の登場以降、ポピュラー音楽はまた別の側面においてモダニズムを経験していると思う。菊地も支持する生成AIの隆盛も「ポストMIDI」的な音楽の規格化の新しい様相を反映する。

これらについては長くなるから、吉田雅史の『アンビバレント・ヒップホップ』を読んでから書くことにする(発売されるなら・・・)。

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