noteを続けるという行為は、遠い未来を近くにたぐり寄せる手段なのではないか?
最近タイトルのようなことを痛感しています。
私がnoteをはじめたのは2023年8月。
このとき他にブログ運営をしていたので、noteはサブという位置づけでした。ブログに書くほどでもないことをノートに書いていました。今振り返っても恥ずかしいこんな記事を書いていました。
この記事は消してもいいのですが、何も考えずに適当に書いていた過去の私への戒めとして今も残しています。2023年8月はnoteに書いても読まれなかったので、飽きてやめてしまいました。
変化があったのが2024年3月。このとき私は猛烈に悩んでいました。会社を続けるべきか会社を辞めて次の1歩を踏み出すべきか。
この記事は投資の含み益が生活費を超えて、サラリーマンとして働くモチベーションが下がっていることを書きました。
この時点では私の考えはふわふわしていました。仕事にやる気が起きないのはなんでだろう?と頭の中でモヤモヤしていた感じですね。
それから今日にいたるまでモヤモヤを記事にしてきました。
2024年3月からの投稿数は197。内つぶやきは17投稿ぐらいあったので、実際は180記事程度です。私の記事は2000字を目安に書いていますので2000字×180記事=36万字書いたことになります。
文庫本1冊の文字数は10万字~12万字なので、文庫本3冊分!
noteに書くという行為は、遠い未来を近くにたぐり寄せる手段なのではないか?
noteに書くという行為は、頭の中のモヤモヤを一度頭の外に出す行為です。私のイメージだと家の柱を1本ずつ建てていく感じです。
記事として外に出さなければ柱を立てるスピードはゆったりしたものになります。頭の中だけで考えていても結局まとまらないことが多いですからね。同じことがずっと頭の中でぐるぐるしている感じです。
それを記事にしてしまうとその時点で正しいかどうかは分かりませんが、一旦柱として仮固定されます。noteを書き続けるという行為は思考の仮固定を続けるという行為に他なりません。
柱をグラついているかもしれないけど、斜めになっているかもしれないけど、1本ずつ不器用に建てる。不器用に何本も何本も建て続けると完ぺきではないにしてもそれらしいものにはなります。
その柱たちが自分の思考の土台になります。私の場合だったら仕事を続けた方がいいのか、辞めた方がいいのかというモヤモヤを仮固定していきます。
仮固定されるととりあえずは次のモヤモヤに1歩進むことが出来ます。でも最初の仮固定が何か違うこともあって、その場合はもう一度違うと感じるところに戻って仮固定しなおす。
私は何も考えずに日々のモヤモヤを記事にしてきたのですが、これって見方を変えれば目標達成のための手段としてのnoteという考え方もできそうです。
目標達成のための手段としてのnote
未来に達成したい目標があるとします。それを少しずつ記事として、文字として頭の外に出す。それは一見ノロノロした亀さんのペースなのかもしれないのですが、書くという行為は自分との対話に他なりません。
正しいのか間違っているかは分からないながらも、一旦記事として仮固定し続ける。それを続けることがぼやけた未来や目標をたぐり寄せる良い手段になるのではないか?
そして目標達成の手段としての位置付けはnoteがSNSという特性上、スキ数やビュー数を追い求めがちですが、その呪縛から逃れる手段のひとつになるのではないか?
こんなことを思うようになったのはフォローさせていただいている、お医者さんの高草木さんを見ているからです。
彼はnoteを始めて数か月で本を2冊出版し、次は3冊目に取り掛かるとのこと!
有言実行の方で「やりたい!」と言って「やっぱやめよう!」となる意志薄弱の私は尊敬しているのです。
誰のために書くのか?
書きながら私のnoteって誰のために書いているんだろう?と考えてしまいました。私は会社で起きたことやお金に対する考え方など誰かのために書いているようでいて、結局は自分のためなんだろうと思います。
「誰かのため」という動機は高尚ではありますが、私の場合はそれでは続きませんでした。
私が書いた記事の下書きを妻が読んでくれて、それが私と妻のコミュニケーションになる。同僚が読んでくれて楽しんでくれる。部下が読んでくれて私の考えが分かり安心して働ける。
私の人間関係の一番近い妻から始まり、次に近い会社の同僚に一部届き、そのほんの一部がnoteでどこかの誰かに届く。
やはり振り返ってみると自分のために書くのが一番いいのかなと思います。
迷いがなくなってきた
先日妻からこんなことを言われました。
それは私も感じていました。仕事やお金に対する考え方を発信するにあたり、以前に比べ迷うことがなくなってきたように感じます。
これはいいようでいて少し怖い部分もあります。今でも何が正しいのかどうかは分かりません。でも自分の中で「これは正しい気がする」という要素が蓄積されてきたようにも感じます。
これは書くことのメリットでもありデメリットでもあるのかもしれません。とりあえず今は迷いがなくなってきた状態という事実をあるがままに受け入れ書き続けようかと思います。
さいごに
noteってどんな使い方でもできるなーと思い考えを書いてみました!
私の場合はnoteを続けた結果、会社辞めることになったのでいいのか悪いのか(笑)
でも続けたことで得られたものはたくさんあったし、これからも楽しみながら続けたいなと思いました。
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おしまい!
今日の猫さん!
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