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一歩でも前に進めたことをよしとする

子どもが勉強をしたがりません。学校へ行く行かないは自由ですが、勉強をやめてしまうのこととは違うと思い、楽しく学べる方法はないかと模索しています。しかしあまり興味を示してくれず「勉強だ!」と察知すると「それはいいや。」とあっという間にひいていってしまいます。

学校へ行くのをやめたころから「学校へ行かないのなら、その時間に自分のやりたいことや好きなことを思いっきりやってごらん。」と話してきました。しかし時間の管理をするのは難しく、気ままに思いついたことをするだけで、結局退屈に戻ってしまう。かといって親が声をかけるととても嫌がる。でもほかっておいても自分ではやらない。日々に達成感が得られず、なにかをしたり外に出るのもおっくうになってくる。親は一体どうしたものかと頭を悩ませる。負のスパイラルです。

学校へ行かなくてもスケジュール通りに様々なことを達成できる日々は理想です。でも今は多くを求めず、出来たことの数を数えていく段階なのかもしれません。一つでもいい、一段でもいい、次に進めているなら子どもも親も今はそれでよしとしませんか。そうして人それぞれのタイミングが来たとき、時間も忘れてなにかに没頭する、それが自然な命の使い方なのかもしれません。

いつどんな時でも味方であること。どんな自分でも愛してくれること。その信頼が次へ進むためのステップになってくれると信じて。ついつい口にしてしまう「〇〇やった?」をポイっと宇宙に手放していきましょう。

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