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noteコンテスト「なぜ、私は書くのか」で優秀賞をいただきました!

こんにちは!みかんです。

note界隈をにぎわせていたコンテスト「なぜ、私は書くのか」でなんと・・・!




優秀賞をいただきました!

noteを本格的にやってみようと思ったのが今年の3月末。

偶然藤原さんのコンテストのことを知り、楽しそう!と何も考えずに応募することを決めました。

記事を書き始めるとこれが難しい。

「なぜ、私は書くのか」

このテーマに対しての答えって無限にあるので、私の経験の一部を切り取って何とか記事にまとめた記憶があります。

どの経験を切り取るかなのですが、「やっぱりこれしかないよなー」と思ったのは、人生で一番絶望した経験。

休職したときのことですね。

こう見えても私、当時は熱血サラリーマンだったのです。

最短で出世して、部門の中の一番いい出世コースを歩んでおりました(えっへん!)

※ちなみに今も最短の出世コースを歩んでおります!(ドヤ顔)でも仕事辞めるのでこんなものに何も意味はありません!🤣

当時は仕事とプライベートの時間なんて分けることなく、どうしたら出世できるのかばかり考えておりました。

そんな私が休職すると、まあ絶望ですよね。

自分へのふがいなさで本気で「死にたい」って思いました。

お風呂でシャワーを浴びながら何度も「死にたい!」って叫んだ記憶があります。

今振り返ると相当ヤバいヤツ(笑)

この絶望した経験にくっつける要素は悩みましたが、今熱中しているnoteのことです。

当時はSNS初心者だったので、noteの世界が相当霞んで見えていました。

・どうしたら人から読まれるようになるのか。

・どうしたらフォロワーさん増えるのか。

・noteの見えないルールとはいったい何なのか。

全体像が見えづらかったわけですね。

そんな状態でこの記事を書きました。

不思議なもので、今は絶対にこの記事を書けない。

当時の私が手探りでnoteを掴もうとしていたからこそ、この記事が書けたわけです。

そう考えると今日の自分が書く記事って、今日の自分だからこそ書ける記事なわけですね。

過去の自分には書けないし、未来の自分も書けない。

この記事を今読み返すと結構恥ずかしいのです(笑)

記事全体の構成の甘さや言葉の拙さなど、「よくこれでコンテスト応募したな!」って過去の自分の頭を叩きたくなります。

一方で、今この記事を読むと過去の自分と向き合う時間になります。

「分からないながらも、コンテストにまで応募してあんたがんばったよ!」

と過去の自分を褒めてあげたくなるんですね。

そして、過去の自分との対話が生まれます。

「あんたは当時こんな風に考えていたのか。」

「今の私だったらこう考えるけどな。」

「でも当時はこんな経験をしていたからそう考えるしかなかったんだよな。」

「過去も今も自分頑張って生きているよな。」

私の場合、過去の自分との対話はいつも自分への肯定で終わってしまいます(笑)

noteを書くことというのは、未来の自分への手紙なのかもしれませんね。

今の自分が思っていることを、未来の自分に届ける。

未来の自分は過去の自分が書いた記事を読みながら「うわ!幼い!」って思いながらも、ちょっぴり過去の自分が可愛くなる。

(そう言えばこんなことlionさんが書いていた気がする!)


今の私の「なぜ、私は書くのか」

ここまで書いたように、今の私が未来の私への手紙として書くこと。

それが私の書く理由でもあります。

でも、最近それだけじゃないよなーと思うわけです。

今の私が書いているnoteは下書き段階で最初に妻に届きます。

私「率直な感想お願いします!」

妻「ここの言い回しがなんかイヤ。気持ち悪い。調子に乗ってる。」

ここで私と妻の対話が生まれるわけです。

私の考えは毎日コロコロ変わるので、妻にとっては実体のつかめない私をキャッチする機会になっているように感じます。

このnoteを経由した妻との対話は、夫婦円満の秘訣のようになっています。

私が毎日考えていることを会話ではなく、文字としてまとまった状態で妻に届けられるので。

・なぜ私がそんなにお金が好きなのか。

・なぜ私が会社を辞めたいと思っているのか。

・なぜ私が歪んだ性格なのか。

これまでも毎日妻とは話していたのですが、これまで以上に私のことを理解してくれるようになった気がします。


大切な部下や後輩との対話

私の記事は私の大切な会社の後輩も読んでくれています。

というか、後輩に向けて書く記事が多いです。

私は普段ふざけたことばかり書いていますが、人生を真正面から見つめるタイプです。

人生を真正面から見つめて、私の中での最適解をいつも探しています。

最適解とは「いかに人生を楽しく幸せに過ごせるか」ということなのだと思います。

周りを見渡すとみんな精いっぱい頑張って生きています。

私だってそうです。

でも、がんばりすぎたらいつかガタがくるわけですね。

それは自分の体調かもしれないですし、家族とうまくいかないことかもしれません。

みんな頑張りすぎるわけですね。

でも、私は思うわけです。

もうみんな十分頑張ってるんじゃない?


だからと言って同僚に対して甘い言葉はあまりかけません。

そりゃ目の前で絶望していたら甘い言葉をかけます。

でも、見ていて大丈夫な子には私に見えている現実を話します。

その一つはお金ですよね。

私はカネの亡者と言われようが、品がないと言われようが、言い続けます。

「お金が人生の土台になる。」

それは自分がお金で苦労してきたからですね。

お金がないと気持ちに余裕がなくなります。

妻ともお金のことでケンカするし、次の引き落としのことで頭がいっぱいになるし。

頭の中がお金で支配されるわけですね。

その状態は少しだけお金が増えた今でもありますよ。

でも、当時に比べたらなんと生きるのが楽になったことか。

私の周りの大切な人たちには、私のような苦労はしてほしくない。

自由に生きてほしいし、自分がやりたいことはすぐにでもやってほしいし、結婚したいなら幸せな家庭を築いてほしい。

もちろん、独身で人生を楽しむ!なんて選択肢があってもいい。

その時の自分が思った選択を思うままにするために必要なものって、現代はお金なわけです。

お金が全てじゃない!なんて当たり前です。

お金が全てじゃないけど、お金がなかったら何かをやる勇気がわかないわけです。

私を含め人間は弱いです。

何かリスクある行動をするときは保険が必要です。

その保険として一番役に立つのがお金というわけです。

もちろん家族も友人も同僚も大切。

それとは別次元で同等に大切になるのがお金です。

これからもお金にまつわるエピソードを記事として書くことで、同僚たちが少しでもいい人生を歩んでほしいと願っています。


これからのnoteについて

最近こんな記事を読みました。

私は漠然とモノを書くことがお金に変わったらいいのかなーと思っておりましたが、作家という職業は当たり前のことながら超狭き門。

もちろんWEBライターという仕事もありますが、単価がそれほど高いわけではない。

Mitakaさんからの「それでも作家を目指しますか?」という問い。

答えは「わからん!(笑)」

でも、文字を書くことが好きで得意な人たちと同じ土俵で戦うのは避けたいなと思っています。

なぜなら、私は得意な人が多くいる土俵でナンバーワンを目指すのではなく、競争相手がほとんどいない自分の得意な土俵でオンリーワンを目指す戦略を取りたいから。

まだオンリーワンの土俵は見えていないから、これからも記事を書きながら模索ですね!


さいごに

今回のコンテストで受賞コメントを求められたのでこんなことを書きました!

藤原さんからの受賞通知メールを見たのが9月8日13時30分。

私はリビングの机の上でnoteの記事を書き、妻は私の正面に座りPCに向かって仕事をしていました。

私「なんか賞とれたみたい!!」

妻「ええ!うそ!?」

私「すごいでしょ!」

妻「仕事辞めて無職になる人間はそれぐらい最低限でしょ。」

そんな暴言を吐きながらも妻の顔は少し嬉しそうでした。私がニヤニヤしながら藤原さんのメールを見ていると、妻が「記念!」と私のニヤニヤ顔を撮影しました。

この記事は妻に辛い思いをさせた私の贖罪記事です。本当はこんなこと書きたくなかったけど記事を通して妻に私の気持ちを伝えたかった。休職してアル中になってスマホゲームに100万円課金した私も少しはましになったよ!と伝えたかった。この記事が賞をいただけたことはちょっとだけ妻への罪滅ぼしになったかな!(えっへん)と思っております。また賞をいただけたのは毎日私の記事にスキやコメントをいただけるフォロワーさんあってのことです。みなさんのおかげでnote生活最高に楽しいです!

最後になりましたが、藤原華さん素敵なコンテストを開催してくださりありがとうございました!まだまだ力不足ですが私は本気で打倒藤原さんを目指しておりますので!

いつも記事を読んでくださる皆様、本当にありがとうございます!

コメントでも書きましたが皆様のおかげでnote生活を楽しく続けられております!

これからもよろしくお願いします!

今日の猫さん


ガラスの下から見えるみかん🍊

おしまい!



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