ナラティブ・アプローチとは何ぞや❓❓という話
▼こんばんわ。本日は、「ナラティブ・アプローチ」というソーシャルワーク・モデル、なんだそれは❓❓❓というお話を。できるだけ嚙みくだいてご説明しますので、コーヒー、紅茶、タバコなどを片手に、しばしお付き合いくださいませ🍀🍀🍀 なお、中身は社会福祉士国家試験対策にはほとんど役に立ちません🙏 むしろ、混乱なさいませんようにご注意を⚠️
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▼10年ほど前、実践経験がおありの学生さんがレポートに「私は職場で『ナラティブ・アプローチ』を実践している」と書いてこられたことがあります。採点していた私は、思わず「うそぉ~~❓」と声に出してしまいました😮😮
▼無理もありません。ナラティブ・アプローチは、意味するところを理解するのがホント難しいんです(私も分かったふりをしています💦💦)…
▼とりあえず、そのレポートの本題は別のことがらでしたので、「職場で実践している」と書かれた部分はなかったことにして優評価(^∇^*)
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▼さて、テキストをパラパラとめくりますと、ナラティブ・アプローチが6ページにわたって解説されています。はて、ナラティブ・アプローチとは何ぞや❓❓❓
▼ものすご~く、平た~く申し上げますと、ナラティブ・アプローチというのは、利用者さんの物語を再構成しなさいというものです。ナラティブ(narrative)とは、物語という意味です(「ナレーション」という言葉ありますよね。あれと同じです)。
▼ただ、物語を再構成するというのは、私たちが教わってきた「利用者さんの生活史を理解しなさい」とは意味がまったく異なります❗ そして、この「物語」を含めて、ナラティブ・アプローチは、その基盤にある考え方を知っていないと理解できません・・・
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▼ナラティブ・アプローチは、フランス現代思想というジャンルの、「ポストモダニズム」という主義主張を学問のベースに置いている一派が提唱したものです。
▼フランス現代思想とは何かについては、思想家の方々に丸投げ😓😓 ここでは、「ポストモダニズム」とは何かに触れておきます。
▼ポストモダニズムとは、「モダンの後の思想」という意味でして、現代社会(モダン)という常識を疑って、その常識に代わる新しい「ものの見方」をしましょうという思想のことです(1980~90年代に一過的に流行しました)。
▼ポストモダニズムは、学問という常識に疑問の目を向けます。
▼社会福祉学という学問の中身は、心理学、経済学、政治学、社会学、医学などを寄せ集めたものです(これは別に悪いことではありません👍)。これらの学問は、合理主義的な科学といいまして、人の行動や社会の現象を、一定の基準にしたがってわかりやすく分類・整理しようとします。
▼たとえば、私は「『認知症の理解』という科目は、①認知症の種類、②認知症状、③認知症検査、④認知症ケア、⑤認知症に関する法制度、に分けて受験勉強するとわかりやすいですよ」などとお教えしています。これって、合理主義的な科学に基づいた教え方です。知識を、できるだけきれいさっぱり、単純明快に整理整頓するのが合理主義的な科学です。
▼ポストモダニズムは、この合理主義的な科学を否定します。そして、合理主義的な科学みたいに、凝り固まった基準にしたがって物事を分類・整理するのではなくて、見たこと、感じたことに対して独自の意味づけをしていこうとするのです。
▼合理主義的な科学を否定するということは、基準がないということです。したがいまして、平均もなければ、客観性、一般性、エビデンスもありません。だからこそ、「独自の」意味づけになるわけです。
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▼ナラティブ・アプローチに戻りましょう。
▼ナラティブ・アプローチを提唱するポストモダニズム一派が言いたいのは・・・ ソーシャルワークの理論や実践は、専門家が勝手に考えた合理主義的な枠組みであって、利用者さんの生活課題を専門家の枠組みにあてはめて「問題」という物語に仕立てている。そうではなくて、利用者さんの文脈から物語を作り直すべきだ(再構成すべきだ) ・・・ということです。
▼私は、これは「サービス優先アプローチ」に対する批判なんだから、「ニーズ優先アプローチ」や「個別化」でいいじゃん❓ と思うのですが、この一派は、いやそうじゃない、ソーシャルワークという枠組みそのものが間違っているのだと言うのです😥🤔
▼このページ冒頭で、実践者の方が「ナラティブ・アプローチをしている」のはおかしいと申し上げたのは、その実践者さんが現状の制度や価値・知識・技術の枠の中で利用者さんを支援しておられる以上、ナラティブ・アプローチを適用することはありえないからです。
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▼さて、ナラティブ・アプローチには、深刻な欠陥がいくつかあります。
●頭の中でしか考えられていない(批評である)
●メゾ、マクロレベルへの介入を想定していない
●多職種・他機関連携や協働ができない
●利用者がそれを望んでいない可能性が高い
●ポストモダニズムという立場こそが権力性をはらんでいる
▼ナラティブ・アプローチは、基本的には「批評」ですので、それをチカラ技で実践理論に組み込もうとしたところに無理がありそうです。
▼また、ナラティブ・アプローチは、あたかも利用者主体性や当事者性が強いように見えがちです。この見方は疑ったほうがよいと考えます。たしかに、ポストモダニズム一派は、専門職を否定している手前、専門職的な立場からは物事を見ません。かといって、批評家が当事者の立場に立っているかといえばそうではありません。少し手厳しく申し上げますと、どこか遠くの特権的な場所から物事を批評しているというイメージでしょうか。
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▼ナラティブ・アプローチには、いいところもあるんです。この点は、きちんとフォローさせていただきます。
●専門職が権力性を帯びているという批判は正しい(ただし、これは対人援助職だけでなく、あらゆる「プロ」にあてはまる)
●合理主義的な方法論では思いつかないような「ものの見方」をすることによって、既存の方法論のブレイクスルーを試みていること
●利用者の個別性や個別化を徹底して重視していること
●ソーシャルワーク方法論の多様性に貢献していること
などなど。ただ、常識というものを否定するがゆえに、現実的な支援方法との相性がよくないのです😭
▼あらためて、社会福祉士のテキストでナラティブ・アプローチの記述をみますと、ナラティブ・アプローチはなぜか専門職がやることになっているんです☔☔ 派手に専門職批判をしたのに、合理主義的なソーシャルワーク実践理論に組み入れられると、こうなっちゃうんだろうと思います(たぶん、ポストモダニズム一派もこの内容は不本意でしょう)。
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▼さいごに、もうひとつフォローしておきます。ポストモダニズム一派は、猛烈に頭がいいです。秀才を飛び越えて天才レベルです。
▼学位論文を提出するときは、「公聴会」という、その学部学科の教員全員の前で論文を発表しまして、質疑応答でお歴々から集中砲火を浴びて聴衆の前で大恥をかかされるという通過儀礼があるんです(これはアカハラではありません。学会発表と同じことをしてるだけ😊)。
▼私は、この一派のひとりが発表した公聴会を見たことがあります。この人が発表したあと、場内が「し~ん」となりまして、お歴々が質問しなかった(できなかった)のです。学生が教員をぐぅの音も出ないほどに圧倒するという、ものすごく恐ろしい光景を目撃してしまいました👁️👁️👁️