読書に価値や意義はあるのか——『華氏451度』から
はじめに——読書の価値は説明しづらい
カドです。
今日は「読書に価値や意義はあるのか」というテーマについてSF小説『華氏451度』を参照しながら書いていきたいと思います。
読書好きの人にとっても、読書が苦手という人にとっても、説明が難しい問題として「読書にはどんな意味があるのか」という問いがあると思うんですよ。
僕ね、本が大好きなんですけど「読書って何の意味があるの?」と聞かれたときは、返答に困るというか、信玄餅を食べたときよりもむせ返しちゃうんですよ。
今日は「本を読むことを禁じられた世界」を描いた小説『華氏451度』を参考にすることで「読書の価値」を頑張って言語化していこうというキャンペーンになっております!
この本は、僕の大好きな小説で、自分用と、人に貸し出す用とで、2冊も購入してしまった、バイブルに近しい本になっているんです。
『華氏451度』がどんな内容か気になる人はもちろん、「たしかに、読書の価値を言葉にはできないぞ!?」と気になった方も、ぜひ最後まで楽しんで聞いていただければと思います!
『華氏451度』の内容
本書の設定
まず、『華氏451度』は1953年にレイ・ブラッドベリによって書かれたSF小説となっております。
華氏というのは、温度のことなんです。
日本で定番の20℃とか30℃を表すあの「視力検査くんにニキビできてます」みたいなマーク(=℃)は、摂氏という表記なんです。
主にアメリカでは、Fにニキビをつけて(=℉)華氏という単位で温度を表します。
華氏451度(451℉)というのは、摂氏で言うところの232℃くらいになっていて、一般的に紙が燃えると言われている温度を指しているわけなんですね。
名前の通り、この小説では「本を燃やす」のが当然となった社会が設定されています。この世界の人々は、本を持っていると「火が昇る」と漢字を書く「昇火士」という人によって、本を燃やされて逮捕されてしまうんです。
普通、火事が起きたら消防士は火を消しますよね。
でも、華氏451度の世界では、昇火士によって火が付けられる世界となっているんです🔥
もう、本当はダラダラと、説明したいことはたくさんあるんですよ、
車のことを「カブト虫」という謎めいた乗り物があってムシキング依頼のトキメキだったとか、実際にテレビと話せるようになっている凄すぎる設定とか……
でも、今日は「読書の価値」だけを考察したいので、これ以降は考察に関わるストーリーだけをピックアップしていきたいと思います。
今日の登場人物は、メインの2人だけに限定しました。
うわあ、大胆ですね。
ストーリーの流れで、順々に紹介していきますね。
1人目:主人公モンターグ
まず1人目は、主人公モンターグです。彼は、本を燃やす昇火士の仕事をしている青年です。ちなみに結婚して、パートナーはいるのですが、子どもはいないです。「妻は30だが」という記述があるので、おそらく30代なんだと思います。イメージは、30代の消防士という感じですね。
小説の1文目が「本を燃やすのは愉しかった」から始まることで分かるように、主人公モンターグは昇火士の仕事になんの疑念も抱かず、むしろその仕事を楽しんで暮らしているんです。
普段、この世界では「本を持っている人がいる」という通報が入ると、昇火士よりも警察の方が先について、その家にいる人を連れていってくれるので、昇火士は誰もいなくなった家を捜索して、本を燃やす作業するだけらしいんですよ。
事件は起こった……!
ところが、ある日、通報があると歳の行った女性が1人、家の中にいたんですよ。珍しいことではあったようなのですが、昇火士のメンバーは作業を続行したんです。で、家の中になった本を山積みにして、火をつけるからその老女に家の外に出るように言ったんですが、その人が言うことを聞かないんですね。
そこで、隊長のベイティーという人が「10数えるから、数え終わるまでに出るように」と言い、手には火が出る装置である火炎放射器を構えるんですね。
……ポケモンでしか聞いたことないですね。「火炎放射」っていうワードは。
ごめんなさい。ここは、緊迫したシーンなんです。
1,2とベイティー隊長が数を数え始めるのですが、なかなか動かないその女性の様子を見て、モンターグが「行きましょう」と手を引くんですね。でも「ありがとう。でも、わたしはここにいます」と言って、その女性は動かないんですよ。
隊長が5,6,とカウントを続ける中、モンターグは困り果てるのですが、なんとその女性がマッチを出したんですね。要するに、火炎放射器で火を出される前に、自分から火をつけて、自分も本と一緒に死のうとするんです。
ケロシンという本を燃えやすくするための液体も大量にかかっている状況なので、その老女がマッチを落としたらもう、すべてが燃えるという状況を分かったうえで、女性がパッとマッチを落としたんです。
本と家と老女はバッと燃えたんですが、隊員たちはなんとか逃げることができるんです。
女性が本と共に自殺する現場を初めて目撃したモンターグは「なぜあの女性は、本と一緒に自殺したんだ」「本には何か特別な意味があるんじゃないか」って考えんでしまうようになるんですね。
次の日、モンターグは考え込みすぎて体調を崩しちゃうんですよ。
繊細ですね。
2人目:ベイティー隊長
ここで登場するのが、2人目の登場人物ベイティー隊長なんです。
さっきもカウントダウンのときにもサラッと登場していましたね。
彼は、モンターグが単なる体調不良ではなく「本と一緒に死ぬことを選ぶくらい、本は魅力的なものなんじゃないか」という疑問を持ってしまったがゆえの体調不良であることを見越して、「本には価値がない」「本を燃やすことこそが、素晴らしいんだぞ」と説得しに来たんですよ。
これがまた長いプレゼンなんですよ。
ページをめくりながら「え!コレまだ台詞なん!?」って何度もなるレベルのトークです。
内容をかいつまんで話すと、言っていることは大きく3つです。
プレゼン①:みんなが同じメディアを見ることについて
テレビなどのメディアが発達する
↓
みんなが見るから、誰も不快にならないように内容がわかりやすいものになる
誰しもに好かれるお笑い芸人とかってみんなにとって分かる、分かりやすいことをしますもんね。
プレゼン②:テクノロジーがスピードアップ
19世紀は、馬や犬、荷車、みんなスローモーション
↓
20世紀にはいると、なにもかもが速くなっていく
↓
ゆっくり物事を考える哲学的で愁いのひとときを失った
↓
だったらもう、ものを考える必要なんて無くていいんだ
↓
考えずに団体精神と面白さだけを追求しよう:メインはスポーツ。娯楽にはマンガ、写真、車、モーテル。
慌ただしくスピードアップした社会では、考える時間がないからこそ、じゃあいっそのこと考えるのはやめよう!発想になったとベイティー隊長は解説するんですね。
プレゼン③:本の内容のバラバラさについて
本はみんなバラバラのことを言う
↓
読んだ人もバラバラのことを考えてしまう
↓
それよりは、みんなが同じことを考えている方が幸せで良い
ベイティー隊長は「クラスでいじめたくなるのも、頭が良くて、よくわからないことを考えている人だろう?」という風に問いかけてくるんですよ。
以上、3つの内容が15ページにわたって長々書いてるんです。
結構言い回しも難しいので、伝言が書いてる巻物を何度も先頭に戻すテンションで何回も読み返しましたね。
このあとの展開 ※オチのネタバレあり
このあとの展開を、ネタバレもしながらざっくり話すと、
ベイティーの説得では満足いかなかったモンターグは、実は秘かにひったくっていた何冊かの本を家でコソコソと読み始めます。
本の万引きって、結構難しそうですけどね。万引きGメンもびっくりの手法で取ったんでしょうね。
でも結局、モンターグは本の読み方が分からず、元・大学教授のおじさんに相談しに行くと「きみにはかつて本を読めた時代にやっていた、本質的なことを考える時間が必要だな」と話されるんですね。
その説得があまりにも魅力的だったので、モンターグとその大学の先生とで協力して、この社会を変えようという約束をするんですよ。
ところが、驚くことにモンターグが本を持っていると通報が入ってしまい、昇火士として自分の家を自分で燃やさなくてはいけないという状況が生まれてしまうんです。
困ったモンターグですが、なんとベイティー隊長を燃やしてしまって、犯罪者になるんですね。追ってから逃れるために川に飛び込み、住んでいた都会を離れることで一命を取り留めます。
そして、モンターグを助けてくれた人たちと焚火を囲ってキャンプをしていると、自分が住んでいた町にビューンと飛行機が飛んで行って、爆弾が落とされます。町は一瞬にして無くなりました。
モンターグが嫌っていた、本を読まない人たちがいなくなることで、物語は終わるんですね。
もっと面白い細部の話もあります!例えば、自宅にあった詩を、自分の妻や妻の友人に読んで聞かせてみたり、本を読めないから丸ごと覚えるという集団に出会ったり……
「読書の価値」を考察
ですが、そういった細部を語らずに、今日の本題である「読書の価値や意義」について考察すると、
結論として
「いまこの世にある作業に満足している人は、読書の価値がない」
「現状に疑念がある人にとっては、読書の価値がある」
と、僕は考えるに至りました。
ベイティー隊長の台詞をふりかえると「みんな同じことをやったり、考えたりした方が幸せだから」という理由で読書が禁止になったと話していましたよね。この話をもう少し深掘って考えるなら「多くの人と同じ幸せを感じるしかない社会」な訳ですよね。
ところが、多くの人の考えの集合体でつくりあげられるこの社会には、当然「このままでいいのかな。自分は多くの人たちの中で、どうやって生きよう」と個人的に悩む場面だってくるはずなんですよ。『華氏451度』の世界では、そういった疑念を抱くことを一切許さない仕組みがたくさんあるというわけなんですね。
どうですか?
人生で悩むことっていっぱいありませんか?
悩んだときに「悩まないようにしよう!」という方法を採る人がいるのは知っているのですが、そもそも悩むことがないなんて人、僕はいないと思うんですよね。
悩む状況の中で「自分は何を大切にするのか」「自分はどうやって生きていくのか」
そういう自分なりの物語を描きだすために、読書は大変意義深いものだと、僕はこの『華氏451度』から思わされました。
みなさんは読書についてどう思うか。
ぜひ、共有していただければ嬉しいです。
今日は以上です!
どうもありがとうございました。
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