「生きなくていい理由」を探し続けていた。
「生きる意味」について
考えることってあると思う。
私もよく考えている。
今でも考えている。
初めてそれについて考えたのは
小学生の頃。
その頃の私は
既に精神的にかなり参っていた。
夜な夜な窓の外を眺めては
孤独を感じて涙していた。
そんなある夜
いつも通りに窓の外を眺めていたのだけど
ふと、夜のその先が気になった。
空を超えて
天の川銀河を超えて
もっともっと遠くの宇宙へ
思いを馳せた。
遠い遠い宇宙の果て
そこから振り返ってみると
天の川銀河は宇宙の片隅でしかなくて
太陽も地球もさらにその片隅でしかなくて。
その中に暮らす『私』なんか
砂漠の砂粒にも満たない
『小さな小さな存在だ』と感じた。
別のある夜には
こんなことを考えていた。
この世界は
ビッグバンから終わりまでを
何度も何度も繰り返している。
だからデジャヴがある。
どうせ始まりから終わりまで決まっているて
それを繰り返すしかなくて
この生になんの意味が?と。
また別の夜にはこんなことを考えた。
この宇宙には終わりが必ずやって来る。
それがいつになるかは知らないし
きっと自分が生きている間に
起こることではないけれど。
積み重ねた全てはやがて無くなり、無に帰す。
それならば何のために生きているの?
どうせ終わるのに。
どうせ全て無くなってしまうのに。
今ここであがいて、生きることって
何になるの?と。
それからずっと
「生きる意味」を探し続けていた。
きっとね
楽しい事とか、思い出とか、繋がりとか
たくさんたくさんあったら
そこまで考え込むことって
なかったんじゃないかって思うんだ。
だけどその当時の私には
生きることがしんどくて
でも死ぬこともできなくて。
だからどうにかして
「生きなくてもいい理由」を
探したかったのかもしれない。
そんな日々から十数年後
妹として愛してきた愛猫を天に送った後に
ふと
「虹の橋であの子に会ったら
その後の私の話をたくさんしてあげよう」
と思った。
あの子が見られなかった景色を
私がたくさんたくさん経験して
見せてあげよう、と。
それからまた十数年後の今
やっぱり「生きる意味」はよくわからない。
「意味なんてない」と思いもするけれど
それもなんだか少し違う気がする。
今はね、なんて言うのかな
「物語の収集者」というのが
一番しっくりくるかもしれない。
私自身の物語を持ち帰って
それをこの世界に還元すること。
そう。
今はね「生きなくていい理由」を
探さなくなったみたい。
「自分を生きる」と決めて
自分を生きられるようになってきたから。
たくさんの出会いに触れて
それを大切に思えるようになれたから。
だから、生きていきたいんだね。
「生きる理由」を探せるようになったんだね。
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