「メンタル」を強くする。
自分はメンタルがかなり弱い方です。
最近の話でいうと、久々に知り合った女の子といい感じでLINEしてたんですが、急に連絡が疎遠になる自体が発生いたしまして、3時間前までメンタルは結構やられてたわけです。
でも、この間とある哲学者のツイートをみてなんとなく気持ちが楽になったわけです。その哲学者が千葉雅也さんなんですね。
少し話はずれますがご容赦ください。上記の千葉さんがいうように、最近流行りの「ポリコレ」というやつは「主観性の拡大」というものを全面に出すことに特徴があるわけです。ポリコレとは、これまでの近代的資本主義による性別・人種・民族・宗教などに基づく差別・偏見とかを無くそうという考え方で、公民権運動あたりから萌芽がではじめたものだと自分は理解してます。
ポリコレというのは素晴らしい思想だと思いますが、最近は、ニーチェのいうキリスト教のルサンチマン道徳の延長線上にあるようなものに堕ちてしまっているようにしか思いません。そして、ポリコレ的なものはtwitterとかでたまに燃える小児性愛を糾弾する流れなどに見られるような、異常とも言える「潔癖症」の流れにも影響を与えているように思えます。
本題に戻ると、こうした「主観性」を全面に主張する「潔癖症」的な思想こそが最近は、人々の心を蝕んでいるようにしか思えないのです。そして、メンタルの弱さを生み出しているのではないのかなと。
人には気を使うべき!人には優しくすべき!!
みたいなことが「真理」とされ、それが内面化されてしまう。その結果、何か生きづらさと言うのを感じるようになってしまう。「正しい」ことをしないものは「劣っている」とでも囁いてくるその「真理」を払いのけることが重要なのかなと思うのです。そして、こうしたことが、千葉さんの言う「支配関係の客体化」とは異なる「客体の世界」に転がりこむことに繋がるのではないかと思うのです。
カントやフーコーのような主観性の殻に閉じこもっているのではなく、ニーチェの言う「超人」的なもの、そして「モノ」の世界を目指すことの重要性を感じます。
周りの人が怖い、振られるのが怖い、女の子とのLINEで「脈ナシ」になった自分はダメ人間だと言うような考え方は、結局、「主観」の殻に閉じこもっているとしか言えないでしょう。こうした殻を抜け出し、実存的、本来的とも違ったより「超人的」な生を歩めるのではないかなと思ったのです。そして、「客体の世界」に転がり込めたらもっと清々しいんだろうなと思ったのです。そして、「メンタル」が強くなるんだろうなと。