もう一度生まれる、そして、足をつく場所のこと
わたしはグラウンディングが苦手。
そもそも、グラウンディングって??
少なくとも地面にからだはちゃんと立って存在している。
実感わかないなー。というのが本音。
でもね、ちょっとこういうことじゃないかな。と思うことがあった。
次元をいったりきたりしながらわかったこと。
ロルフィングで。
集合住宅にあるセッションルーム。
外では小さな子供たちが走りまわっている。
左手から始まり、だんだん深いところに入っていく。
意識は白い世界に入っていく、ここにかえりたいと思いながらとめどなく涙が流れてくる。
白い浜辺を白い馬のような動物と歩いている、死ぬほど懐かしい場所。
とにかく帰りたい。ここへ。
でもここはどこなのだろう。
と思っていたら、
股から白い光のようなコードが出ていてそれをどんどんたぐっていくと地球の外へでて宇宙のような場所を通り白い場所へつながっていく。
そしてわたしのおおもとは、ここからきたのだとわかる。
そのひかりのコードはへその緒みたいにその場所とわたしをつないでいる。でも、へその緒みたいに切られることはないのだ。
左側の部屋の外では、子どもたちが遊んでいる声がする。
右の施術が始まると、
大きな白熊がゆっくりそばに来る。
ここ最近の日常の記憶が波のように蘇っては消えをくりかえす。
左が白で右が黒、太陰太極図って本当だわ、リアルだわと思いながら。
もう一度左側の施術がはじまったとき、大きな深海魚がやってきた。
その手が、生きろ戻ってこいと言っていて、
Gloryhallelujahの歌詞
“愛は生きること”
の意味を体で理解した。
外では、子どもぎゃあ!!と叫び声をあげる。
その声の逆方向からは、お父さんとお母さんがその子たちを呼ぶ声が聞こえる。
わたしは泣き、わかる。
もういちど生まれたんだなと。
生まれて、やがて戻っていく、
にじいろのひかりのへその緒でつながっている白い場所こそが足をつけるところ、グラウンディングする場所だと。
そして、
すべてのものはそのひとつの場所からきたのだから、なんにも心配することはない。と安心してちからをぬいてこの体は地面に立っている。
やがてこの記憶はうすれていくだろうけど、
時間も空間も何もかも飛び越えた場所があって、
そこに確かにいる、存在があることは消えないと思って暮らしている。