カオスな現実で生き抜くためにアホになろう!!京大的なアホとは?
どうも主に姫路にいるhideです。
毎日好き勝手な事書いて、友達の仕事を手伝って、あんまり働かずにチンタラ頑張って生きてます。漫画とゲームと音楽好きです♬
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それでは本編へGO
この世はカオス。カオスがイヤならゲームをやれ。
とある方に勧めていただいてこんな本を読みました!!
勧めてもらわないとまず買わないですねw
話題書でもないですし。
ところがこれが面白くて1日で読破。
ちょっと意味わからん系の本なので雑ではありますが自分なりに共有とアウトプットします。
どれだけマトモに真面目に賢く生きても未来予測なんてできないぜ!!
それはもうわかりきってることなんだぜ!
この世はカオスなんだぜ!!っていう現実の説明がパンチラインの一つです。
現実的。という言葉はどこかマトモそうじゃないですか。
なので現実=マトモ。と解釈してしまいそうですが、そうではなくて現実=カオスなんです。この世は予測のできない狂った世界。
原因があって結果がある。
なんて事はないんです。
正確には原因も結果も存在するが、その間にある無数の事象をさして
〇〇だからこう!
〇〇で〇〇だからこう!
という特定は不可能である。と
原因と結果が断定されてるものは一部を切り取って、雑に解釈してるにすぎないよね。
という話から入っていきます。
バタフライエフェクト
これ聞いた事ありません?
「どこかで蝶が羽ばたけば、どこかで竜巻が起こる」
という話です。
いや、そんなわけないやろ!!
ってなるんですけども、それぐらい些細なことが些細なことと干渉しあって最終的にとんでもないことになる。
これが現実なのだよ。と
ピンときません?
自分達の人生に置き換えてみませんか?
僕とあなたが出会ったのはなぜですか?
今のような関係になったのはどうしてですか?
説明できますか?
かなり端折ったとしてもまず僕やあなたが生まれてないといけません。
ということはお互いの父と母の出会いがあって、、ではなぜ父と母が交際するようになったのか、、みたいに突き詰めていけば、あの時、蝶がはばたいたから。みたいな。まぁそんなノリの話です。(説明がめんどくさくなったな←)
なんとなくわかりました?
でもこれが現実なんすよ。
そんな些細なことまで人はコントロールや管理ってできないじゃないですか。
僕、よく言うんですけど(ちょっと不謹慎でイヤな話をします)誰もが、明日地震がくるなんて予測できないわけです。
備えておかねばならない?
何を?どれくらい?
(多少の準備や心構えは大切ですよ)
通り魔に殺される人は、今、向かいにいるアイツが犯人だなんて気付かなかったわけです。
交通事故にあう人もそう。
これをカオスと断定せずにどう理解できますか?
原因究明なんて完全にはできません。
因果関係を完璧にあきらかになどできません。
不可能だからだいたいのところで折り合いをつけて片付けてるんです。
この理屈を落とし込めていないから、人はどうにもならないことで延々と怒り、悲しみ、争い続けるのだなと思いました。
ほとんどの出来事は運が悪かっただけ
ほとんどの出来事は運が良かっただけ
でもそれじゃやりきれない、がんばれないからそれっぽい法則をでっちあげてええ感じに気持ちよくなってる。納得させてる。
電卓カオス
電卓カオスという現象が本には書かれていてめちゃくちゃ興味深かったです。
これは複数の電卓でなんでもいいから"数字を二乗して2を引く"を繰り返すと答えがデタラメになる。というもの。
扱ってるケタ数が違うからズレていくというようなものではなく、世界中のどんなコンピュータを使っても小数点に終わりがないので、処理の仕方の違いにより、最終的な数字が大幅に狂ってしまうのです。動画を見てもよくわからないかもしれませんが、こーゆーのは雰囲気で理解すればオッケーです!ちゃんとわからなくて構いません。
アホ的に理解しましょう。
ここでいう数字とはまさに世界を表してると思いました。ラプラスの悪魔のように世界が因果律で定められたものであれば人類はやがて真理に辿り着くのかもしれませんが、実際はカオスなので真理には辿り着けないのです。
人間は知恵や知識を身につけすぎて全てをコントロールできると思いすぎている。それが昨今のホワイト化、正解主義、成果主義、能力主義にあらわれている。
僕はそんな世界はゲームでだけやれ。
と思う。
ゲームには正解がある。
そのように作られている。
人生とゲームの違う点はカオスの有無。
それ以外は人生もゲームも同じ。
人生はカオスなのだ。
幸せを求めるならゲームをやればいい。
ゲームは簡単に幸せになれる。
カオスに幸せなど存在しない。
この本を僕に勧めてくれたってのもクリティカルすぎる。今、僕が世界に思うモヤモヤの多くを解消してくれた。
全てがただの結果論なカオスワールド
キリンの首が長くなったのはなぜ?
よく環境に適して進化した。
と言われてますが、これは確証がある説ではありません。
この世はカオスなのだから、カオスのイタズラにより"ただの間違いで長い首になった"のだと本では書かれてます。
これ、めちゃくちゃおもろい解釈。
高いところの葉っぱを食べるために首が長くなったのではなく、首が長くなったら、たまたまそこに葉っぱがあった。
つまり予期せぬ間違いが起きたこと、そしてそこにその間違いの居場所があったことで、間違いに道筋が生まれ、こんにちまで存在しているキリンがある。
ここあたりを繋げていくと、、
世の中はカオスである。
カオスは何が起きるかわからない。
なので、、
はみ出しものに存在価値がある。
だいたいは役にたたないが、その間違いのおかげで新しい未来が生まれる事がある。
昨今は"正しさ"に囚われすぎて、"間違い"が排除されすぎている。
正しさだけではカオスなこの世界は生き残れない。
正しさは人としては必要だが、生物として時に非力すぎるというのだ。
2:8:2の法則、働き蟻の法則などで語られるパレートの法則なんかも、このカオス理論を裏付ける事象の一つだと書かれている。
確かに、、あまり役に立たない、働かないような無駄な存在がなぜ生まれるのか?
その方がバランスがとれるから、、などそれっぽい答えも一理あるのかもしれないが、カオス理論の前にはもっと的を得た答えがある。
カオスな世界を生き抜くためだ。
はみだしもの、無能なもの、働かないもの、役に立たないもの、真面目でないものも存在させておかないと滅びるのだ。
カオスな世界は真面目で誠実な人ほど許し難い世界だ。だから真面目な人は生き辛い。
正しいことをしていれば豊かになれるとか、幸せになれるとか、そう思いたくてもそうではない時があるからだ。
不幸な人は皆、不真面目か?
違うだろう。
そうした不合理で無情で無常なカオスを生き抜くためには「教養」が必要であるとも書かれていた。
教養とは知識ではない。
知識とは学問だ。
教養とは知識も含んだ様々なものが個人の人格や品位と結びついて発揮されているもの。理解や想像の力だ。
学歴が高いことを教養があるとは言わない。
うんちくを垂れることを教養があるとは言わない。
そしてこの教養、、
まさに教養学部というものが
「教養学部って何の役にたってるの?」
みたいな感じで有名な大学から姿を消していってるらしい。
この本の著者が大学関係者で、このあたりの大学の危機感も触れられていた。
僕はそもそも中卒のアホなので、論外である(笑)
飽きるということ。
終盤に面白かったのが
「飽き」についてだ。
飽きるというのはリスクマネジメントであると。一つのところで生きないという効果。
だが、人はリスクマネジメントで飽きてるわけでもない。ただ飽きてる。
飽きるという現象が結果的にリスクマネジメントとなっている。
僕は成果主義や、正解主義に飽きてる。
真っ当で王道なキチンとしたことにどうにも拒否反応が起きる。
危機感に近い。
めちゃくちゃでええやん!
って思ってるわけじゃない。
人社会には規律が必要だ。
だが、その扱い方やウエイトがどうにも上手くない。
マジメさは人間として必要で
アホさは生物として必要だ。
どちらも必要なのだからお互いに不満を言わず、自分の得意な生き方をすれば良い。
アホとマジメは相容れない。
混ざり合えないからこそ、排除ではなく、ガチンコの擦り合わせ勝負をせねばならない。
これは
労働者と経営者
男と女など、分かり合えないものたち全てに当てはまる事だと思う。
効率や正解への選択と集中は絶滅への道だ。強い方が勝ち、奪い合い食い潰すのみ。
真の多様性とは違和感の解消ではなく違和感の享受である。
この本は今の僕にとってクリティカルな要素が大量に含まれていた。
この本が結局何を1番伝えたいのかは僕にとってはどうでも良い。
京大が個性的で、その個性が失われてて教育がヤベェ!とかに興味はあんまりない。アホと真面目の両方の要素が人には必要だよ!とかなんとなくわかってることだ。
その説明のために取り扱ってる事象などが全て面白すぎた。
何となく肌感で確証があれど、たくさんの人に理解をしてもらえる感覚はない。
でもそれでいい。
このカオスな世界で、役に立とうが立てなかろうが、ただただ思うように生きてみることが未来へのバタフライエフェクトとなる。
何が起こるかなんて知ったこっちゃない。
さあ、今日も生きてやろう。
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