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勉強するとノリが悪くなるが変身して違うステージに行くために必要なアクションである
どうも主に姫路にいるhideです。
毎日好き勝手な事書いて、友達の仕事を手伝って、あんまり働かずにチンタラ頑張って生きてます。漫画とゲームと音楽好きです♬
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それでは本編へGO
千葉雅也さんの本がクソおもろい
勉強をかつてほとんどした事がない僕が勉強の哲学なんて本を読んでるんですが、、この本いきなりは手にとってないと思います。
著者の千葉雅也さんが面白くて、2年ほどXの投稿を見てて、本の中で自分が好きそうな「現代思想入門」ってのを最初に読んで面白くて、、
次に最新著書「センスの哲学」を読みました。これもブチブチに面白かった!
千葉雅也さんは小説もいくつか出してるんですが、本格的な小説はなかなかに苦手なので(嫌われる勇気とか天才を殺す凡人みたいな小説感が軽いのは読める)手を出してません。
千葉雅也さんいわく「入門シリーズ三部作」が僕の読んできた、現代思想入門、センスの哲学、そして今読んでる「勉強の哲学」とのこと。
中でもこの勉強の哲学はその三部作の最初なんですよね。
ただ勉強なぁ、、と勉強嫌いの僕はタイトルから避けてました。
後発の2つが面白すぎたのでポチったのです。
千葉雅也さんが提唱する本の読み方ってのが凄い良くて、、千葉雅也さんなんかが普段読む本の中には難解な哲学書なんかもたくさんあるんですが、最初から全部理解してなんて読めないんですね。
わからなくてもいい。
わからないまま読んでいく。
わかるところだけ読む。
綺麗に理解しなくていい。
まとめようとしなくていい。
こんな感じなんですが、なんだかんだで僕も読めないなりにキチンと読む!みたいな意識があって、最初から最後まで読んで、本の中で著者が言いたい事を理解してアウトプットしなければ、、みたいな感覚になってるなと。
これ疲れるなぁ、、と最近よく本を読むので思いました。保たないんすよね、テンションが。
なるほど、、そういうことか、、
と本の読み方が少しブラッシュアップされた気がします。
これを書いてる今、勉強の哲学は5分の1ぐらいしか読んでませんが、その時点で書きたい事がたくさんあるので、それをもう書いちゃえばええやん!ってなりました。
今までは一冊読み終えての統合性で感想を書いてたんだけど、それだと情報量がエグすぎて、、またアウトプット前提のインプットだと読むのもしんどくなってきて、、間違っててもいいからどんどん外に出していこう。というわけで勉強の哲学のプロローグと一章のアウトプットです。
枠で括ってるのが抜粋部分です。
勉強とは獲得ではなく喪失である
「今の生き方で十分楽しくやれているなら、それ以上"深くは勉強しない"のは、それでいいい。生きていて楽しいのが一番だから」
最序盤でこれですよw
いやー、やっぱね、、本質的な物事の基本って"伝えたい事の否定"にあると思うんですよね。勉強を語るなら勉強を否定する。
しかもその否定も本質の一つでもあるという面白さ。ホント満足してる人に深いブラッシュアップなんてマジで必要ない。
え?勉強しないやつに成長はないって?
「そもそも全然勉強していない人なんていない」
生きてたら勉強なんす。
生きてたら成長なんすよ。
なので成長しない。なんてことはない。
一部分や特殊な環境や目標だけをピックアップしたポジショントークです。
もちろん勉強が必要ないというのも逆から見るとポジショントーク。
世界はポジショントークでできてる。
ただ煽り散らかしてくるポジショントークは下品だなと僕は思います。
「人は深く勉強しなくても生きていける
深く勉強しないというのは周りに合わせて動くノリのいい生き方。共感的な生き方。深く勉強するというのは流れの中で立ち止まること。言わばノリが悪くなること。」
ここからちょっと面白いところ。
つまりノリのいい人はそんなに"深い"勉強って必要ないんです。
「まず行動!」とかの成果や結果を重要視するのはとことんノリを良くすることと繋がっていくのかもなと思いました。
ノリを知り、ノリを理解し、ノリを操り、ノリに乗る。
ノリに疑問を持つと動きにくくなる。
ノリに疑問を持ち考える。
深く考える。ノリが悪くなる。
そのノリの悪さをどれぐらい表に出していくか?も人によって違う気がする。
本質的にノリは悪いけど表面上はノっておくとか。
「ノリが悪くなってしまう段階を通って、新しいノリに変身する」
ノリが悪くなるのはダメじゃん!って思うかもだけど、今のノリに疑問を持つという事は、新しいノリを手に入れようとしてるってこと!
「勉強の目的とはこれまでとは違うバカになること」
おもろ!!
もうここまで(序盤)だけで本一冊分の価値があるパンチライン!
人間バカやってる時が一番楽しい。
僕は今でも相当な馬鹿野郎なんですが、どれくらい馬鹿かというと、44歳にもなってたいして稼ぐことをせずろくに仕事もせずクッソ低い生活ハードルの中でやりくりしてPS5を最近買い、ゲームサブスクに入って、月額1000円のあまりの充実さに絶望したぐらい馬鹿です。
ロックマンコレクションをダウンロード。
(月額なのでそれそのものは無料だ!そんなゲームが山ほどある!うひょー)
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おもしれー!と遊んでたところ、いやいや、、こんなことをしてる場合じゃないな、、やるならやるで配信とかして発信と繋げないとな、、あれ?
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シンプルにバカな生活がやれなくなってる。
でもただただゲームすることを配信して誰かに楽しんでもらい、何かしら自分の生活にも繋げるという新しいバカに移行しようとしている。
「勉強とは獲得ではない。勉強とは喪失すること。」
でもあの頃の楽しさは喪失してしまっている。勉強、、成長、、なんて悲しいんだ。それでも僕たちは新しいバカになることを望んでいる。
意識高い系の人たちなんて最高にバカだもんな。素晴らしいよ。
みんなマゾだよね
「人間は根本的にマゾ」
「うひょ!」ってなった部分。
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僕は常々「なんでみんなしんどいしんどい言いながらしんどいことばかりしてるんだろう?苦しい苦しいと言いながら苦しくなることをしてるんだろう?悲しい悲しいと言いながら悲しくなる方向に行くのをやめないんだろう」と不思議で不思議で仕方なかったんです。
なのでネタっぽく「みんな多分マゾなんやろなw」なんて言ってたりしたんですが、、
マゾなんかい!!
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ホンマにマゾなんかい!!
そらしゃあないわな。
しんどくて苦しくて悲しいのをどこかで求めてるんやもんな。
それはやめられへん。
不幸があるから幸福を感じる。
とは多分哲学者のモンテーニュあたりの人とかが言ってたりするんですが、みんな幸せを求めるあまりしんどいのがちょっと好きなんやろな。
僕はマジでしんどいの嫌いでマゾ要素薄いからなかなか耐え難い。
そういうのはフィクションだけでいい。
例えばゲームとか難しい面を頑張ってクリアできたら嬉しい。
言語偏重
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言語編重の人、これまた一章のタイトルから重たいフレーズだ。
それはその場にいながらもどこか浮いてるような、ノリの悪い語りをする人。あえてノリが悪い語りの方へ。言葉遊びの力を解放する。
小難しい話ってノリ悪いじゃないすか。
僕はワードチョイス、単語レベルではとにかくわかりやすくて簡単なものばかりにしたいなとは思ってるんですが、それらの組み合わせによって語る内容はたまにわけわからんというか、何をいうてんねん?って話がたまにあると思います。
そんな事イチイチ考えとらんとノリ良く目の前のことをサクサク片付けたらええやんけ!!とリアリストな僕はツッコみます。が、そういうこっちゃないんよなぁ、、と僕の頭はノリ悪くウダウダと考えます。
よっしゃ!これでいこか!
って時に果たしてそうだろうか?
とノリを悪くする。
言葉をスムーズに伝えない。
粘土の高い液体プールの中を進むような伝わる速度の遅さ。
言語って伝わらない。
言語とは人間社会が人間社会である事の象徴のような概念なのにこうも伝わらない。言葉に頼らないコミュニケーションが崇高なものとされるところがあるけれど、僕は言語に頼りたい。言語に偏りたい。言語で伝わらない事はつまらない。
これを突き詰めると言語障害だったり聴覚障害の人だったりを思想から排除してるような罪悪感を感じるが、仕方ない。そんな意図はないし、そんなつもりも毛頭ないがこれは僕の性癖だ。
言語偏重、、素敵な響きだ。
テキストコミュニケーションがスムーズな人は対面コミュニケーションもそこそこスムーズである印象がある。
テキストコミュニケーションの方が難易度が高いからだ。
中でも日本語は美しい。
日本語はアートだ。
和製英語やカタカナ英語も日本語という文化でより美しく面白くなる。
外国語に合わせる必要などねぇ!
という傲慢さを僕は持ってる。
というわけで全体を把握せずに部分部分で本を読むってのめちゃくちゃ良いな。と思った。
一章での言葉が最後まで読んだら意味合いが違うこともあるかもしれないが、それはそれだ。なんだっていい。
少なくともこの時点で僕はこんな事を思った。それが事実だ。この先も読むのが楽しみ!
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