福岡県約300㎞をジョギングしてきた話
家がない。
しばらく家に帰っておらず、息子が水曜日発熱。
その後、私も所有するシェアハウスで待機。
息子が金曜朝に陽性判明。
妻は濃厚ですが、私は濃厚接触者ではない。
なので、逆隔離です。
今日からシェアハウスに空きがなく、掃除をしてくれる管理人がいる。
熱川の別宅に行くという選択肢もある。
家に10日分の食材と灯油タンク2個満タンにした後で、観光嫌いな私が旅に出た。
現在、所有するシェアハウスは多拠点生活サービスの一つの拠点でもある。
福岡にある田川伊田という場所に新しい拠点ができ、そこへ行って拠点を自らの足だけで回ろうという単純な発想から生まれた今回の旅。
現在、私はTeam伊能という部活を立ち上げている。
Day1 成田→田川
あてもなく出発。日曜日。どうやら、「門司港」が人気があるようで予約が取りずらい。
月曜日のみ予約が取れるのでまずは確保。
火曜日に田川伊田の空きがあり、予約申請して、成田へ向かう。
まずは天神のゲストハウスで様子を見て旅はスタートする予定だった。
成田到着後、第三者を通して田川からキャンセル依頼。
どうやら、予約申請日からこの拠点でイベントが催されるらしく、予約はキャンセルらしい。
理解に苦しむが火曜日の寝床がなくなった事実に変わりはない。
他のホテルも候補に上げ様々検索したものの、コロナで閉鎖していたり、どうもしっくりこない。
思い切って計画を変更し、天神→門司港→田川をひっくり返し、田川→門司港→天神にルート変更。
福岡空港→田川はバスがあったようだが現在は運行されていない。
電車というルートがあるが旅らしくないのでバスで乗り継いで行くことにした。
天神バスターミナルから出発する田川伊田へ向かうバスを発見。
天神へはバスもあったため今回はそれを利用。
乗り継ぎまで時間があったので天神でキーボードを買った。
今回はスマホだけで旅していて、どうにも入力がしにくいためだ。
19時より約2時間でようやく田川に入る。
天神で徘徊した時間を省くと約6時間ほど。
少し距離は感じるが天神で徘徊すれば、さほど時間は感じなかった。
元ロカビリアン
チェックインだけ済ませ、夜の田川へ赴く。
炭鉱の町だけあり、過去の繁栄を感じる町並み。
シャッター街ではあるが昔ながらの商店街の奥にスナック街がごそっとある。残念ながらマンボウでお店はやっていない。
一本、二本と路地を離れ、ひっそりとやっているとあるスナックに入店。
なじみ客と思われる2名とカウンター越しにマスターが居る。
なんだか気まずそうな顔をされ、マスターは表の看板の照明を落とす。
コロナ禍で東京の人間が何をしにこんなところへ、、、
と思っているのだろう。
なので、元ロカビリアンのような風貌の年季の入ったマスターは最初私をガン無視…。
時間が進むに連れて、少しずつ関係がほぐれ、色々話が聞けた。どうやら私を役所の人間だと思っていたようだ。
年代物のジュークボックスの話、孫がツイストを踊る話、コロナワクチンの話で盛り上がった。彼はテレビの情報を信じていないようで、私のような東京から来る人間が持ってくるコロナよりも異様に勧められるコロナワクチンのほうがよっぽど驚異らしい。
Day2 田川→門司港 RUN 45㎞
空けた朝、散歩へ丘の上へ。
整備されて運動場があり、体育館、野球場、サッカー場、陸上競技場、敷地の広さを羨ましく、地方の魅力を感じる。
体育館では、福岡出身のアーティストによるコンサートや、プロ卓球チームによる試合が催されるようだ。
一番目を引いたのは
水平に切り取られた山、香春岳(カワラダケ)
この地方では当たり前の景色らしいが都会っ子の私は驚いた。山が水平に切り取られている。
セメントの採掘で70年かけて山が切り取られたらしい。
次に団地の数。
無数に立ち並び、こういった無加工な事実が当時の歴史を感じる。
皆が黒ダイヤを目指し、命がけで採掘して日本の発展に寄与してくれたことを考えるととても感慨深い。
早朝に門司港を目指す予定だったが、駅前のうどん店の営業が11時からということでそれを食べてから出発することにした。
田川伊田の紹介者を通して、畳屋さんとうどんを食べることになった。
3代続く畳職人
昔は中国産をい草を多用していたようだ。
国産のい草を触ってから、その違いに感動し、国産の良さを伝える活動をしている。
当然販売もそうで、総売上の90%を既に超え、年内100%を目指すそうだ。
国産のい草は疲れを癒やすアロマテラピー効果が期待できるようで、コースターほどのい草を頂いた。
まる天うどんを注文。
「うどんにコシは要らん」と福岡出身のアーティストがケンミンショーで言っていた言葉を思い出した。なるほど、悪くない。
香春岳は一ノ岳、二ノ岳、三ノ岳があるようでgoogle mapにはそんな記載はなく、目標と違う三ノ岳が設定されてしまい、切り株のような一ノ岳には近づけなかった。
後で聞くと結局、セメント掘削がされた一ノ岳頂上までは行くことができないらしい。
山越えもほぼ終え、ちょうど20kmくらいのところで地元筑豊では昔からとても有名な
「山小屋」なるラーメン店
を発見。コロナで潰れるまで東京の清洲橋の近くに支店があった。
ホルモン焼き定食のミニラーメンセットをいただいた。
緩やかな下りを駆け、市街地を抜け、門司へ入る。
横浜にも似た感じの風景ではあるが、対岸が見えることが珍しい。
向かいはフグで有名な下関。ちょっとした異国感を感じた。
もう辺りが暗くなってしまってため、門司港の家に直行。
ここは多拠点サービスのオリジナルで、独特の世界観がある。
仕事を辞め、フィリピンへ渡る前の日本一周の冒険をしている若者とリタイアの準備を終えた男性が滞在されていた。宴もたけなわな頃、
イケメン管理人
が現れ、ラスボスのオーナー登場。貫禄がある方で、とても優しい方のようだ。
縁あってここを購入し、多拠点サービスに申し込みをしたら、審査が通り、隣でカフェを運営する方が管理人になられた。
管理人は元横浜の方。別段、門司港に縁もないまま、カフェを出店。
決して人通りがあるとは言えない立地でもSNSを駆使して見事に成果を上げている。また、こういった集客方法が彼の本業で、マーケティング事業、カフェ事業を主軸に自らがやりたいことに挑戦している。
Day3 門司港→下関→天神 休足日
今日は休足日とし、電車で博多へ向かうことにした。
宿は提携しているゲストハウス。なんだかレビューが芳しくない。
ドミトリーがあることは知っていたが、今回はコロナを考慮し個室を予約。
3000円でお釣りが来た。
倉庫街の食堂で朝食
隣の80は超えたであろう女性は『朝飯前』の労働を終えたそう。味噌汁、納豆におかずが数品。ご飯は消化に良いよう柔らか目。
倉庫街を抜け、観光地に入る。
「ご乗船の方はお急ぎください」とアナウンスが鳴る。見ると対岸「下関」へ渡る定期船のようだ。時計を見るとなんとか間に合いそう。
急遽、切符を買って下関へ
平日の観光地の乗船は私ともう一人だけ。
下関はやはり、ふぐの街。
門司港とは違い、魚河岸感が強い。
イメージは門司はレストラン、下関は食堂。
魚市場に来たものの、まだ旅の前半でもあり、何も変えなかった。
また朝食も済ませてしまっていたので、刺身定食も食べられず。
下関駅まで歩くことにした。駅前は立派に栄えている。
港が韓国に近いこともあるのだろうか、少し離れたところに韓国街的な商店街がある。かなり距離が長い商店街だがコロナで休業がほとんど。
韓国街でもあるが、多国籍街といった感じがある。
電車で博多へ向かい、徒歩20分かからずゲストハウスに到着。
日本語が流暢な韓国人スタッフが親切に対応され、部屋へ案内される。
ドアを入り、廊下のような部分を通り抜けると、
奥行き約4メートル、幅1メートルの空間に縦にベッド2台。
壁はあるが隣の女性ドミトリーと天井が共用。朝早くから動く計画があり、少々うるさくなることを想定しての個室予約だったが、意味がなかった。
音は完全に聞こえる。
スタッフ紹介の温泉で、足の休養。温浴、水風呂を下半身だけ交互に入ることで血流を促す。スマホで新潟のWEBミーティングにテラスで参加。
寝酒の一杯をゲストハウスのカウンターで注文。なんだか3人で相談している。コロナで提供をやめているのか?とも思ったが、「担当者がいない」という。偶然隣にいた元従業員らしき方が、「ウィスキーのロックなら氷を入れて注ぐだけじゃない」と言ってくれて、まもなく提供された。
サワーグラスに並々と注がれたウィスキー角
どうやら最近の若年層はお酒を飲まないようだ。
ウェルカムドリンクならぬウェルカムスイーツの試作をしている彼らの熱意、少しだけ背伸びした精一杯の努力に「真摯」を強く感じた。
おもてなしをしようという彼らの努力に酷評はあり得ない。
Day4 天神→大宰府→柳川 WALK 78㎞
夜も明けぬ朝5時出発。
昨夜の温泉で快調だった足もなんだか状態が良くない。
今日は歩いて柳川を目指すことにした。
google mapは60㎞、12時間オーバーを表示…
少し足早に歩いた。
1時間ほど歩いても福岡市は都会で、マンション等の建物が密集。
コンビニも多数あり、安心していたのもつかの間、便をもよおす。
気が付いた時には建物が並ぶも、コンビニがない…
30分が3時間に感じた長い苦行の末、ようやく明るくなった頃、
セブンイレブンに到着。地方でも店舗がたくさんあることに感謝。
ただ平野を歩いている。なにかしらに寄っていこうと思ったとき、
左に3㎞と大宰府の看板に現れる。
私は右に行きたいが、これも何かの縁と大宰府天満宮へ。
毎朝行われている朝拝神事を拝めて、息子のお守りを購入。
これが後々効いてくることになるとは想定していなかった。
あたり一面田んぼの田舎道に唐突に
「改良めだか」
ののぼりを発見し、向かってみた。
農家小屋のさらに奥、白いビニールハウスがめだか屋。
錦鯉と同様に品種改良が進み、観賞魚としての価値が高まっている。
小学生のころに飼育しためだかと随分違っていた。
色はカラフル、発色もいい。ひれも長く、格好もよい。
当然、値段も相当よかった。
ようやく、久留米に入るところで足に痛みが走る。
休む方々、地元のラーメン店へ。
お店の名前を冠したカップ麺を販売しているラーメン店へ。
おでんが売られていて、無料のお惣菜がある変わったお店。
おそらく、ここは久留米の交通拠点でトラック運転手が足しげく通った名店なのだろう。店員さんが皆さんご年配でとてもやさしくしてくれた。
見えない疲労
の蓄積があり、それが膝周辺に来ている。
一昨日分と既に約50㎞歩いた本日分の疲労が圧し掛かる。
歩くことは簡単だと思っていたが、正しい歩き方など教わってはいない。
RUNでは自分なりに勉強し、フォームを意識して走っている。
歩くフォームが確立しておらず、余分な疲労が蓄積されてしまった。
体力消耗はスピードや距離だけでなく、時間も重要な要素であった。
考えれば、既に9時間まともに座ってすらいない…。
Google mapで再計測。残るは25㎞、5時間と表示。ちょっとした地獄だ。
今日の宿には18時と連絡してあり、メールで送れる旨を連絡。
痛みと格闘しながら、久留米を抜ける。柳川へ入るも道に問題があった。
都市部は歩道が整備されているが、都市と都市の間は整備が回っておらず、歩道がない車優先の道路となっている。
いまどき、ここを歩くことを考える人すらいないためだろう。
日も暮れかかり、ようやく柳川市中心部近くにつれて驚いたのは
尋常でないカラスの群棲
寒気が起きるほどのカラスの数に驚愕する。
おそらく、福岡市など比較的大きい市が対策を行った結果、流れ着いたのがここなのだろう。
とはいえ、カラスも頭がいいのか、中心部や観光地にはいない。
これは歩いてこなければ気が付かなかったと思う。
日が暮れてしまったほぼ18時半、30分遅れてようやくゲストハウスに到着。
ウッドデッキに囲まれた蝋梅
がお出迎え。引き戸の玄関を入ると吹き抜けが気持ちのいいリビングダイニングがある。ここには今どき珍しいこたつがあり、この天板は厚さ10cmほどある大人一人では持ち上げられそうにない天然の無垢板だ。
至るところが天然木で使われており、当然、キッチンカウンターも無垢材で、床が掘り下げられたキッチンは実に気持ちがいい。
冷蔵庫のような無機質なものを見せない配慮や、配備された小物もオーナーのセンスを感じる。曇りのない窓ガラスを見てもわかるが、掃除も徹底されている。食器に至るまでその個性を感じ、通常のゲストハウスにある安価なものではない。秀逸なのはガラスである。
室内の引き戸や欄間には飾りガラスが配されている。
おそらく、リノベート前からあるこれらは建てられた方のこだわりなのだろう。観光地にある「出かけたくならない」名所だ。
スタッフさんが紅茶を温めている
お隣に工事へ来ている業者さんへ差し上げるらしい。
スタッフさんは私が到着するのに30分も待ってくれていた。
ここへ到着する前、確かに肌寒った。なんて素敵な人なんだと思った。
スマホにメールが入り確認したとき、送信履歴をチェックした。
残念なことに、スタッフさんへのメール送信がなされていなかった。
つまり、私は連絡なく遅れてしまっていた。
申し訳ないことをしたと後悔した。
Day5 柳川 休足日
自転車を借りることができたので、今日は食事を楽しもうと計画。
朝はうどん。昼はうなぎの蒸籠蒸しを堪能。明日に備え、夜は一人きりのゲストハウスの炬燵で雰囲気を楽しみ、そそくさと就寝。
Day6 柳川→八女 RUN 42㎞
後半の山登りに備え、朝6時に出発。まだ夜が明けぬ暗い中、カラスたちが羽ばたく。福岡は九州の北部であり、南側に山が並ぶ関係上、日の出が遅い。20㎞ほどで八女市街。JOYFULなるチェーンレストランでZOOMによるミーティング。
15㎞ほどで最後の街であろうポイントに到着。肉屋で馬刺しを購入。
ここからは登山。とはいえ、舗装された道路である。
新設されて間のないキャンプ場は、休日ということもあり、にぎわっていた。車はランクル・SUV、テントはSnowPeak。
その脇では災害復旧工事…。とても温度差を感じた。
その先では物々しいチェーンソーの音。どうやら皆さんで練習しておられるようだ。
2000日の海外放浪の果てにたどり着いたのは山奥の集落の一番上だった
の著者がオーナーのゲストハウスに到着したのは16時ごろ。
残念ながらオーナーは不在だが臨時の管理人がいた。
「夏になると8組くらいゲストがいらっしゃる」
夏は人気で、茶摘みのアルバイト等で賑わうらしい。
ここは山奥で、近所には店どころか家すらない。
一通りの生活必需品はあるが、できるだけ使わないことをお勧めする。
竈門に薪をくべ、羽釜で飯を炊き、昔ながらの炊事場で食事を作る。
水洗式では無いトイレで用を足す。「古き良き」を感じに来る場所だ。
冬は寒さでより感じられる。ストーブが妙に温かい。昔を尊ぶいい機会。
先客は女子大生が一名。飯を炊いてもらった。
Day7 八女 休足日
臨時の管理人と女子大生はデートに出かけた。
山奥といえどネット環境は快適、今日はネット三昧。
明日の長距離72㎞の準備。
紹介を受けたラーメン店はここから25㎞先にある。
営業は10時半からで、逆算すると出発は午前5時半。
昼食後は走ることにした。すれば到着は18時くらいであろう。
都心部では夜中でも手ぶらで歩けるがド田舎であることを忘れていた。
ライトの用意がない。ここはスマホで代用することにした。
スマホって便利。
天気予報は雨。リュックの中身をビニールでパッキングして、リュックもビニールで覆った。
Day8 八女→田川 RUN72㎞
しとしと降る雨の中、夜が明けぬ山登りを始めた。
登山家に比べれば大したことはないが、正直、野生動物が怖かった。
野生動物はわざわざ近寄ってくることはない
例えば猿から見れば他の動物のことなど知らない。だから、変わったものに遭遇した時に自衛をする。人間はこれを狂暴という。基本的にどんな動物もそう。生きるために食べる場合を除いて、他の生命体についての基本的な知識はない。だからこそ、彼らは他の生命体と遭遇しないようにしている。
そう言い聞かせながら、闇の森を抜けた。
手袋が防水でなかったため、やたら冷たく寒い。
とにかく乾かさないと温めることができない。山の中は屋根などない。
トンネルは便利だった。少々明るく、風も少なく、雨がない。
「にじ」という道の駅は活気があった。結構大きい。
冷凍柿が特産のようでこれを購入。ようやくラーメン店へ到着。
10:45到着で座れなかった。コロナで座席数が少なくなっている。
食後はゆっくりしていられないので休憩場所を移すことにした。
おかげさまで雨は止んだが、足元が冷たい。
コインランドリーに靴の乾燥機を発見。
休むついでに靴を乾燥させた。これは非常にラッキーだった。
約4㎞続く新しいトンネルを抜け、田川に入る。
今日の宿は提携はしておらず、小学校を改装したもの。
千代田区にある3331 Arts Chiyodaをオマージュしたような
いいかねPalette
に到着。本日の宿である。「いいかね」は小学校の名前「猪位金」。
ドミトリーは私以外にはいないと聞いていたが人の気配がある。
住人がいるようだ。
ここは単なる宿泊施設ではなく、音楽を中心とするコンテンツ産業の創出・集積を目指した複合施設。
宿泊施設、シェアハウス、オフィス、イベントスペース、体育館、レコーディングルーム、スタジオ、展示ブース、コワーキングスペースと多岐にわたる施設があり、2017年4月にスタートしたようだ。
プールはめだか屋だ。福岡はめだかが人気。
私が普段ランニングで聞いているインターネットラジオ「コテンラジオ」の収録はここで行われている。
Day9 田川→田川伊田 WALK12㎞
平日はこの施設で朝6時半からカフェが営業している(2022年2月現在)
今日は道の駅で温泉につかり、ZOOMミーティングの後、初日の宿泊先へ。
明日も早いが今日はとことん飲むと決めた。
わずかに営業する居酒屋へ着いたのは探し始めてから30分後のこと。
隣に座ったお父さんはラーメン店を経営。明日はゴルフらしいが別れた奥さんが経営するラーメン店は明日の道中にある道の駅で朝10時からやっているとのこと。小一時間飲んだ後、初日のスナックへ向かった。
正直、この時話し内容はほとんど覚えていない。
平日で比較的早い時間でもあり、私以外の客はいない。
奥さんとマスターと私だけで話をさかなに酒を飲む。
ただ楽しかった。旅なんてそんなものだ。
このマスターは炭鉱の最後を感じ、バブル期を経験している数少ない方。
良きも悪きも経験されていて、私はこういう人間だ、という個性がある。
誰からも好かれようなんて思ってはいない。
そういった方の話は面白い。話がとがっているが、屈曲がない。
現代の若者にはないある種の無垢さを感じる。
Day Final 田川伊田→福岡空港 50㎞
田川伊田駅舎ホテル
窓越しに見える汽車で、寝台車をいう趣をあえての二段ベッドで表現しているビジネスホテル。衛生設備は共同ではあるが新しいだけあって清潔。
簡素ではあるが無料の朝食と飲み物が用意されている。
宿泊者用のキッチンはダイニングエリアに併設されており、一通りのことはできそうだ。イベントを催したユニークなホテルだ。
ホテルでの滞在よりも映画で撮影される商店街や
炭鉱歴史博物館
が趣深い。昔は機械などなく、手掘りで掘削していた炭鉱。
当時は引火物をランタン(火)を灯しながら裸で収集に行った。一つのものが全体的に熱せられない限り引火しないことは熟知しているが、粉塵が出ることはこの博物館に行かなければ気が付かなかった。掘削を行う際、必ず粉塵は出る。これは個体として小さく、すぐに熱を帯びるため、発火の原因となりえる。こうした粉塵爆発によって数えきれない死傷者がある礎の上に今の私たちがあることを考えると胸が痛くなった。それが工業化されたのもつかの間、エネルギー革命により時代が一変し、炭鉱の灯が消えた。その残った団地街では今でも人が住み続けている。
昨日のラーメン屋の店主は言った。
「田川の団地は安いが住みにくい。結局高くなるから。浴槽と給湯器は持ち込みで、退去時は撤去義務あり。」
博物館に長居してしまい、時間が押してしまった。道の駅で元奥さんに挨拶してラーメンを食べた後、すぐに出発。
フライトの予約は午後6時。チェックインを考えると歩いていては間に合わない。走るのみだが、当面は上り坂。ここは体力より心がきつかった。
あの坂を超えれば、と思いながらさらに登る。ナビの時間は改善されていないが、下り坂に入れば一変。落ちるように下り坂を駆け抜け、むしろゆとりができた。ふと見ると
「FUJITSUBO」
の文字が見える。車好きな私は、この字面でマフラーの会社を思い出すが、少し様子が違う。旧車がずらりと並ぶこの会社、マフラーの会社とは違うようだ。調べると、従妹のような関係のようで、マフラーの会社も九州が起源。元を分かち合ったこの「藤壺自動車工業」は87年以上の歴史を持つ旧車専門店。
私が所有する「ヨタハチ」や、「2000GT」、「ダルマ」、「ケンメリ」など時代を博した旧車が勢ぞろい。買える博物館だ。
一番最初に急遽、宿泊先が変わったため、一部に公共交通機関を使ってしまったが無事に自分の足だけで福岡県300㎞を回ってみた。
結論
結局どこも素晴らしい風景
面白いのは「人」
8時間を超えて歩き続けてはだめ
という話。
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