【不登校だった15歳。webデザイナーになるまで。#2】
現在25歳。長男Comunaくんが15歳で不登校になってから紆余曲折を経て「もう大丈夫かな~」と思えるようになるまでの5年間を綴った不登校日記
学校に行かない_Comunaくんの場合
2011年5月、今から10年と少し前、Comunaが中学3年の5月のこと、ついに
不登校との戦いが始まります。
心身不調のサイン
5月初め、沖縄への修学旅行が終わった頃から、Comunaの様子がみるみるおかしくなっていきました。
体の変調
食欲不振 食事をしに部屋から出てこない。食べない。
睡眠不足 夜遅くまでゲームをして朝方まで眠れてないみたい。
体のだるさ 家の中でもだるそうに歩いている。
気分の変化
無気力 もちろん宿題や勉強はしないし、無表情でゲーム。
イライラ 弟がうざい。ずっと弟に怒っている。
暗い表情 全く笑わなくなった。
元気がなく、生気がなく、青白い顔。
よく考えれば、心身不調のうつ症状です。「子どもだから甘えてるだけ!」って思っていました。子どもにも、うつ症状はあるんです。
「行く?行かない?」のバトル
朝、青白い顔をして、重い足取りでうつむきながらゆっくり靴を履き、なんとか玄関から出ていく日々が続きました。
それから数日後。登校時間リミットの8時を過ぎ、何回起こしてもComunaは部屋から出てきません。頭まで布団をかぶり、何回も「行くの?行かないの?」とわたしとの問答をして、Comunaは「行かない!」と怒り叫んでいました。わたしはまだあきらめきれず、布団を引っ張りますが、逆にComunaは必死に布団から顔を出さないように引っ張り返していました。
布団の引っ張り合い。滑稽なバトルです。コントみたい。
今から思うと、無理やり布団から出して学校に行かせたとして、この日Comunaは学校で何を得られたでしょう。
「学校に行く」ことって、健全な心身の成長のために「集団生活の中で学習や社会体験をすること」なのに、心身が弱っていても「行かないといけないところ」という、手段が目的になってしまっていました。
生きてる?
この日は学校に行かせることをあきらめました。これが、これから続くいくつもの「あきらめ」のスタートになります。休みの連絡をしたことをComunaに伝えると、泥沼に入っていくように眠りにつきました。
夕方、わたしは仕事から帰りましたが、朝から何一つ変わらない状態。まるで死んでいるかのように動かなかったので、ドキッとしたのを覚えています。鼻の下に指を添え、息していることを確認しました。
「生きていた。よかった。」
冷静になれば当たり前のことなんですがようやく
「学校に行く < 生きている」という気持ちになれました。
今だから言えること_Camuna(母)
不登校初期の相談先は親の会かTwitter
不登校は急です。理由は、子どもたちはギリギリまで我慢しているからです。子ども側の意見では、全然急じゃないそうです。ずっと考えていたと…
親としては、急に「今日学校に行きたくない」と言われても困ります。瞬時に「今日の段取り」が頭の中をグルグル…
仕事は急に休めない。
学校に連絡しなくちゃ?先生になんて言うの?
お昼ごはんどうする?
一人家で夕方までお留守番?
誰もいなかったら、ずっとゲームしてない?
これ毎日続くの?どうしよう。
何日かはなんとか対応をするしかないとして、不登校初期の混乱のときは、まず不登校経験者の親御さんに「大変なことになった」状態を聴いてもらうことがいいと思います。先のことを考えて不安な気持ちでいっぱいになっていると、冷静に今のことを見られていないかもしれません。
わたしも、ネットで調べた不登校親の会(のちにスタッフになるのですが)に電話し「夜中までずっとゲームをしていて学校に行かない」ことを聞いてもらいました。スタッフの方に「よくあることですよ、大丈夫です」と言ってもらえて、うちの子が異常じゃないんだと、ほっとしたことを覚えています。
日常生活のこと、学校への連絡のしかた、家庭内のささいなこと、わからないことどんどん聞いて、具体的なアドバイスをもらうといいと思います。
もう一つは、Twitterで#不登校で検索して、コメントしてもいいかもしれません。Twitterにはたくさんの不登校の親御さんが体験談や質問、今困ってることなどをつぶやいておられます。
次回は
Comuna、動き出す。学校対策を考える。
受診、診断。堂々と不登校できる
担任の先生からの「学校行こう!」対策
不登校で悩んでいる方に少しでもお役に立てればうれしいです。
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