心の支えの存在 #ファーストラヴ
受け止めてくれる人の存在。それが人間、特に幼少期の子どもにとって、いかに大事か。ガラスのように壊れやすい心を、これ以上ないくらい壊され、それに周りの無関心が重なって起きた事件。子供は生まれる家・親を選べないという不条理。それが一番の感想でした。
家庭内での話のため、報道されるほどの事件にまでならないと、知られることのない出来事。そして家庭内ゆえに、他人が踏み込めず、中々つかみにくい真実。
この作品のテーマは
過去を整理すること。
真実を探し出す
主人公の臨床心理士、弁護士たちが、被告人と被告人に関わった人たち(被告人の母親、友人等)それぞれの話を1本に編み直し、裁判に向けて真実を掘り起こしていく、裁判までの限られた日数での共同作業。そして裁判での模様。さらに、被告人をはじめ、登場人物それぞれの、もつれ絡まった心を解きほぐしながら、真実を探っていく物語です。
本文を引用しながら追っていきます。(ネタバレ含む)
焼き上がりを見るまで分からない。
(被告人を知る陶芸家のセリフ)
人間にも同じ事が言えると思います。特に幼少期の成育環境は、大人になっても影響します。どんな大人になるのかは誰にも分からない。
こたえなきゃ。
大人の期待にこたえなきゃ。
自分の不快や恐怖なんてないことにして。
(被告人のセリフ)
被告人は子どもの頃からずっとこうして耐えてきた。いつ何をされるか分からない異常な環境で、それをそばで見ている親が助けてくれない。周りが笑っているから、嫌がってる自分がおかしいと思ってしまった。真面目な子ほど、周りに合わせようとしてしまう。幼少期に数年にわたってこのような状態に置かれ続け、自分の本心を表せなくなっていく。環境が人の心に与える影響の大きさが伺えます。
幼い頃から情緒が安定しなくて、いきなり泣き叫んだり、家を飛び出したり、
(被告人の母親のセリフ)
これは被告人が、周りに助けを求める行動だったと思われます。被告人は本能的に、自分のいる環境が普通でないことに気づき、無意識にこのような行動を取るようになったのでしょう。被告人と、彼女の家庭環境をよく知る人なら、この行動の意味に気づいてくれるかも知れない。しかし、知らない人からは変な子と思われ、他所の家の事に関わらないようにしようと避けられてしまう。その結果、周りに知られる事なく、闇に葬られてしまう。見て見ぬふりをされてしまう。
あの子、虚言癖があるんじゃないですか。
(被告人の母親のセリフ)
私が嘘をつくことで母は安心してました
(被告人のセリフ)
両親の期待にこたえるために本心を隠し、いつしかそれが習慣になっていた。これは心の崩壊の始まりと思われます。
親や周りの意見に合わせないと、叱られたり叩かれたり。誰も本当の自分を受け入れてくれない。そんな状況が頻繁に続くと、自分の意見を言わなくなってしまう。意見があっても押し殺してしまう。さらにそれが進むと、自分の存在価値までが曖昧になってしまい、生きる気力や自信を失ってしまう。この辺りは多少、私にも憶えがあります。
私はずっと母から嘘つきだと言われ続けてきたので、そのときも自分が本当のことを言っている自信がなくなりました。
(裁判での被告人のセリフ)
ずっと言われ続けると、そうなのかと思ってしまう刷り込み。このセリフにはそれが表れていると思います。信じてくれる人がいないと、自分の方が間違っているのではないかと思ってしまう。
被告人には、素の自分を受け止めてくれる人間が周りにいなかった。遠くに住んでいる祖父母に言っても、そんなことあるはずないと、取り合ってくれない。唯一、親友がいたことは、被告人にとって幸いだったが、その親友にしても、被告人のすべてを理解していた訳ではない。
支えの不在。怖い存在に対する自己防衛から、無意識に隠すようになっていった本心。そのことで、虚言癖があると言われるようになっていった。
父は私の望むことや願うことはぜんぶ否定し続けていた
友達関係や進学先、恋愛関係も。
(被告人のセリフ)
あなたの心をたくさんの大人たちが殺した。
(主人公の臨床心理士のセリフ)
私なんだか物みたいだなって。
(被告人のセリフ)
空っぽの人形
(臨床心理士が被告人に対して感じたイメージ)
環境によって、人間はここまで無の存在になってしまうものかと思います。被告人は、血縁関係ではない父親に対して、養育してくれたことに感謝しつつも、怖かったから、言われることは全部聞いた。やりたくもない絵のモデルをやらされ、それから逃れるために始めたリストカット。自分を守るためにとったリストカットという行動。すべてを否定され続けた被告人が見つけた逃避手段。さらに、家の外に、心の拠り所を求めて彷徨うようになる。
被告人の異常な行動を、両親や複数の大人が把握していたにも関わらず、無関心な周りは何の対策もしない。
そして事件前日。被告人は就職活動で、アナウンサーになるための二次試験を控え、ナーバスになっていた。最初から被告人がアナウンサーになることに反対していた父親から、くだらないと否定され、初めて被告人は父親に逆らい口論となる。壊され、否定され続けてきた被告人の心が、ついに鎌首をもたげる。何かのきっかけから、遂に心が崩壊し、気持ちが溢れ出す様子が伝わってきます。
事件当日。テレビ局の面接官はみんな男性だった。嫌な記憶として残っているデッサン会の状況が再現され、試験を辞退してしまう。
心の崩壊と嫌な記憶の再現。悪いことが重なる。そしてこれが、真実を公に晒すきっかけとなる。
父に、許されなければいけないと思ったからです
(裁判での被告人のセリフ)
このセリフは、よく意味が分かりません。被告人は何も悪いことはしていないのに…。長い間、心を塞がれてしまうと、自分の軸を失ってしまい、自分が怖いと思う人物に、隷属的になってしまった結果、出てきたセリフではないかと推測します。
人間の心は、つかみどころがなくて、特に子供の場合、粘土のように形を変えやすいもののようです。そして何より、そんな心を支えてくれる存在(人)があるかないかで、その後の人生までもが変わってしまう。素の自分を受け止めてくれる存在が、いかに重要かを思い知らされました。
そして被告人を支える側の人たち自身も、この事件を通じてそれぞれが自分の過去を振り返り、見ないようにしてきた真実に向き合っていく。
最後に心のわだかまりが解けて、長年抱えてきた秘密から解放されていく流れを見事に描いていると思います。
最後に、自分の言葉を取り戻した被告人のこんなセリフが印象に残りました。
法廷で、大勢の大人たちが、私の言葉をちゃんと受け止めてくれた。
そのことに私は救われました。
書籍タイトル:ファーストラヴ
著者:島本理生
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