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【プライドを捨てよ。添削を受けよう】俳句的を読んで(2章-8.9のまとめ)

 引き続き、「思考の整理学」の著者、外山滋比古先生の「俳句的」のまとめである。今回は8項「音楽と絵画の間」、9項「けずる」についてのまとめる。

 本項では、芸術において如何に添削が大事かが説かれている。後世に残り続けるような本物の芸術表現を目指すのならば、添削は必要不可欠だと、著者はいう。添削は正直怖いものである。小心者の小生は、先生にびしばし赤ペンを入れていただくたびに、胃の辺りがキリキリする。しかし、上手くなりたい一心で、その恐怖に耐える。

 「この人は」という先生に出会ったら、ためらわず教えを請おう。そして、指導添削を受けよう。きっと将来のための力になる。

・文学もコミュニケーション(8項P85)

 すぐれた表現にするには、添削と推敲が必要である。文学も要するにコミュニケーションで、自分だけわかっていればいいのでは困る。脱線しかけた表現を軌道にのせるのに、自分ではどうしようもないことがあり、そんなとき、すぐれた添削を受けると見違えるようになる。近代芸術は不遜な作者がつくり上げたもので、二口目には個性だの自由だのを口にする。天才は別として、添削によってよくなる可能性のまったくないような作品が、それほどたくさんあるとは思われない。

・短詩型文学は「視聴二元」の表現を目指せ(8項P86)

 人間の知恵は、同時にひとつの事しか言えない言語を使いながら、たくさんのことが同時に表現できたと仮定した場合よりも、かえって豊かで複雑なことを言いあらすことに成功した。それがスタイルというものだ。言語芸術にはスタイルは不可欠である。詩は時間的であるところが音楽に似ているが、すぐれた作品は、その時間を停止させてしばしば絵画的でもありうる。ことに漢字を用いる日本の詩歌にそれがいちじるしい。俳句のおもしろさは、音楽であると同時に絵画でもあるところにある。短詩型文学は交響曲にはなりにくいから、多声曲の含蓄を狙うほかないが、ことばは単元的ときている。とすれば、視聴二元の表現によるほかはなくなる。俳句は絵画的であってよく、また、なければならない。ひとつの表現が音楽であって同時に絵画であるとすれば、曖昧になるのはきまりきったことで、曖昧でない俳句など、つまらないに決まっている

・芸術作品に添削は必要不可欠(9項P93)

 芸術作品において、洗練の過程は不可欠のように思われる。いわゆる添削はこれをもっとも正直な形で示したものであるが、推敲は自己の手による添削であるため、いくらか性格が曖昧になり、それだけ洗練の実効も上がりにくい。さらにいっそう隠微になると、表現の外形には変化がなく、内質のみ変える添削がある。

・詩における作者想定外の解釈も無形の添削(9項P94)

 選句とか引用、作者の思いもよらなかった新しい解釈とかは、いずれも添削の変形と見ることができる。短詩型の文芸においては、こういう無形の添削をどれだけ誘発することができるかにその作品の含蓄の豊かさが懸っていることがすくなくない。添削、つまり、善意の異本に対して新しい目を向ける必要がある。小さな自我を振りまわすことはない。作者が謙虚になれば、すすんで添削を迎えるようになり、それで自己の成長につながることが認められる。

・詩は一人の手によって、一時に完成することは難しい(9項P94)

 いくらヨーロッパ風に添削を拒否し、作品の自立性を主張してみたところで、目に見えぬ「時」の添削を避けて通るわけにはいかない。人間の添削には血も涙もあるが、「時」の大ナタは仮借するところがない。一部を改変するというような生やさしいものではなく、情容赦もなく作品をまるごと抹殺してしまう。その怖ろしい魔手から生きのびるためにも、添削の積極的意義に目覚めなくてはならないはずである。作品はひとりの手によって一時に完成することは難しい。

・ちょこっと解説

①芭蕉と去来も逸話に

岩鼻やここにも一人月の客

といものがある。

作者、去来はこの句を「月見散歩しながら句作のため、うろうろしていたら、岩の突先に猿がいるのを発見。その時の様子を詠んだ」と言った。芭蕉のほかの門下からは「ならば、月の客ではなく月の猿のほうがいいのではないか」と言う。芭蕉は「月に向かって、『岩の突先に私と言う一人の人間がいますよ』と月に自己紹介していると解釈したほうが、風流です。是非自称の句としなさい」とアドバイスをした。

このように添削とは、単に文字や構造が変わるだけでなく、意味が変わることもある

②「作品は作者の物だ。添削は表現の自由や独自性を傷つけるから控えるべきだ」という意見がある。気持ちはわからなくもない。

 小生が初めて書いた小説やら、俳句やらを人に見てもらうときは、ぼろくそに言われるのが怖くて、そうやって小さな自我を守ろうとしていた。

 しかし、上手くなりたいのなら添削は絶対に受けるべきだ。

・「俳句的」前回のまとめ記事


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