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はじめての短歌(穂村弘著)を読んで

停滞している自らの俳句の打開を図るため、思い切って短歌の勉強をしてみることにした。穂村弘氏のことは、ダ・ヴィンチ等で存じており、その短歌もとても好きだったので、入門書として同氏の著書を選ばせてもらった。以下に特に小生が気になった個所を記す。

俳句や短歌に限らず、詩に興味がある人にとって非常に有益な書である。同志の助けになれば幸いである。

・詩が学校教育に馴染まないわけ(P28~29)

よく学校の授業で、短歌や詩は非常に教えにくいって声が聞かれるけれど、それは当たり前だと思うな。(中略)教育機関の主な役割は、まだ社会的存在として完成しきっていない子どもたちを社会化すること。だけど短歌や詩というのは、それに対してベクトルが逆なんだから。教えようとしても価値観が逆だから、「先生、さっきまでと言ってたことと、ベクトルが違う」みたいな話になる。

・短歌や詩に必要な情報(P39~41)

(「あっ今日は老人ホームに行く日なり支度して待つ迎えの車」(相澤キヨ)という歌の「あっ今日は」を例えば「火曜日は」等、より社会的で具体的な言葉に替えると、歌の良さがなくなってしまう事を例に挙げて)

「あっ今日は老人ホームに行く日なり」っていうのは小さな死の感覚です。(中略)「あっ今日は老人ホームに行く日なり」から感じられる危ないところだったって感覚が、「火曜日は老人ホームに行く日なり」にはない 。ここからは死すべき運命の共有が感じられない。「火曜日」とすることで死すべき運命を背負った個人の肉声ではなくて、社会化された情報になっている。純粋に個人的な体験である死の慄きにこそ「生きる」感覚が宿るのであって、万人が「生きのびる」ために有益な情報は短歌には不要なんだよね。

(中略)

僕らはみんな、死すべき運命を共有している。だから、それによって照らし出される歌を読んで、会ったこともないおばあさんのことを思い出したり、女の子の部屋がぐちゃぐちゃさを想像したり、千年前の人の気持ちがわかったりする。短歌の価値、面白さっていうのは、そこに宿っていると思う 。

 
・ラベリングをしない(P49)

(「少年の君が作りし鳥籠のほこりまみれを蔵より出だす」(佐藤恵子)の鳥籠を例えば、「金賞を得たる絵画」とか「大好きなおかあさんの顔」に替えると、歌の魅力がなくなることを例に挙げて)

これはつまり、ラベリングなんです。金賞を得たというこの世の価値が、それ以上の価値をせき止めてしまう。同様に子どもに「だいすきなおかあさんのかお」という絵を描かれて「嬉しい」という、その母として当然の感情が、「それ以上の感情」をせき止めてしまう。でも短歌は、それ以上の感情を求めるものなんです。

・詩人≒反社会的な存在(P109~110)

世界には人間以外の動物もたくさんいる。でも社会にはいない。そこには人間とペットと家畜がいるだけなんです。だから、詩歌は人間に対する異議申し立てをする痛烈な武器であり、批評のツールなんだけど、いかんせんそのツールを駆使できる人が社会的にダメな人ばっかりなんですよ。(中略) 実際にどう生きるかということは別として、言語レベルで、社会と世界はイコールではないんだと、世界というのは人間だけが構成員じゃないんだということを痛感するとか。そういうことを、はっきり言語で抑える事って重要だと思います。(中略)いかに社会的な枠組みが僕らを追い詰めるかということを知っている方が、詩歌も分かるんです。

・定型は意識するためにある(P135)

(「銀杏が傘にぼとぼと降つてきて夜道なり夜道なりどこまでも夜道」(小池光)を例えば「銀杏が傘にぼとぼと降つてきて夜道なりけりどこまでも夜道」とすることで短歌の5・7・5・7・7のリズムに近づくことができるが、歌の魅力はなくなることを例に挙げ)

本来的には、短歌の根源的な特徴は57577であるということなので、そこにはどれだけこだわってもこだわりすぎることはないわけですね。(上記の歌を)短歌の形に戻すのは簡単で「夜道なりけり」にすれば定型になる。だけど、じゃあそのほうがいい歌なのかと言うと、どうもそういう気がしない。57577は守るためにあるんじゃなくて、意識するためにある。作るときも読むときも。

・共感する歌にある仕組み・特性(P141)

(「砂浜に二人で埋めた飛行機の折れた翼を忘れないでね」(俵万智)の埋めたものが「飛行機の折れた翼」ではなく「桜色のちいさな貝」のほうが、経験者が多そうで、共感を得られそうなものだが、そうはならないことを例に挙げて)

いきなり共感を目指すと上手くいかない。驚異ってぼくは呼んでいるんだけど、一回ワンダーの感覚に触れてそこから戻ってこないと。ワンダーからシンパシーですね、驚異から共感。砂時計の「くびれ」みたいな驚異のゾーンをくぐらないと共感をゲットできないという、普遍的な法則があるみたいですね。

・定型詩を詠むときのコツ(P155)

なんとなく素敵そうなことを詠むと失敗します。いろんなやり方があるけれども。人には言えないこととか、すごく恥ずかしい自分だけが抱く欲望やイメージを書くとか 。(中略)いい短歌はいつも社会の網の目の外にあって、お金では買えないものを与えてくれるんです。

・ちょこっと解説

 ・本書内では繰り返し「社会的価値が薄いものは詩になりやすい」とか「美しさには、社会的要素がない」といったことが述べられている。

・定型詩におけるリフレイン(同じ言葉の繰り返し)は、定型詩の禁忌を破っている。罪を犯してまで繰り返したことによって、無限に繰り返されるような感覚が呼び起こされる。

・俳句や短歌にはあまり関係ないが、良い人生とは何かという問題に対して、P93で述べられていた一文が心にしみたので、記しておく。

どんな人生が良い人生なのかを決めることはとっても難しいんだけど、一つの尺度として、「死ぬ日に覚えている思い出が一個でも多い人生が、より良い人生なんじゃないの。そのとき一個も思い出せることがない人生は、ダメなんじゃないの

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亀山こうき/俳句の水先案内人
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