夫婦関係|理解し合えない他人との暮らし
私はいつからか幸せを見失っていた。
なにが幸せだっけ、、、なにが楽しいんだっけ、、、なにが好きなんだっけ。
わたしたち夫婦
今時は驚かない方が増えただろう。私たち夫婦は歳の差17歳の夫婦だ。
職場で出会い、夫が42歳 私が25歳の時に結婚した。
控えめで人見知りで物静かだけど私には優しく接してくれて笑顔が素敵で
困った時は最後まで助けてくれる頼りになる人だった。
一方で私の性格というのは親から「結婚するのは難しい」というほど難あり。
意思が強いうえに頑固で人の意見は聞き入れない。
周りを頼らない。人付き合いも苦手。メンタルもぶれぶれ。
そのくせマイペースで人のペースに合わせるのが苦手。
おそらく協調性はないと言われるだろう。
こんな私だった。
こんな私でも人と関わる時に気をつけていることはあった。
「クッション言葉をはさみ言い方に気をつける」「自分の意見は丁寧に伝える」
「自分の意思はぶれないけど相手の気持ちを考える(思いやる)」
「相手のためにできることをする(自分なりに)」
「関係性を上辺だけにせず、ちゃんと向き合う」
どれも私の性格からは難しいものだが、家族や恋人に対しては気をつける努力をしていた。
似てるけど理解し合えない夫婦
夫との生活を続けていくと不満がでてくる。
おそらくどの夫婦でも血のつながった家族でもあることだろう。
私はその不満を「仕方のないこと」と割り切って気にしないようにすることが
苦手でいつも我慢していた。
私都合の不満をぶつけたところで相手は傷つくだけで解決などしない。
そう思って我慢し続けると時に大爆発が起きる。噴火だ。
おそらくホルモンバランスとやらのせい。そう思いたい。
私が不満をぶつけると夫はいつも黙りこむ。何時間でも黙りこむ。
私は夫の気持ちが知りたいのに、向き合いたいのにそう伝えても黙り続ける。
まるで私がいじめてるみたい、、、
話し合いにならない終わりのない会議に嫌気がさした。
伝わっているのかもわからない。改善する気があるかどうかもわからない。
なにも進展がなく、いつも苦しい気持ちのまま会議を終わらせていた。
よく歳の差婚というと年上夫から甘やかされるという話を聞くが
私たちは全くそうではない。対等で甘やかしは一切ない。
過ごしてきた年月など関係ないと悟ることばかりだ。
いつから変わってしまったの
私たちはいつから変わってしまったのだろう。
話し合いができない夫に嫌気がさし、私は話し合うことを避けていた。
「これでいいんだ」という言い訳を幾度となく作り出しグッと気持ちに蓋をしていた。
そのせいか私から夫へ話しかけることが減っていた。
気づいた頃には夫婦の会話がなかったのだ。
なに話してたっけ私たち。なにに興味があるんだっけ?
今日はどんな1日だった?
なにもわからなくなってしまった。
ただなんとなく過ごして毎日が過ぎ去っていく、、、はぁ
このままだったら私たちの未来は暗い。
我慢しながら諦めながら過ごしていくのは嫌だ。
この時はじめて脳裏に“離婚”がよぎった。ショックだった。
話し合うということ
私は意を決して話し合いをすることにした。
これしか解決できない。そう思ったからだ。
休日の夜。私はここ最近感じていたことをひとつづつ伝えた。
「会話がない」「相手のことを思っていない(思いやりがない)」
「それ故に言葉遣いがキツい」
「自分の思い通りの行動や言動を私がしなかった時にいちいちイラつく短気さ」
「一緒に出かけても暗く怖い顔をしていて楽しむ気がなく雰囲気が最悪」
「顔色を伺いビクビクしながら過ごしていること」「自分の気持ちを話さないこと」
「愛情が伝わらない」「このままだと私たちは終わる」
この通りの言葉では伝えていない。できるだけ丁寧に正直に伝わるように話した。
夫はこう言った。
「難しい」
「なにも考えていないわけではない。すごく考えてる。
でも自分の意見を伝えると言い返されて聞き入れてもらえない。
だから言っても無駄。言いたくない。そうなっている」と。
過去にあったのだ。
私が夫の言い分に対して言い訳ではないが自分の考えを伝えたことが。
それを“言い返された”と捉えられてしまったことが。
私はここで諦めなかった。
「話し合いってどういうことかわかる?
相手の意見を聞いて「はい、わかりました」で終わるんじゃ話し合いでもなんでもないの。
他人同士全てを分かり合えるわけじゃない。だからお互いの意見を言い合うの。
それが真逆なことだったとしても質問して少しずつ理解していくの。
「自分の意見に対して言い返された。まただ。」じゃ話し合えてないし
私は言い返したんじゃなくて自分の意見を述べたの。相手の意見の
わからない部分を質問してもすぐに黙るでしょ?それじゃダメなの」
それを聞いて夫は口を開いて言いたいことを話してくれた。
でも、その内容というのはここ最近の夫婦の話ではなく私に対しての不満だった。
理想の家庭像があって私がそれに当てはまらないことをしているから不満だと。
事細かに理想を伝えられた。
私にはそれはやはり思いやりのないもので理想を押し付けられてそぐわないと不満だと言われ縛られるような感覚になった。
ちゃんと考えてる。というのはこの話だったのかと悲しくなった。
妻というのは夫の言いなりになるものなのだろうか?
家庭というのは各々が自立して各々を思いやり、自由に楽に安心して過ごせる
そのような場所ではないのか。
今回もダメだった。
夫の気持ちを聞き出して、夫との距離を縮め、理解し合えずとも
気持ちを知って思いやりながら過ごせるようになる。そう思っていたのに。
私たちはダメなのだろうか。
話し合いを不服のまま終わらせるべく私はボソッと
「嫌なこと、不満に焦点を当てすぎてるのかも私たち。」
「嬉しかったこと。楽しかったこと。幸せに感じたことを伝え合わないことが
根底にあるのかも。」
自分で何気なく話を終わらせるために話した内容にハッとした。
私も夫もネガティブに焦点を当てすぎてどんどん嫌になっていること。
ポジティブに焦点を当てないから何ひとつ思い出せなくなってること。
夫は私に「全てが理解し合えないことではないよ。理解し合えてる部分もあるよ。」
こう言ってくれたのだ。
少しだけ私たちは終わりじゃないと思うことができた。
他人なんだから
私たちは育ってきた環境も教育を受けた内容も全然違う他人だ。
もし夫が考えることを放棄している空っぽな人ならば
私の思考に染めることができるだろう。(夫婦の考えが似てくるというやつ)
お互いがたくさん考え、ちゃんと考えたことだからこそ簡単には意見が折れない。
それって楽ではないけど悪いことではないと思った。
価値観や考え方が同じ という夫婦が羨ましく思っていた。
それが夫婦のあるべき形だとも思っていた。
でも私たちはそうではない。順風満帆になんていかない。
向き合わない、気にしない、適度な距離感それは楽な方法で時に必要なことなのかもしれない。
それでも苦しくても悩んでも自分で選んだ唯一の人と私はちゃんと向き合いたい。
これから理解し合えない私たちの夫婦の形を確立していけたらいいなと私は思う。
あぁ、私はちゃんと夫が好きなのだな。