10代向けなのに、50代にも刺さる本『みえない未来相談室。』
処分しようかと思って本を眺めていた。
この本は、子どもに読ませたいと思って10年以上も前に買ったものだ。
ふと手に持ったこの本の一つひとつの言葉が、今でも私の胸に刺さる。
『みえない未来相談室。』(K.m.p.著)
たとえば、この頁。
10代のころもわからなかったが、自分の未来がわからないのは、今も同じ。
Webライターをやってみたい、と思って2年前に何もわからずに飛び込んだ。
好奇心の赴くままにやっている。
いろいろなクライアントさんとお仕事をしてきたけれど、これからどうなって行くのか見当もつかない。
「書く仕事」が、本当に向いているかもわからない。
ただ、まだやっていきたい気持ちがある。
ずっと迷いながら生きてきて、これが自分の道なんだ、と自信を持ったことがない。きっとこれからもそうなんだろう。
ここで、関係ないかもしれないが、さとゆみさんの言葉を挟む。
「完璧な原稿なんてないからね。だけど、もがきながらも、今日より明日にはよりよい原稿を書けるようにやるしかない」(意訳)と。
完璧な文章がないように、これが完璧な人生なんだ、と思える日はきっとやってこない。自分が今、幸せを感じているかどうかのほうが大切なのではないか。
私は今、幸せを感じている。
何をするにも周りを気にしておどおどしていた子ども時代の私よりも、自分でやりたいことに足を踏み出せるから。
Webライターの前は、外に出てみたいと医療従事者(事務)の仕事をやっていた。その前は、ひたすら著者の原稿入力をやっていた時期がある。
手書きや活字の原稿が手元に届き、文字をパソコンで入力して体裁を整える仕事。あこがれの著者さんの手書き原稿が手元に来たときは興奮したものだ。
こういう文字を書くんだ。大好きな著者さんの文体はこうなんだ。
いろいろな著者さんの文字やデータを入力するのは、本を読んでいるようで飽きなかった。
それがいつからか、電子データをスキャナに取り込んで、誤字を直す仕事に変化した。なんだか時間との戦いで、機械的な感じが嫌になってしまったのだ。
いったん離れた在宅ワーク。やはり私は本や文字に関わる仕事がしたい。
この年でも、自分から飛び込んで行けば道は広がる。
未来が見えないのは不安だけれど、見えないから逆にワクワクするのだ。
50代なのに、いつまでたっても夢見がち。