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(2024.07.10 更新) はじめまして ”Mr.O2” です。1959年生まれ。東京都在住です。仕事以外に街歩きと音楽三昧(聴く、観る、演る)の日々を過ごしています。 心に響く多くの素敵な音楽と出会い、音楽を通じて様々な人達との交流も生まれ、そうした繋がりは私の宝物です。 大学を新卒で入社した広告会社を定年退職し、契約社員としてウェブマガジンの運営に関わった後に、現在は展示会イベントの主催者業務に携わっています。 この年齢になって自分の生き方について改めて考えてい
私のハンドルネーム”Mr.O2(ミスター・オーツー)”の由来について。 私の名前のイニシャルはOOと「O (オー)」が二つです。アルファベットを習いたての小学生の頃、格好付けてイニシャルを書いたら「その丸二つは何なの?」と言われてからずっと封印していました(苦笑)。 時は流れてネットが普及し始めた頃、SNSなどでハンドルネームを使う人が多くなり、自分ならどうしようと考えていました。そんな折にAORブームが再燃して改めてBill Labountyを聞いていたら、彼の作品
[SSD]※ 日々暮らす中で、その在り方や表現などに、妙な違和感を覚えることがあります。何故そんなことになっているのか理解できず、欽ちゃんではありませんが「何でそうなるの?」って疑問に思うこと、ありませんか (例えが古くて分からない方が多いかもw)。 そんな時に「そもそもどうなのか」※ と考えてみると「なるほど」と合点がいくことがあります。 後に解釈が変わるかもしれませんが、違和感を解消するための私なりの考え方(個人的なこだわり?) などについて、ぼちぼちと述べてみたいと
[SSD]※ 今年の関東地方、梅雨明け宣言はまだですが、雨は降れども梅雨っぽくない日が続いています。 さて、小室等の初期の作品で「雨が空から降れば」という名曲があります。 「しょうがない、雨の日はしょうがない~♪」 そう、しょうがないのです。だからお出かけするなら傘をさします。 よく考えれば「しょうがない」ことのはずなのに「何でこんなことになるんだ!」と憤り、抗うことってありませんか。 ましてやそれが自分のせいでもなく、天候のように、どんなに不満に思ってもどうにもなら
[ SSD ]※ あなたは一人で生きているのではありません。 私なんかどうせ独りぼっちだと、鬱々としている人を勇気づける言葉としてよく使われると思いますが、実は社会の中で、傍若無人な振る舞いをしている人を諭す言葉でもあります。 社会的に自立している人ほど、実は他人のありがたみ「お互い様」と「お陰様」の意味を深く理解しているものだと思うのです。 渋谷のスクランブル交差点で、四方から大勢の歩行者が一斉に渡ろうとしても、決してぶつからない様は、とても奇異に映るようです。 満
[SSD]※ 私がnoteを始めたきっかけは、いわゆる「終活」の一環でした。 とはいえ、この記事で私は「終活」という表現は敢えて使っていません。 人生には様々な節目があり、就職や結婚、転勤や転職、定年退職や年金受給などなど・・・その時々に、それ以前の暮らし方を見直さなくてはならないことがあります。その一つとして「終活」があると思うのですが、「終わり=死ぬこと」を前提としているニュアンスを含んでいる気がしてならなくて、めちゃくちゃ違和感を感じていたのです。 実際に平均寿命
[SSD]※ 日々の暮らし中で、その在り方や表現などに妙な違和感を覚えることがあります。今回は「時間」について考えてみます。 時間の流れを「過去」-「現在」-「未来」の順に捉えることがよくあります。過去の因果が現在を決めていて、それが未来につながっていくということ。確かに昨日サボったので、今日の予定がバタバタになるなんて日常茶飯事です(汗)。この体験から時間は過去から現在・未来と時間が流れていると思われます。 ところが一方で「時間があっという間に過ぎ去っていく」とも言いま
[SSD]※ 「時間は過ぎ去るもの」という記事を書きました。 年金受給年齢到達が秒読みの私(汗)、最近は同窓会やらOB会などが頻繁に催されています。その宴席では当然のように過去の武勇伝に花が咲きます。 「あの頃こんなことあったよね」とか「あの時って、こうだったよね」などなど。その出来事があったことはちゃんと覚えていますが、出来事の後先が最近は怪しくなり始めています。しかも同席する仲間達も同じで、話が段々と噛み合わなくなってくるのもしばしば(大汗)。 ほんの数年前までは、
[SSD]※ 普段何気なくやり過ごしていることの中には、実は勘違いをしていることもよくあります。 私の大好きな音楽。そんな音楽と接する機会は色々あります。ラジオや喫茶店などでのBGM、CDショップでのお薦め試聴などで耳にした中で、惹かれる曲があればCDなどを購入するに至ります。ライヴなどの生演奏もありますけど、ここでは割愛します。 音楽というビジネスは、レコード会社がミュージシャンの楽曲を録音して、それを世の中に流通させてリスナーの元に届くという流れです。今時は改めてLP
[SSD]※ 普段何気なくやり過ごしていることの中には、実は勘違いをしていることがあります 先日こんな記事を投稿しました。 暫くしてYoutubeにこんな動画がお薦めであがってきました。 この動画を見て改めて思ったこと・・・ 私たちが買っている音楽とは、シンプルにミュージシャンが創作・演奏した音楽をパッケージにしたものではなくて、レコード会社が様々なプロフェッショナルの手をかけて作り上げた商品なんだと。 確かにレコーディングの過程で、プロデューサーがミュージシャンと
[SSD]※ 地道に努力を続けなければ大きな成果が得られない、そんな意味によく用いられると思います。しかし本当は違うように感じてなりません。 以前にこんな記事を書きました。 地道に努力した結果として大きな成果が得られるように捉えるのは、私は間違いだと思うのです。確かに相関関係はあるとは思いますし、努力の必要性を否定するつもりはありません。ただ大きな成果を得るためには、もっと必要なことがあるように思えてならないのです。 今や世界的なヒーローと言えるMLBの大谷翔平選手も、
[SSD]※ 元々の意味を考えると違うのに、全く逆の意味で使われている言葉があります。 「てきとう」を「適当」と表すと「適して、当てはまっている」ということで正しい事という意味だと思うのですが、言葉にすると「テキトー」として、いい加減に扱うことのようにしか伝わりません。 例えば職場で「あの案件、処理してくれましたか」と問われて、「はい、適当に処置しておきました」と返事したら、「お前は何をしているんだ」とお説教が始まります。「いや、そんな意味では」などと釈明しても通じません
[SSD]※ ビジネスでも日常生活でも「そうぞうりょく」が求められると思っています。 どこか格好よい「創造力」クリエイティヴ。ところがこの創造力は、そもそも備わった才能やセンスが必要で、凡人の私にはどうしようにも無いことかと(涙)。 ところがこちらの「想像力」はどうでしょうか。あれがこうなったら、こうして、どうやって・・・とイメージする。実は普段何気に想像力は使っているはずです。 たとえば料理をするにしても、この順番で準備すれば効率的に調理できるなとか、この調味料をこう
[SSD]※ 普段何気なく使っている言葉も、よくよく考えると色々と感じることがあります。 日本はモノ作りが得意と言われてきました。「道」と言えるほどに技術力を昇華させて、心を込めて作るモノの完成度の高さは、今でも屈指のものだと思います。 その背景には、単にモノをつくつているだけでなく、そのモノにより実現するコトに意識が及んでいることがあると感じます。 よく言われる例えですが、自動車メーカーは単に車という物を作っているのではなく、移動手段としての車、さらには物を運ぶための