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2024年下半期の読書の記録とほんの少しのメモ

6月

  • フォークナー『響きと怒り』(高橋正雄訳、講談社文芸文庫)

  • 荒川洋治『詩とことば』(岩波書店)

  • 【再】乗代雄介『旅する練習』(講談社)

海外に行く時は、その国の作家の本を持って行くことが多い。
フォークナーを選んだのは、昨年出版された中公文庫版の短編集『エミリーに薔薇を』に併録されていた中上健次のフォークナー論を読んだからで、『響きと怒り』を選んだのは飛行機で読むのには程よいボリュームだったからだった。
「フォークナーの衝撃」と題された講演の中で、中上健次はフォークナーの小説を「歩くということ」「噂をするということ」「すいかずら」という3つの要素で解説している。とても短い講演録なので、あまり掘り下げられてはいないのだけれど、自らの小説と結びつけた語りがおもしろい。

他人というのは、俗に言う自己と他者とかいった単純なものじゃなしに、こういうマグマとして、視線のポリフォニーとして出来上ったジェファソンの白人社会のかたまりみたいなものの中に、例えばジョー・クリスマスみたいな人物が入っていく。これが他者なんですね。他人です。そういう異族という他者の発見。そういう異族と行きかう、あるいは異族に蝕される、また異族を排除したいというようなさまざまな動きが起こる。そういう大きな形がある。たぶん、この異族の発見ということは、黒人文学の南部なんかより遙かに、やっぱり僕はフォークナーが描いた黒人の方になまなましく感じたりする時があるんです。

中上健次「フォークナーの衝撃」

『詩とことば』は、岩波書店から約20年前に刊行された「ことばのために」という叢書のなかの一冊。
4月ごろに『アラザル 16』に書いた原稿で、やはり約20年前に翻訳出版されたエドワード・W・サイード『パレスチナ問題』(杉田英明訳、みずす書房)について少しだけ触れた。それもあって、20年前に他にはどんな本を読んでいたっけ?などと思いながら、昨年来続けているさよならの儀式(=本棚の整理)で出てきたのが『詩とことば』だった。奥付には「2004年12月16日第1刷発行」とあった。

これまでの現代詩は「時代という愛情」に包まれていた。戦争があり、闘争があった。政治の季節には政治があった。意見の合わない旧世代があった。まわりにいつも壁があった。ことばを出していれば、それが詩でないものでも、あまりしっかりとは書かないものでも、時代のあとおしで詩になった。詩を支えるものが自動的にはたらいたのである。詩をとりまく愛情は分厚いものだった。そのため、詩とは何であるか。それを考えなくてもすんだのである。いまは時代もたたかう相手も鮮明ではない。読者もいない。何もなくなったのだ。

荒川洋治『詩とことば』(岩波書店)153−154頁

同シリーズは他に、加藤典洋『僕が批評家になったわけ』、関川夏央『おじさんはなぜ時代小説が好きか』、高橋源一郎『大人にはわからない日本文学史』、平田オリザ『演劇のことば』、そして5人全員の短い論考をまとめて収録した『ことばの見本帖』がある。シリーズの巻末には「ことばのためにのために」と題された短い文章が載っている。

どんな時代でも、ことばは「すじこ」を「いくら」にほぐすときみたいに、わたし達を「ひとりひとり」にばらしてくれます。孤独にする。それがことばのよいところです。

加藤典洋「ことばのためにのために」

これを書いた加藤典洋はもう亡くなっている。20年という時間の経過を思う。

『旅する練習』は再読。1月に文庫化されたので、ハードカバー版とのさよならの儀式で読み直した。やはり、とても良かった。

6月29日、梁石日が亡くなる。

7月

  • 朴裕河『帝国の慰安婦』(朝日文庫)@往来堂書店

  • 中上健次『異族』(講談社文芸文庫)

  • M・バルガス=リョサ『密林の語り部』(西村栄一郎訳、岩波文庫)

『帝国の慰安婦』は6月の新刊文庫。
天皇杯3回戦を平塚で観た日。その行き帰りの電車内で読み終わった。何か感想のようなものを書いておきたいと思ったのだけど、うまくまとまらないまま時間が過ぎてしまった。結局、書きかけのメモは破棄した。

天皇杯の試合では、スタジアムへの直行バスは出ない。スタジアムへ続く道に選手たちののぼりもない。観客収容人数も制限されているので、スタジアムへ向かって歩いている人もまばらだった。
歩きながら、まだ「コロナ禍」と言われていたシーズンを思い出した。
声出し応援は禁止されていて、スタジアムに響くのは拍手のみだった。ハーフタイムにはマスク着用と黙食が呼びかけられた。「ソーシャルディスタンス」のために隣の席はいつも空席だった。
それは、つい2年前のことだ。その風景をわたしはすっかり忘れていた。不意に思い出したのは、天皇杯の試合が、あの年のシーズンのスタジアムの雰囲気に少し似ていたからだ。

わたしたちはたくさんのことを忘れて生きている。でも、忘れてしまいたくないこともある。
あるいは、忘れていたことをふとした瞬間に思い出すこともある。思い出したときの記憶のほうが鮮明に心に残ったりもする。
そんなときに、なにか記録しておきたいと思う。
もう一度、忘れることがないように。
そして、もう一度、忘れることができるように。
そんなことを思った。
そんなことを思ったのは、『旅する練習』と『帝国の慰安婦』を続けて読んだからかもしれない。

『異族』6月の新刊文庫。価格は3500円だった。衝撃。

7月末にブラジルへ行った。
ブラジル人作家の本は持っていないので、『密林の語り部』を持って行った。
地球の反対側はひたすら遠かった。

8月

  • M・バルガス=リョサ『フリアとシナリオライター』(野谷文昭訳、国書刊行会)

  • 劉慈欣『三体』『三体Ⅱ 黒暗森林』『三体Ⅲ 死神永生』(立原透耶監修、大森望、光吉さくら、ワンチャイ訳、早川書房)

文庫化されたので慌てて積読本を読むことがある。
ここ最近だと、ミラン・クンデラ『冗談』(みすず書房→岩波文庫)、ウンベルト・エーコ『パウドリーノ』(岩波書店→岩波文庫)、J・G・バラード『千年紀の民』(東京創元社→創元SF文庫『ミレニアム・ピープル』に改題)は、そんな感じで慌てて読んだ。
海外文学作品は(たぶん、あまり売れないから)文庫化されることがないので安心して積んでおくのだが、河出文庫ちゃんや、ちくま文庫くんや、岩波文庫さんがいつの間にか文庫化することがあるので気をつけないといけない。文庫化されるまで積んでしまったら負けだとわたしは思っているので、読まないわけにはいかなくなる。
『フリアとシナリオライター』も、昨年まさかの文庫化を果たしたことで、わたしは敗北したわけだが、『密林の語り部』からの波に乗って一気に読んだ。少しずつ辻褄が合わなくなって破綻していくラジオドラマパートは筒井康隆みたいだった。

夏休みには『三体』を一気読みした。
今年の夏は「戦争文学」を読まなかった。

9月1日、佐々涼子が亡くなる。

9月

  • 有吉佐和子『日本の島々、昔と今。』(岩波文庫)@丸善日本橋店

  • 【再】島田雅彦『植民地のアリス』(朝日文芸文庫)

  • 毛利嘉孝『ストリートの思想 増補新版』(ちくま文庫)@丸善メトロ・エム後楽園店

『日本の島々、昔と今』は岩波文庫「2024年夏の一括重版」の一冊。
何気なく買った本だったが、今年は「旅」とか「移動」ということについての本をたくさん読んだような気がする。
屋久島を訪れる回で、林芙美子の『浮雲』についてごく短く言及される。国境がテーマの旅ルポの本筋とは関係ないところだが、林芙美子と有吉佐和子は少し似ているような気がする。2人とも、女性で、流行作家だった。
重版帯には「〈いま〉読んでおきたい」とあったが、『日本の島々、昔と今』の内容はout of dateな感じがする。でも、そうやって、書いたものがすぐに古びてしまうのは流行作家の宿命なのかもしれない。
でも、「なんか少し古いんだよなぁ」と思いながら読んでいると、変化に気がつくことがある。「昔」によって「今」が鮮明になったりする。それはとても愉しい時間だ。その変化を知るためにこそ、古びてしまった本を読む意味はあるんじゃないかとさえ思う。
古い本がまだ新しい本だった時代を想像してみる。
そして、新しい本が古びてしまう未来を想像してみる。

有吉佐和子が島々を巡ってから、約10年後、島田雅彦もまた日本の島々を訪れた。そんなことを思い出して、再読したのが『植民地のアリス』だった。
読み返すと言っても、中学生の頃に読んで以来なので初めて読む本のようだった。
有吉佐和子が対岸から眺めることしかできなかった択捉島に上陸した回が特に面白かった。

『ストリートの思想』は8月の新刊文庫。
書き足された「増補 ストリートの思想二〇二四」だけ読んだ。

10月

  • 【再】エドワード・W・サイード『オリエンタリズム 上下』(板垣雄三・杉田英明監修 今沢紀子訳、平凡社ライブラリー)

  • 鶴見和子『南方熊楠』(講談社学術文庫)

『アラザル 18』の原稿の準備として、『オリエンタリズム』を再読した。
原稿では、一冊の本を読みながら、いくつかの別の本へと数珠つなぎのように何かが繋がっていく感覚を言葉にしてみようとした。
「どこかへ出かけたあとで、何かを書く」ということに関係する本を今年は何冊か読んだので、まさに旅の記録のようなイメージで書き始めた。
断片的なものの中に自分勝手に連続性のようなものを見つけていく過程を書きたかったのだけど、あまり、うまくいかなかった。

『南方熊楠』も原稿のための資料として読んだ。必要なところだけ読むつもりだったけれど、とてもおもしろかったので通読してしまった。さすが毎日出版文化賞受賞作だけのことはあるじゃないか!

11月

  • 東浩紀『観光客の哲学』(ゲンロン)@往来堂書店

  • 橋本倫史『水納島再訪』(講談社)

  • 関川夏央『砂のように眠る 私説昭和史1』(中公文庫)@往来堂書店

11月中旬にアラザル用の原稿をなんとか完成させた。西中賢治さんはいつも褒めてくれる。うれしい。

『観光客の哲学』と『水納島再訪』は、原稿では特に触れなかったけれど、ずっと座右に置いていた。

『砂のように眠る』は11月の新刊文庫。
小説と評論を交互に置くスタイルで書かれた「昭和史論」とでも言ったら良いのだろうか。このスタイルは、いつか誰かが真似しそうな気がする。

12月

  • ジョン・スタインベック『チャーリーとの旅ーアメリカを探してー』(青山南訳、岩波文庫)@往来堂書店

  • 林芙美子『トランク 林芙美子大陸小説集』(中公文庫)

『チャーリーとの旅』は11月の新刊文庫。
1960年にスタインベックが愛犬のチャーリーと合衆国をぐるりと一周した旅の記録だ。それはケネディとニクソンによる大統領選挙の直前だった。ソ連との冷戦下にあって、その年の大統領選挙は歴史的僅差でケネディが制したこと、のちに選挙不正の疑惑が残ったことでも有名だ。
generationの単位で言えば、2つも遡らないといけないくらい前のアメリカ合衆国では、ロシア人は蔑称のように使われていて、黒人差別が吹き荒れている。あれ、いまと変わらなくない?
旅の終わりで、スタインベックはこう書いている。

わたしの旅は、出発するよりはるか前にはじまり、帰還する前に終わった。

ジョン・スタインベック『チャーリーとの旅ーアメリカを探してー』(青山南訳、岩波文庫)四一九頁

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