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認知症の母 リハビリ病院で「寂しい」と訴える
2024年8月下旬に脳の血腫(慢性硬膜下血腫)の手術を受け、約1ヶ月後にリハビリ専門病院に転院した母。手術をした病院ではほとんど寝たきりでしたが、リハビリ病院ではしっかり歩けるようになるための歩行練習、筋力強化練習、基本動作練習…等、日中は様々なリハビリで忙しい毎日を送るようになりました。動くようになり、多くの方に接するようになれば、少しは母の状態は少しは良くなるのではないかと思ってました。
リハビリ病院に移ってからも病室のテレビをつけ、イヤホンで音を聞くことはできず、作業療法士さんが母が好きそうな旅行のガイドブック等を用意してくれましたが、本を見ることにだんだん関心を持たなくなり、自分の名前をひらがなやカタカナで書くのも難しくなっていました。原因が血腫が大きくなったせいか、認知症が進行したせいかはわかりません。
主治医に相談し、血腫がこれ以上大きくならないための治療について、セカンドオピニオンを受けようとしましたが、まだ治療実績は多くは無い、全身麻酔をしないと受けられない治療とわかり、91歳の母がその治療を受けるのは困難と判断し、見送りました。セカンドオピニオンは実費となるため、紹介いただいた病院では2万円以上かかる、事前に医療データを私が病院に届けないとならない等、負担が大きかったこともやめた理由のひとつです。
血腫の影響が出る前の母は、デイサービスでスタッフや他の利用者とコミュニケーションをとるのを楽しみにしていましたが、入院後の母は自分から話かけることはなく、他の患者さんも基本的には他人とは距離をおいている方がほとんどで話しをする機会は無く、母に話しかけるのは病院のスタッフのみのようでした。でした。
リハビリ病院入ってから1ヶ月半頃に見舞いに行ったら、フロアのレクリエーションが始まるところでした。病院のスタッフからご家族も見学なさってくださいと言われたので、母の作業する様子を見ていましたが、何をどうすればよいのか分からず「わからない」と何度も言います。スタッフがつくった野菜の形のハンコに絵具をつけ、紙に押し付けるという簡単な作業ですが、マネて行うことができません。結局、私が横から手を添え、一緒に作業をし、なんとかハンコ画を完成させました。
今度は「お名前を書きましょう」と言われましたが、母はできずに茫然としています。スタッフが紙に母の名前を書き、これを書きましょうね、と言ったらようやくペンで、自分の名前を書きうつすことができました。
血腫の影響がでる前は、こういったレクリエーションにはすすんで参加し、面白がっていたのですが、母の現状を目の当たりにしてショックを受けました。母は以前の母ではない…。
入院後ニケ月目の病院スタッフとの面談では、入院していてもこれ以上の回復は見込めないこと、次の入所先を決めほしいと話しがありました。治療ではなく、生活ができる施設に移った方が良いとのアドバイスもありました。施設の入所待ちをしているグループホームはまだ空く見込みはなく、申し込みをしていた老健2施設のうち、1施設が翌週にベットが空く予定なので、そちらに入所する方向で手続きをすることになりました。
面談を終えてからデイルームで座っている母に声をかけると、「私はずっとここにいないとならないの、寂しい!」と私に訴えました。日中、リハビリが無いときに部屋にいても、テレビも見れずに寝ているなら、カウンター越しにスタッフから患者の様子が見える、デイルームで過ごすようにお願いしていました。母の机の上には私がプレゼントした猫の写真集がありましたが、見ていた形跡はありません。
スタッフがいるのに、自分は一人きりで放っておかれている、と母は感じたようでした。面談前に見舞い(15分間)を済ませてしまっているので、母のそばに居続けることはできません。スタッフに「母が寂しいと言っています。」と伝えたところ、「ちょうどこれからリハビリが始まります。」と返事がありました。
自発的に何かをすることはできない、やり慣れないことは全く受け入れられない、けれども取り残されている寂しさは感じている…、病院でこれ以上母が過ごすことは酷だと分かりました。リハビリ病院から直接、グループホームに移ってほしいと思ってましたが、まずは環境を変えないと、とりあえず老健に移るしかない、と感じました。
12月に入りすぐに、母は老健に入所しました。その翌日から、思わぬ事態が続くことに…。激動の12月については次回「認知症の母 とうとう運に見放される?!」で。