見出し画像

私の「あの人香水くさい」は大丈夫ですかね

匂いは本当に大事で、古今東西やれいい匂いだの臭くてかなわんなどの話題が消えることはない。最近では清潔感の象徴としての地位がいよいよ強くなってきた。

だからとにかく匂いで人に不快な思いをしてもらいたくない。でも自分の好きな匂いに包まれてなんだか気持ちよく過ごしたい。香水が好きなので10種類くらいの香水を時と場合に応じて使い分けている(もちろん飲食店に行くときは付けなかったり、人工的な匂いが苦手な相手の前ではしていない、念のため)。

匂いーー今回は香水のーー問題には色々あるのだけど、いま一番気になっているのが「自分の付けた香水が強すぎないかどうか」だ。体感的な匂いが仄かな香りでも、周りにいる人が「うわぁ、あの人香水つけすぎて臭い」ってなったら良くない。

というわけで、私は10数年友達をしている仲の良い女友達に聞いてみることにした。その女の子とはひとつの季節に1回のペースで会って、私か彼女の家で映画でも流しながら8時間くらい話す間柄だった。

彼女は男性にも女性にも恋愛感情を抱かずまた性欲もないらしいので、2人で家にいても不必要に微妙な緊張感に包まれることはまったくなかった。私は異性愛者だが彼女に対して恋愛感情は持っていないし、彼女もそれを知っていた。何でも話せる友達だった。そういう相手がいるってありがたい。

だから私は彼女の前で香水を付けて普通に聞いた。

「今つけた香水の匂いって強い? 首にも付いているから僕の体感的にはすごく強いんだけど、そこから匂いする?」

私は立っていて、彼女は1メートルくらい離れた場所にあるテーブルの椅子に腰掛けていた。

「付け始めが一番匂うって聞くけど、正直ほぼまったくわからないよ。言われてみればほのかに匂うかなぁくらい。あおくんが思ってるよりまったくしないよ」

「本当に?」

「うん、本当に。あとそれいい匂いだね」

よかった。普通に安堵した。個人的にはけっこう強い匂いだと感じていたから、体感的な匂いの強さと客観的な強さを計れてよかった。実はこの数日前に、仲の良い男友達にも聞いていて、彼も同じ反応だったのだ。

よかったぁ、と思い椅子に腰掛けしばらく二人で雑談する。30分くらい経ったとき、不意に彼女が「さっきの匂いすごく好みだった、でもやっぱり全然わからないね」と言った。

「そうなの? 付ける量が少なすぎたのかなぁ」と言うと「立ってみて」と言う。

立ち上がると彼女も立った。うん、やはり動かずにじっとしていると匂いはわからないようだ。彼女が「ちょっと待ってね」といい匂いが分かる距離まで近づいてくる。30センチくらいの場所に来て「さすがにここまで寄るとわかるね」という。私は単純に、顔が近いなぁとぼんやり思っていた。

彼女は、「というかその香水やっぱりすごく好みかも」といい、もう少し近寄ってきた。近い。

そしてまた一歩ぐっと近づき、私の首筋に鼻頭と口を押し当て「んすぅーー!!」とすった。それからすごくいい匂いと笑った。

ーーこの子はこれから、けっこう大変な人生を送るかもなぁと思った。

彼女は男性にも女性にも恋愛感情を抱かずまた性欲もないらしい。けれど彼女はそれはたいそう整った顔をしていて、人との距離が近かった。そのせいか、たいして興味のない男の人から異様に好かれ、日常生活に支障をきたすほど面倒くさい体験を何回かしてきたことも知っていた。

ゼロ距離で、私の首筋に鼻頭と口を押し当て「んすぅーー!!」と吸う行為は、あまり一般的ではない。彼女には「自分が触るのは良いけど触られるのは嫌」という独特のルールがあるし、なんとも思っていないからこそできたことなのだろう。

もしかしたらあなたは「その人は実はてめぇのことが好きなのではないかい?」と聞くかもしれない。でも本当に恋愛感情そのものがないらしいのだ。今よりもっと頻繁に、週に1回以上のペースで遊んでいたときも色恋の話にはならなかったし、実際、知り合ってからの十数年、彼女に相手はいない。

ーーこの子はこれから、けっこう大変な人生を送るかもしれない。

「んすぅーー!!」があったからといって何が変わるわけではない。でも、その世界との距離感はきっと不都合が多いはずだ。

「んすぅーー!!は今後やめたほうがいいかもね」と私は言った。間を置かず「なんで?」と裏のない澄みきった目で聞いてくる。

いや世界との距離感が……と言いかけてやめた。彼女には彼女のルールがあるのだ。

「あおくんだからしたんだよ」とふいに彼女が邪気なく笑う。

ーー目眩がした。世界がくにゃりと歪んだ。部屋が不穏な緊張感に包まれる。モテる男への道はまだ遠い。


いいなと思ったら応援しよう!