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七番目のデート
誰かが死ぬと、全然違う人のことを思い出す。〇〇さんが亡くなった、ではなく、〇〇が死んだ。と言える距離感の相手だと特に。10年ぶりにバスでばったり会って当たり前のように隣りに座ってたくさん話した希帆ちゃんのおばちゃんのこと、幼い頃に引っ越しして、でも大人になって突然実家を訪ねてきた鮫島レイくんのこと。
思い出すのは生者に限らない。死者も生者も入り乱れる。誰かと切り離されたのに、他の誰かとの過去のつながりが浮かぶ不思議。そういえばモリタ・モリエッタ元気かなぁと、数年前に飼っていたヤモリを思い出した。
3月の頭、季節を先取りしたピクニックが案の定寒すぎてレジャーシートを諦め、公園の中の、森のような空間を異性と歩いた。歩いて、森の中にあるベンチに腰掛けた。近くで大きく軽い石の下からヤモリを見つけた男の子が、お母さんとおぼしき保護者に「家につれて帰ってもいいでしょ」と何度も懇願している。けれどその家の方針としてーーというより保護者のかたは単純に爬虫類が怖かったようなのだけれどーー男の子の要望は却下された。その、却下の受け入れかたが慣れている子どものそれだったことに心を痛めたからか、となりの異性が嘘みたいに立ち上がって、その子にヤモリの引き取りを申し出たのだった。あなたの望みをあなたの望む形で叶えることはできないけれど、拒否からの緩和はできる見知らぬ大人もいると伝えたかった。のちに異性はそう教えてくれた。
私達はお互いの好きなエッセイに出てくるヤモリ「守屋」と「モリエッタ」から名前を拝借して、モリタ・モリエッタと名付けた。今急にそれを思い出した。そして、あぁあれは7番目のデートだったなぁと思った。順番なんて考えたこともないから、1番から6番目のデートはないし、7番から10番目のデートも存在しないけど、あれは確かに7番目のデートだったと。
半年ほどたって異性はいなくなり、私とモリタ・モリエッタはそれから1年一緒に過ごした。遠くに住んでいる甥がどうしても引き取りたいと言ってきて、私の前から消えた。今元気かどうかはあえて聞いていない。
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ベランダの窓を開ける。左手にメダカの水槽が置いてある。中ではいつもどおり「牧紳一」と「ウサインボル子」が泳いでいる。「影武者」がその名のように少し前に消えてしまったのが悲しい。そういえばこの子達も、7番目のデートの異性がきっかけで家に来たのだった。近くの小学校からは声が聞こえる。家の近所を4年間、毎日5時間くらいかけて歩いている四肢の不自由な男性は今日も気高く歩いている。きっと見知らぬ誰かの投影達を勝手に背負わされながら。
誰かが死ぬと、全然違う人のことを思い出す。距離感の近い相手だと特に。でもその人のことも思い出す。持ち歩かれるオカリナが世界から一つ減り、その手によって運命を変えられる生き物は介入のない生をまっとうするのだろう。わざわざ電話をかけてきて、教えてくれなくても良かったんだけどな。
2つ前の夏に祖母が死んだとき、お葬式で私が孫代表として思い出を語った。本当は祖母と一緒に住んでいたいとこが話すはずだったのだけれど、号泣してとてもそんな状態ではなかったのだ。よどみなく祖母との思い出を話しながら、こんなもの形だけだと思った。右側で座って嗚咽しているいとこの姿と、それを慈しむように眺めている祖母の近所の友人たちで、すべてが完結できていた。式の体裁を保つためだけの、蛇足極まりないスピーチをしているとき、私は誰かに愛されたかった。愛されて、思いきり抱きしめてほしかった。腕じゃなく容易く人に明け渡さない胸の奥深くで。
誰かが死ぬと、全然違う人のことを思い出す。今日は誰かの幸せを願ってはいけない。今日の願いは、自分の存在意義を他人でもって確認するそれになってしまう。
スピーチのあと、号泣するいとこを大勢が囲んでいるのを尻目に、私は外に向かって歩いた。名前もうろ覚えな親戚がわざわざ追いかけてきてくれて、スピーチをとても褒めてくれた。こういう人でありたいなとは思った。あなたの望みをあなたの望む形で叶えることはできないけれど、少し緩和できる見知らぬ大人もいると伝えてくれるこの人のような。
けれど今日はそれでは足りない。古い鍵穴から目を凝らして部屋を覗く証人ではなく、部屋の中の、祝福される子どもになりたかった。
今日は誰にも愛されたかった。