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あなたの身近の「主役の人」たち

わたくしたちは主役の人

身近な主役の人

その人が映画の試写会で監督に質問をし始めてから4分が経っていた。

30人ほどのお客でいっぱいになるその映画館は作り手の温かい雰囲気が何年もかけて染み込んでいて居心地が良く、私は何度も通っていた。

その日もとある映画があり、監督が来るということで観に行ったのだが、試写会が終わったあとに「せっかくだから」と映画に関する質問を受け付けてくれた。2人ほどが質問し、時間が押しているので最後の質問にうつるという声かけの後に手を上げた女の人が、思いがけず長く話し始めたのだった。

その人は監督に関する質問ではなく映画を観た本人の感想を話しはじめた。意地が悪いところのある私は彼女が質問し始めてすぐあることにピンときて、質問のような感想の時間を計り始めた。

そして感想が2分を過ぎたあたりで確信した。この人は「主役の人」だと。

人生の主役と世界の主役

主役の人とは、近ごろ私の周りで流行っている言葉で、文字通り主役のような言動/行動を取る人のことだ。いわゆる空気が読めないや自分が世界の中心と思っている人とは少し違っていて、本人に自覚はおそらくなく、ナチュラルに主役のように振る舞っている。意図的にではなく自然体で自分のスタイルや考えを貫いているが故に主役のように見えるのだ。

彼女は質問時間がおしていることに気づくことなく(そして周りがちょっと辟易していることにももちろん気づくことなく)自分の世界観に基づく感想を監督に伝えていた。

感想が5分を超えたとき、司会を務めていたアナウンサーにしっかりめに「もう時間がないので終了にします」と感想を中断されていたのだが、私は一緒にいた、恋仲になりたい女の子とちょっと感動していた。悪気なく、周りを気にするという発想そのものがない主役の人は、いっそ清々しくあるのだ。主役の人だったね、と笑い合って映画館を後にした。

それから珈琲でもという話になり、人通りの多い、大きい商店街のアーケードを歩いていたら、混雑した道の真ん中で一人の若い男の人がとてもかっこいいポーズを取りながらスマホの画面を見ていた。新たな主役の人だった。

私達は彼から目が話せなかった。目抜き通りの遠くの前方で彼を見つけてから通り過ぎてその人が見えなくなるまで、彼はずっとスマホの画面を見続けていた。通行人はもちろん彼を避けて歩かざるを得なかったけれど、彼はそんなことまったく気にもかけないのだろう。

喫茶店に入り、恋仲になりたい女の子と今日出会った主役の人たちについて話した。その人も私も、映画館で仮に質問するときは端的に話すしアーケードのど真ん中でスマホを見たりしないので、「主役の人ってかっこいいよね」と、嫌味も含みもない、憧れの感覚を共有しあった。

主役ではない人からたまに噂される以外のデメリットは一つもない。主役の人になるには天性の素質があればいい。それもまた私達をぽぉっとさせた。

脇役の夜道

私達はどちらも主役の人ではなかったけれど、自分の人生の主役ではある。主役の人についてのエピソードでとても盛り上がったし、共通点も見つけた。

私達はお互いの人生の主役なのでは? そう思った私は彼女と恋仲になるため勇気を出して告白し、無事に振られた。私は彼女の人生のいち脇役のようだった。そりゃそうだ、あえて伏せていたけど、二人で街中を歩いていたときの彼女のパーソナルスペース、1.5メートルあったもの。つらい。

ーー夜。失恋直後の私は泣きながら夜道をひたすら散歩していた。遠くの夜道をおんぶして歩いているカップルを見かけた。

主役の人たちだ、と一瞬頭をよぎったけど、すぐにあれはただの仲の良いカップルだと気づく。悲しくてまた涙が出た。泣いている瞬間だけは、人はみな主役になれるのだなとふと思った。

悲しくて悲しくてとてもやりきれない人生をchange for goodと思った。モテる男への道はまだ遠い。

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