「やりたくないこと」は繋がっている
私は、noteを書くときに
必ず、自分の「やりたくないこと」を
先に行うことを習慣化しています。
noteを書くことは
楽しいことです。
だからこそ自分の気持ちの
バランスを取るために
何か「やりたくないこと」一つに
手を出します。
それは、例えば
行きたくない散歩だったり
面倒な何処かでの手続きだったり
溜まった洗濯物だったり
忘れていた部屋の掃除
などなど
「やりたくないこと」を行うことは
日本で生まれた精神療法「森田療法」にも
繋がると感じます。
私も自然体でnoteを書きたいと思います。
「あるがまま」でnoteを書きたいのです。
しかし、瞑想や坐禅のように
意識を集中させるモードに入るほどに
必ずと「雑念」が生まれてきます。
これがまた邪魔な存在なのです。
「雑念」というのは「やりたくないこと」も含まれます。
その「雑念」を「あるがまま」に受け止めて
行動に移すことを森田療法では「恐怖突入」と言います。
私も心配なことがあると
じっとしていることが居た堪れなくなる時もあります。
それは脳の「扁桃体」(危険を察知する脳)が
自分に警戒アラームを鳴らしていることだそうです。
私にとって、この「扁桃体」を抑える方法はたくさんあります。
その一つが「やりたくないこと」を片付けることになります。
人間は幸か不幸か、一度に三つ以上のことが頭にあると、気持ちがいっぱいになってしまいます。
「やりたくないこと」はまさに三つの中の
一つをクリア(空)にすることにつながります。
何かを片付けることは
新たな何かを(特に好きなことを)始めるのには、格好のスタート台になるはずです。
私はnoteを書くに当たって
記事のネタや内容を集めることはあまりしません。
感じたことをノートに少しメモって
それに対して考えを書きながらアーカイブしてゆくのです。
私も含めて、noteを書けない時というのは
「書くネタがない」というより
「やりたくないこと」が溜まって
書きたいことを見失っている時が多いと
感じます。
(もちろん、気がかりなことが
あることもありますね)
だから、もしnoteを開いても
何も浮かんでこない場合
ぜひ、この「やりたくないこと」を
一つでも片付けることをお勧めします。
人間の思考とはシンプルだと思います。
そう考えると
記事を書くのも
そんなに構えなくても良いのでは
ないかと考えられます。
もっと気楽にnoteに書いても
良いのではないでしょうか・・・?
今回は「やりたくないこと」について述べました。ちょっとでも、皆さんの気づきになれれば
幸いです。
今回はここまで
では また
おわり
yumenotamagoさん素敵なイラスト
ありがとうございます。
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