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「楽しい」を感じる

金曜は「訪問看護」の方が来てくれました。
土曜は「定期通院」でした。
どちらも、私の生活全般を維持してゆくこと
にとってとても大切なものです。

昨日はぐっすり眠れました。
朝はシャワーを浴び
朝の散歩の出て
それから少し「朝活」をしました。
(漢字練習など学習です・・・)

よく、訪看さんが来た時の
話題になるのですが、
私たちのようにメンタル疾患に罹患すると
日常にも毎日の生活の判断に
迷いが出てきます。
ひどいと「何をしたらよいか」わからず
フリーズ状態になったり
一日中布団に潜っていたりしてしまう人も
いらっしゃるようです。

私も「生活の習慣」には
気をつけたいとは思うのですが
何せ体調が一定ではないので
行動にムラが出ます。
そんな時はやはり自分にムッとしてしまいます。自分を責めてしまいます。

今まで生きてきて
いろんな本を読んだり
ネットで調べたり
人に聞いたりして
自分なりの「生活の基盤」を
身につけようと
日々精進しているつもりで生活して来ました。

それでも
私たちメンタル疾患の罹患者は
疾患前のようには
元の通りには治りません。
薬や生活療法などで
生活をなんとか営むことができることが
良いくらいです。
(それを「寛解」と言います。自分で自分がコントロールできるという意味です)

私たちは
ふと昔を思い出すと
病気になる前、
「あの頃に戻りたく」なって
つい無理をしてしまいます。
それが極端だとメンタルが悪い方へ
転がってしまう原因の一つになってしまいます。

戻りたくても
戻れない状態。
しかも、日々体調が不安定です。

だから、自分のことを
「受け入れる」こと。
自分の状態を知ることが
各々に求められます。

私は、これまで述べた
生活全般の基盤の「脆弱性」(もろいところ)がメンタル疾患の最大の弱点になるからだと思えます。

そのため
国でもそのような(私のような)人のために
色々な制度や施さくを打ち出してくれました。
昔よりはかなり整備されて来ました。
それは本当に生活する上では
助かることです。
ありがたいことです。

今、私の一番の関心ごとは
「楽しめる時に楽しめること」です。
今まではどうしても「苦しい」生活を
強いられて来ました。ですから
頑張って頑張って「普通になる」ことが
一番の関心ごとでした。

しかし、時代は変わり
法整備も整い、ある程度の
生活しやすさが現実となりました。
多様性も加わり少数派にも
光が差して来ています。
昔のように無理に「普通になるために」頑張ることも
少なくなって来ました。

メンタル疾患であろうが
一生涯苦しいだけの人が
少なくなって来たと私は思えます。
後は、与えられた生活の中で
いかに「楽しい時」を「楽しいと感じる」
ことができるか・・・が焦点となるでしょう。

私たちにとって
「生活」の基盤が整うことは大切なことです。
それに伴い、当事者も「生活習慣」など
改善できるところはたくさんあります。

今日という1日をどう生きるか?
それが一人ひとりに問われていると
感じるこの頃です。

今回はここまです。
最後まで読んでくださり
本当にありがとうございます。

今回はここまで
では また
おわり


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