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「平静の心」について

「アメリカの内科医の父」と呼ばれる
ウィリアム・オスラーの言葉に
「平静の心」というものがあります。

オスラーは医師として
いつ、どんな時でも
「平静の心」を心に保つことが大切だと
言っていたそうです。

翻ってみると
現代に生きる私たち一人一人も
世の中のスピードが早くなり過ぎて
「普段の気持ち」や「自分」というものを
見失いがちな生活をしていないでしょうか?

「平静の心」というのは
人の健康を見る医師だけでなく
今を生きるためにも
一般の人にも必要な
心構えのような気がします。

それでも
人は生きていると
いろんな「災難」に見舞われます。

側から見て、幸せそうに生きている人にも
内心どんな気持ちで生活しておられるのかは
周囲の人にはわかりません。

そんな中を
生きている間で
「平静の心」を保つためには
自分の「精神文化」を
持つべきだと私は感じます。

私の場合に、今困難に直面したら
心の支えになるもの・・・は
2つほど考えられます。

一つは食事をきちんと摂ること。

二つめはnoteを書くことです。

一つ目
私の食事の基本は
「一汁一菜」になります。

最近は、「米不足」の問題に
私も例外なく「直面」しました。
店頭にも「お米」が並んでいません。

「主食」である「ご飯」の代わりに
別なものを考えなければ・・・。
と考えていました。
それは、気づかない無意識の焦りでも
ありました。

なぜなら、それは
「一汁一菜」を気持ちの拠り所にしている
私の心に大きな心の穴を
開けてしまう原因でもあったからです。

昨年の天候で「お米がない」
理屈ではわかるものの
自分でも気持ちが塞いでしまう
状況でした。

ですから
昨日、いつものスーパーで
5kgの「新米」を見つけられた時の
感動は「いかばかりか」わかりません!!
「新米もで初めている。
少し希望が出てきた」と・・・。

自分では自覚はありませんでしたが
「食べ物」「お米」がある安心とは
こんなにも大きんだな〜。と
しみじみ思いました。

これで、私の心の拠り所
「一汁一菜」をお陰様で
心置きなく継続できることができました。

ありがたい!!
ことです。

二つ目は「noteを書くこと」です。

これは、noterさんには
「言わずもがな」なことだと思います。

私はnoteを書くために
本も読みます。
noteの内容が「読書」になることもしばしばです。

以前から
本の世界と現実の世界を
行き来する自分を不思議に思っていました。

どんな時でも
本の内容が変わることはありません。

本には気持ちを鎮める効果があることが
心理学の実験で証明されていると
知りました。

それは、変わらない「本の内容」に
読む私たちが
「自己一致」のような「精神」を感じることが
できるからと
最近、思うように
なりました。

「自己一致」とは
カウンセラーの人がクライアントの方の
話を聞く時の「スタンス」の一つです。

「本」という存在も
そのような効果があると思えるのです。

以上、私の「平静の心」についてです。

「ウィリアム・オスラー」の存在や
「平静の心」について
お知りになりたい場合は
今回参考にした本を
読んでみてください。

「習慣病」の生みの親である
故日野原重明先生が優しい口調で
ご自分の「心の師」である「オスラー先生」のことを
語られています。

今回は
ここまで
では おわり

chikakwhさん
素敵なお写真
ありがとうございます。

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