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死にたい、は、どうして

ほんじつのおもひ
死にたい、の理由はなんだろう


始めて間もないですが、この題に触れようと思います.
「今、気分が不安定だなぁ」「生きたい・死にたいの話は聞きたくないなぁ」という読者さんへ、本記事そのような内容になります.
特に、今不安定な読者さんは、お気を付けください.
もう一点、すみません.長文です.


「死にたい」にも、「死にたいほどつらい」から、「心臓をすぐにでも止めたい」まで色んな段階があります.
昔から一定数あった感情ですし、何歳でも思いうる感情です.
ですが、なんとなく、そんな人が増えているようにわたしは感じます.
実際、統計にも表れていますね.

◆どうして、死にたいんだろう?

それは、「死にたい」人に直接尋ねるよりありません.
わたしは、それをお訊きしたいです.
お聴きしてどうするのか?
それはまだ分かりません、正直に言うと、何もできません.
だからこそ、何かできるようになりたいのです.

自己満足でしょうか.


「死にたいほどつらい」は、場の移動や外部の援助等で、諸悪の根源を絶つことによって、薄れるように仕向けられると思います.

けれどまさに今「死にたい」と、首に縄をまいている人、まこうとしている人は、どうして死にたいんだろう.

そこまでいったら、もはや、「どうして」なんて余裕はないかもしれないですけれど.


自分語りをします.
わたしの「死にたい」は、「死ななければならない」という暗示めいたものです.
自己愛も強く、自尊心も強く、自己陶酔も激しい反面、「生きていてはいけない」「幸せでいてはいけない」が、ずっとあります.
出たり薄れたり、漠然とした不安や恐怖とは20年以上の付き合いです.
その中で、高校3年生のときの、スクールカウンセラー(今の心理士さん)と養護教諭さんとの出会いは大きな変化をもたらしました.
気持ちを他人に話す転機となりました.

人に自分のことを話すようになっても、「死にたい、怖い、助けて」は消えませんし、気分の波も天地ほど.
今でも自傷行為はお守りの行動です(主治医は「まだやっているの」と呆れて苦笑いしています).
(この辺りに関しては、長くなりますし、改めて、それこそ自己満足いっぱいの自分語り記事を書きたいです)

昔の手記を抜粋して書いていたら、さっき書いた「長くなりますし」状態になりました.余談記事としてべっこにします.
ですが、重要な鍵のひとつがそこにありました.
「どうして死にたいかわからない」というような文言が、繰り返し出てきていたのです.
「生きるのが怖い」「幸せではいけない」「人が怖い」「人が好き」「今日は生きていてよかったなって思えることがあった」、そんな揺れる言葉が、手記にはたくさん散らばっていました.


今、「死にたい」と思っている人にも、きっと理由があると思います.
それに、心は、ずっと苦しいかもしれないし、揺れたり戻ったりかもしれないです.

そんな気持ちを持って、どんな思いで、今を過ごしているんだろう、と、案じています、というすっきりしない文章で、この記事は切ろうと思います.

読んでくださったかた、ご気分は大丈夫ですか?
本当にありがとうございます.

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