そこは切るなと自分を制御する
ほんじつのじぶんがたり
自傷行為の思いとどまりかた
こんばんは.
水無月に入って間もないのに、日日いろいろありますね.
ブログ等でも書いている「スワイプ」という曲を知ってからこっち、ずーーっと聴き続けています.
(amazarashi氏. 僕が死のうと思ったのは、も好き)
常連さんや、ネッ友さん、読んでくださるかた、ふらりと来てくださったかたは、いかがお過ごしですか?
けふは、自傷行為に関する内容です.
解決方法ではなく、いち事例です、どちらかというと.
考えに左右されやすい、影響されやすいかたは、おすすめいたしません.
◆りんと自傷行為
わたしは自傷行為をいまだし止められない.
気持ちに収まりがつけられないとき、特定の場所をナイフですぱっといく.
手首自傷、いわゆる「リストカット」を最初にやったのは、中学2年生.
(片仮名で言うのは、すごくすごく……好きじゃない)
思えば中学2年生まで自傷行為がなかったわけではない.
幼少時から壁に頭をぶつけたり、腕をかんだりしていた.
刃物を使い出したのがその年だっただけ.
切るのが手首じゃなくなったのはいつからか覚えていない.
ちょっとでも露出が少ない部分にしようと思ったのがきっかけ.
◆``封印``!
(傍白)……ふ、封印って言い方どうなのよ.笑
手首を切るのを封印した理由は、いくつかある.
かつての上司に自傷行為をやめるよう言われたことや、お仕事でひとと接するのを考えるようになったことなどなど.
だから、なるたけ、手首は切らないようにしている.
切るのが手首じゃなくなっただけで、行為自体は続いているのだから、やめたとは言えない.
今でも、きつくなると、痛みを求めて、やってしまう.
だがやはり手首は特別なようで、身体の別の部位を切るよりか手首を切るほうが、すっとする.
同じ自傷行為で、痛みも流れるものも同じなのに不思議だ.
◆とめかた
あくまで、わたしの場合.
あくまで、「手首を」やらないための方策.
わたしが手首をすぱっといきたいときは、たいてい、見境なくして衝動的になっているとき.
具体例を挙げれば、飲酒しているとき、相当追い詰められているとき.
自分を制御できないとき、「てくびをきりたい」気持ちでいっぱいになる.
これは自覚がある.
だから、ピンクや黒のマジックペンで、手首に直接書く.
「切 る な」
手首を切るのだけはやめないといけない、と思いとどまれるように.
◆Magic・ペン
自傷行為のやめかたで、「赤いペンで手首に線を引く」と紹介する本もある.
あの代替法は、多分、視覚的にむりやりにでも満足感を得るためなのかなとわたしは解釈しているので、わたしがやっている方法とは少し違うと考えている.
もちろん、否定する気なんてまったくない.
赤いペンで手首に線を引くおまじないで、安堵できるなら、おおいに実行していくのが好ましい.
傷口からの感染リスクはぐっと減るし、刃こぼれすることもない.
もうここからは言葉の遊びでしかないやもしれない.
わたしの「切るな」が持つのは牽制(けんせい)の意味合いだ、というのは.
◆自傷行為を思いとどまるのは
難しいことだと、わたくしりんは思います.
傷つける場所を変えることも難しいのに、痛みと安心もろもろを手放すって、ちからが必要だと思います.
りんは、「自然にやめられるときが来る」という考え方です.
それは、自分自身の成長であったり、考え方の変化であったり、環境の変化であったり、いろいろ.
無理にひきはがさなくても、いいんじゃなかろうか、と.
ただ、度を超した場合は介入の必要性があるとは思いますけれど.
貧血や感染を起こしうる域に達すると、待ったをかけたほうがいいかもしれないなぁと.
ここまで読んでくださって、ありがとうございました!
いい日を過ごせるよう願っています.
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