わたしのチャレンジ。聞こえにくいってどんな感じ?片耳難聴の息子を通して広がる世界のこと。
私が人生で初めて聾学校の校舎に入ったのは、息子のためになりそうな教室があると案内されたからだった。
遡ると、息子は生まれた病院で受けた新生児聴覚スクリーニング検査で片方の耳が「リファー」という診断だった。
正常に聞こえていないですよ、ということだ。
それもそのはず、片方の耳は耳たぶと小さな軟骨しかなく、耳の穴がなかった。
専門の先生がいる病院に通ったりしつつ、本人はすくすく育ちコミュニケーションが大好きな好奇心旺盛な子に育っている。音だけでなく、人のすることや物の動きなど、あらゆる物への反応が早く、何かしてあげると反応がちゃんとあるので子育ても楽に感じていたくらいだ。
一歳半健診の時点でいくつか話せる言葉はあったけど、そろそろ言葉の発達も気になるというお話を保健師さんにしていたらある日電話がかかってきた。
「片耳の聞こえないお子さんの相談に応じてくれる場所があるのでご案内します」
そう言われて案内されたのは聾学校の中にある相談室だった。
これまで、息子がお世話になっている形成外科と耳鼻科のお医者さんからは「片耳が聞こえていれば日常生活も言葉の習得も問題ないですよ」なんて言われて呑気にしていた私は、聾学校と聞いて「結構、深刻なのか?!」とすこしうろたえてしまった。不勉強でママごめん、と息子に申し訳なさを覚えた。
その、聾学校の中にある教室に初めて行った私。会ったのは自立活動教諭(聴覚言語障害)、公認心理士、発達心理士という肩書きの先生だ。実に世の中には様々な先生がいるものである。そりゃまあ、居るはずなんだけども、あまりに何も知らない私は感嘆した。
その先生と息子とあれこれするうちに私が学んだこと。
聞こえているとは言っても、その度合いはさまざまであること。
聞こえにくい音、があること。
聴力は年齢とともに変わること(病気で落ちたりすることも)
息子は両耳でもおそらく囁き声を聞き取ることは難しいこと。
後ろ向きの人やマスクの人の声は聞こえづらいこと。
うるさい音の中で小さい音を聞き取るのはとても大変なこと。
聴覚情報に、視覚情報を組み合わせると効果的であること。
絵を使って、これからやることを説明するとよいこと。
目と目が合ってからお話しする。
こっちを見て、とアピールした時に反応してあげると聞いてもらえること。
動作で表現していることを言葉にしてあげて、通じたと思ってもらえると動作がことば代わりになること。
印象深い絵や写真をノートに集めて言葉を添えると見てくれて覚えやすい。
などなど。
他にも、資料なんかをくれたり、息子と同じように聞こえにくい子の親が集まるイベントの案内をもらうことができた。印象的だったのは、難聴の子のお母さんが作った、言葉を教えるための自作の言葉ノートだった。素敵なお母さんだな、と思う。
知らなかった世界が拓けていく。
おそらく他の分野にもあることだと思うけど、医学的な関心と、子どもが育つ上で大切したい関心事は完全一致していないものだ。プラス、親の心配というのもある。
正直、先日小学校の授業参観で教室の中の音が聞こえにくくてびっくりしたところだ。先生の声も、子どもたちの声も聞こえにくかった。教室のつくりのせいだろうか。聞こえにくい息子にはここでの授業は過酷だなと本気で思った。(就学までには補聴器をつけるのが一般的とのことで、かかりつけの先生とはそのための検査なんかについて話し合っている)
お医者さんにとっては気にしなくても良いことでも、例えば、友人関係とか、学力とか、情緒とか、楽しいこととか、当事者にとって欠けてしまうと不便だったり、物足りなかったりするものがある。そうしたことを補うために社会サービスがあるのがありがたいことだと思った。
ちなみに、その観点では、補聴器は早いほうがよい、とのことでこれも目から鱗ならぬ耳から鱗だった。
息子にとって、良さそうだと思うことはいろいろやってあげたい。ググっと、世界が拓けるこんなとき、子どもって、親の成長のために神様の命でこの世に来てくれるのかもと思う。
同時に私に仕事があるのが良いんだがなんだか、もどかしく感じたりもする。
保育園の先生も、息子にとって取り入れたほうがよいことがあれば教えて欲しいと言ってくださっている。自立活動教諭、という肩書きの先生は、保育園と連携するという活動もされていると聞いた。
多くの方々の手を借りて、息子を取り巻く世界が優しいものであるように、息子の通る路に日があたるよう、進んでいきたいと思う。
息子が強く逞しく生きていけますように!
そのための私のチャレンジは始まったばかり。
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