結婚式の思い出をまたひとつ思い出した。多様化した世の中で結婚式スピーチは難しい?
先日、結婚式の思い出を記事にした。
古き良き?!日系企業の、男たちの男たちによる男たちのための結婚式に、新郎新婦の職場の友人として参列したときのこと。
女は男の仕事を支えることをわかってほしいという内容のお偉いさんのスピーチにげんなりしてしまった。
新婦は同じ職場に勤める派遣社員さんだった(当時)。
もし新婦が他の会社に勤めていて、そう言うお偉いさんがうじゃうじゃいる会社だと予備知識がないバリキャリの女性だったらその場で離婚確定かもしれない。
ちなみに、風の便りによるとその新郎はフツーにちゃんと出世したようだ。
お偉いさんたちもちゃんと期待をかけ若者を育成したうえで義理を果たして立派だし、新郎も仕事をがんばってすごいと思うし、新婦さんもスピーチの内容を現実化したの流石だなと思う。ちゃんと、うまいこと行く人たちの間では有効なシステムだった、ってことなのだろう。絶滅危惧の生涯保証システムを備えた日系企業である。
(新郎新婦とも、とてもいい人だし、新郎は普通に仕事ができたことと、新婦もキャリアを主体的に考え行動する方だったことを書き添えておく)
さて、この記事を書いてからもうひとつの結婚式のことを思い出した。
大学時代の友人(男性)の結婚式での彼のスピーチのことである。ちなみに、大学時代学部の友達は男女とも仲が良かったので毎度結婚式は大学時代友人の参列者が大勢いた。毎週末同窓会のようだった。
新郎の大学時代の友人は、一流商社マン。
奥様は、見目麗しく一見大人しそうで聡明な印象だった。ついでにお名前すらも超ステキで、ご両親の品の良さを感じさせた。
奥様は大学の仲間ではないので多くの大学友人にとって奥様は初めてお目にかかる存在だった。彼はその奥様のことを紹介したとき「こんなに素晴らしい女性に巡り会えて結婚できて幸せだ」とコメントしており、大学友人一同が「よかったね!!!」と祝福したのである。
その彼のスピーチの最後はこんな締めくくりだった。
「仕事ではチームメンバーの手綱を握り、家庭では妻に手綱を握られたい。」
ああ、なるほどなあ、と思った。
穿った見方をするならば、妻に家庭を任せて仕事をがんばる、という趣旨である。
先般の某部長のスピーチと本質的には変わらない。が、その友人の性格をよく知る身としては、「彼は奥様を大切にするだろうな」という印象だけが残った。(今だと、参列者に部下がいたら首を傾げるかも?)
仕事ができても家庭でモラハラしない夫にはこんな奥様を立てるタイプが多い気がする、妄想だけど。仕事では組織を率いて、家では奥様に頭が上がらない、と公言する。
思い返すと、先に述べた日系企業に関しても某取締役の男性はめちゃ仕事ができる方で奥様を紹介する際は「こんなステキな女性が僕なんかと結婚してくれるなんて奇跡だ」みたいなことを口にしていた。実際お会いすると、美人でユーモアと気品に溢れたステキな奥様だった。
もしかしたら、あの私が絶句した「男は寝食忘れて仕事するときがあるから奥様は理解をよろしく」とスピーチした部長さんだって、奥様を立てる系だったのかもしれない。
あれれ??
どの男性たちも「家庭は妻に任せてオレが働く」って夫婦のスタイルなだけで、一個人としてみれば尊敬しか湧かないような、ただの仕事ができるステキな殿方ばかりだったのかもしれない。
問題は、その思想や言動が「仕事は夫、家庭は妻」スタイルにバッチリハマっちゃっているがゆえに「そうじゃない人たち」には違和感のある発言が状況的に発生するときがあっただけだ。
そもそも、私が違和感を受けた「妻は夫の仕事を支えよう」スピーチは、新郎新婦に向けてのものだったのに、ただの参列者私が聞いて腹を立てるって変じゃないのか?!?!「お前になんか言ってねーよ」って話で。勝手にげんなりしてごめんなさい。
さりとて!
価値観の多様化した現代、どんな状況の人が聞いているかわからない結婚式のスピーチは気を遣いそうだ。
コンプラ意識が高まったのはいいけど、当たり障りのないスピーチが増えるのかもしれない。