子育て日記。私も夫もいない遠い未来のこと。
早いものでもう年末。
新しい年が訪れる。
子育ても7年、ワーママも7年弱。
やっとここまで来たと言うか、それでもまだ初心者マークな気持ちと言うか…
2人子どもがいて2人目は楽だとはいえ、初めて見聞きすることもあり常に新しい発見がある。
未来のことは子どもたちの方が明るい。
今時のゲームやYouTuberのことも、子どもたちの中での常識も、親よりよくわかっている。
クラスに日本語ができない中国人の子がいて、デバイスで音声翻訳で会話していると聞いてびっくりした。
日本では近年発達障害の子が増えていると聞く。
発達障害の知識が普及してサポート体制が整っているからだとか、先生たちの業務が増えて通常の授業で見られる子どもの数が減ったからだとか、いろいろな話を聞く。
不勉強で事実はわからないけど、もしも、ほんとうに発達障害の人間がこの世に増えているのだとしたらそれは何を意味するのだろうか?
ド昭和の自分の子ども時代から今に至るには小学校では「みんなと同じことを同じようにできること」を基調路線とすることは変わっていないように感じる。
もちろん、パソコンを使ったり、多様性の尊重を学んだり、協調的作業をしたり、データをまとめて発表するとか、時代に即したアレンジもされている。ただ、学校は基本的なことを等しくみな実践できるようになることを目指す点は長年ぶれてないし、昭和を生きた私はそういうところだよなぁとしか思わない。
ただ、なんというか、「他の人と同じ」であることを求めることは少なくなっていくような気がする。
発達障害と一口に言ってもその実態はさまざま。そんな子どもたちが増えていたとしていわゆる「通常」?の子どもが減っているとしたら、みんなと同じことの意味ってだんだんなくなっていくんじゃないだろうか?
それに応じて際立つ特徴や特技を持つ子が増えていくようにも思う。
なんでもそこそこできる人がたくさんいるのでなく、代わりになんかすごいことができるけどとても苦手なことがある人がたくさんいるようになるのだろうか?
ありとあらゆることを人工知能やロボットにお任せして、色とりどりな人たちが人間らしい仕事でどんな世界を作るのだろう。
誰のことも否定しない、卑下しない世界になるのだろうか?
私も全くわからない未来の話。
今、子どもたちが抱える凸凹な部分に、未来への希望が託されていると思うと、胸がじんわりする。