真顔には意志が宿る
皆さんこんにちは、しまさです。
冒頭の引用は、進撃の巨人でよくネタにされている「面構えが違う」です。真顔で並ぶ新兵たちが通過儀礼として恫喝を受けるのですが、そこで何もされていない人たちに対して使われた言葉です。真顔の面構えが違う者たちはすでに通過儀礼は終わっており、恫喝なんてする必要はなかったのです。
ネタとして使われがちなワンシーンですが、言わんとしていることはとても理解できます。苦労を積んできた人と、誰かのすねをかじって生きてきた人の面構えは明らかに違う気がしますから。
その人の面構え、今回で言うと真顔には、その人の意志が宿っているような気がします。真顔にはその人の本質が関わっているのかもしれません。
そこで今回は、真顔とは何なのかについて考えてきます。
真顔とは
まずは真顔の意味を確認します。
真顔とは本来、真面目や真剣な顔をしている状態です。普段の何もしていない時の表情を真顔と表現することも多いですが、実はそうではありません。真剣な顔、略して真顔なのです。
たまに、真顔が怖いという表現を耳にします。これは、相手の真剣さに圧倒されている状態なのかもしれません。真剣なまなざしというのは、喜怒哀楽のどの表情とも異なり、一線を画しますから。
真顔という言葉自体に真面目や真剣という意味が含まれます。そして、自分の意志を訴える時には真面目や真剣になることが多いです。このことからも、真顔には意志が宿る気がしますね。
無表情との違い
真顔と混同されがちな言葉に「無表情」があります。無表情とは、表情の変化が乏しく、感情や考えが表情に出ない様です。良く言うとポーカーフェイスってやつです。
確かに、真顔と無表情は近い顔になっているかもしれません。しかし、無表情には感情や考えが含まれないので、真剣さが伝わる顔でもありません。つまりは、意志もありません。
近いように見えて、無表情と真顔は異なるのです。
期待する感情とのギャップ
真顔とは喜怒哀楽のどの表情とも違った顔です。しかし、顔は真剣であっても他者から見ると、そこには何かしらの期待する感情があるのではないかと思います。
例えば、笑顔で話している人が、話の内容を変えずに真顔になり始めたら、ドキッってしますよね。それは、相手の笑顔から楽しいという感情を期待していたのに、真剣な表情に変わったからです。私たちはそんな時、相手から強い印象を受けます。
冒頭の面構えが違う新兵たちも、巨人に対する怒りや悲しみという感情があったかもしれません。しかし、彼らはそれを押し殺して真剣な表情をしています。そして、その顔からは怒りや悲しみ以上の感情が伝わります。喜怒哀楽の表情ではないにも関わらずです。
私たちは期待との落差が大きいほど、強い印象を受けます。そして、真顔には期待する感情とのギャップが存在します。真顔に強い意志を感じるのも、きっと強い感情を押し殺して、真剣な表情をしているからではないかと思います。
真顔になれない人もいる?
真顔とは真面目・真剣といった表情です。では、世の人たちは皆、真面目や真剣な要素を持っているのでしょうか?
残念ながら、私はそうとは限らないではないかと思います。うまく表現は出来ないですが、常に「へらへら」「ちゃらちゃら」「へこへこ」しているような人たちの真剣な表情は見られないように感じます。
たとえ、本人たちは真剣な顔をしているつもりでも、自己保身の様な下心を感じてしまい、真剣みが伝わってきません。そこには強い意志など微塵も感じないのです。
冒頭の「面構えが違う」以外の人たちも、本人たちは真顔で、つまりは真剣な表情のつもりで並んでいます。しかし、実際は教官から通過儀礼である恫喝を食らっています。それはつまり、本人は真顔のつもりでも、教官からは真顔に見られなかったのです。
真顔とは真剣な表情です。そして、その真剣みは強い意志によって他者に伝わります。誰もが強い意志を持っているとは限りませんし、本当の意味で真顔になれる人は案外少ないのかもしれません。
まとめ
真顔とは真剣な表情なので、そこには強い意志が宿っています。また、真顔とは喜怒哀楽の表情とは異なりますが、そこには強い感情が含まれます。その感情を押し殺して真剣な顔をしてるからこそ、強い意志が宿るのです。
そして、真顔は全員が出来るわけではありません。それはつまり、真顔ができる人は強い意志を持っている証拠ということかもしれませんね。
以上です。最後まで読んでくれてありがとうございました。