ダラダラした一日を正当化しちゃう。
何もしなかった。
本当に面白いくらい何もしない一日だった。
朝一旦9時に起き、当たり前のようにもう一回寝た。次に時計を見ると12時。
家にあったパンを適当に齧って歯磨きをして、それでもやっぱり眠気がおさまらない。15分だけ寝ようと思って目が覚めたら17時。
寝ても覚めても気力が湧かない。
無気力にスマホを眺める。お腹が空くが肉を過熱するエネルギーさえわかない。
結局冷蔵庫にあった賞味期限切れの絹豆腐にキムチを乗せて食べた。
何とかお風呂に入って、noteくらい書こうと思ってアプリを開く。
書きたいことはいくつか思い浮かぶが、いざ書こうとしても言葉がでてこない。
思考がまとまらない。
そして今に至る。
床でゴロゴロしながら書いている。
なぜ書いているのかは分からない。
こういう日はたまにあるけど、自己嫌悪だけはしないようにしている。
やりたいことはあるのに、頭も体も動かないのだから仕方がない。
必要なことが必要なときに起きただけ。
今日という日が何かのために必要だった。
そうやって正々堂々と正当化する。
意味がない一日なんじゃなくて、自ら意味を持たせる。
「無駄な一日だったわ〜」って思うか「必要な一日だったんだな、お陰で明日は頑張れちゃいそうだ」と思うかで、今日何もしなかったことの価値なんて変わってくるんじゃないだろうか。
起きたことはただ起きただけで、その良し悪しはその後の自分の動きで変わる。
この考え方が正しいとか正しくないとかそんな事は何だっていい。
そう思えば気が楽なだけ、明るい努力ができるだけ。
SNSでは人の考え方や生き方にケチつけて、合ってるだの間違ってるだの言っている人がいる。
でも、自分の生き方に対する考え方は、他人を傷つけるものでない限りその人にとって心地良くあればそれでいいんじゃないかと思う。
「賢い人の考え方」とか、そんな情報に出会うたびについついそれらを正解として受け取ってしまう自分がいる。
それは確かに誰かにとっては「正解」なんだろうけど、必ずしも自分にとっても正解とは限らない。
だから、色々な情報を信じ込むでもなく頭から毛嫌いするでもなく、「一歩引いて」受け取る。
そんな姿勢を持っておきたいな、そんな心の持ちようが心地いいな、と思う私なのである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?