こしあん

京都の大学生。なぜか始めてなぜか辞められんくなってしまった。

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京都の大学生。なぜか始めてなぜか辞められんくなってしまった。

最近の記事

身勝手な気づかいを許してほしい。

いつもあなたは、 深い深い眼差しでみんなのことを見つめている。 その目で捉えたあの子の不安や痛みを、 まるで自分のことのように受け取っては 苦しそうにしているあなた。 いつしか私も あなたがそうやって苦しんでいることに気がつくようになって、 そっと気を使ってみたり。 だけど、 そんなさりげないつもりの気づかいも あなたはちゃんと見抜いていて。 気を使わせちゃってごめんね、と言って 少し切ない表情を見せる。 じゃあどうやったらあなたのその苦しみを小さくできるのかと、最

    • 小学生の私が大好きだった本たち

      小学生のとき、友だちとどんな話をしていたのだろう。 そんな小さな日々のほとんどを忘れてしまったけれど、たった一度だけ読んだあの本のことは覚えている。 決して、その物語を覚えているとは限らない。 だけど、本を見つけたときのときめきや、ページをめくるたびに高なる胸の鼓動を、覚えている。 あの本に夢中だった小さな私のことを、覚えている。 本を読んでいたときの空気の香りを、いつだって思い出すことができるのだ。 そんな本たちのことを、ちょこっとだけ。 ①小さい魔女 「お母

      • 一冊、同じ本読んでいれば 会話することができると思うの。 新潮文庫フェア 新潮社 先日「子供本の森 中之島」という所に行った。そこで再開した懐かしの児童書たちについて明日書こう。 今日は切羽詰まりまくっとるけんね。 私もたくさんの人と会話できると思うの。

        • 人生でたった一度だけ口にした「死んで欲しい」

          「人生が変わった瞬間」という言葉をたまに聞くけれど、人生なんて絶えず変化し続けていて、その「変わった瞬間」の積み重ねが現在なのだと考えている。 だから、過去を振り返ったときに「人生が変わった」と思える瞬間があるか否かは、それらの瞬間に自覚があるかどうかという話なのだと解釈している。 そのような前提があった上で、 「あなたの人生が変わった瞬間はいつですか?」 という質問に答えなければならないとしたら、 「五歳のとき、母親に死んで欲しいと言ったときです。」 と答えるだろ

        • 身勝手な気づかいを許してほしい。

        • 小学生の私が大好きだった本たち

        • 一冊、同じ本読んでいれば 会話することができると思うの。 新潮文庫フェア 新潮社 先日「子供本の森 中之島」という所に行った。そこで再開した懐かしの児童書たちについて明日書こう。 今日は切羽詰まりまくっとるけんね。 私もたくさんの人と会話できると思うの。

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          「九州=離島」? 地元を出て良かったこと。

          九州=離島 大学進学を機に九州から関西に出てきた私にとって、関西人の友人がもつこのようなイメージはめちゃくちゃ興味深い。 「今度実家に帰る」と言ったときに「船で?」と何食わぬ顔で聞かれたときは、その質問の意味が分からなかった。 「ん?船?」と聞き返す私に 「うん、だって海越えなあかんやろ?」 と衝撃的な一言。 な、なるほど!!!! そういうことか。 本州と九州が橋で繋がっていることは周知の事実ではないのか! さらに、「橋がかかっとるけん船は乗らんよ」という私の言葉に

          「九州=離島」? 地元を出て良かったこと。

          ダラダラした一日を正当化しちゃう。

          何もしなかった。 本当に面白いくらい何もしない一日だった。 朝一旦9時に起き、当たり前のようにもう一回寝た。次に時計を見ると12時。 家にあったパンを適当に齧って歯磨きをして、それでもやっぱり眠気がおさまらない。15分だけ寝ようと思って目が覚めたら17時。 寝ても覚めても気力が湧かない。 無気力にスマホを眺める。お腹が空くが肉を過熱するエネルギーさえわかない。 結局冷蔵庫にあった賞味期限切れの絹豆腐にキムチを乗せて食べた。 何とかお風呂に入って、noteくらい書こうと思って

          ダラダラした一日を正当化しちゃう。

          iPhone15で撮った星空の写真に、目で見えるよりも遥かにいっぱいの星が写っていた。 それを見て、AIとかスマホとかとんでもない技術が身近にある今こそ、自分自身の目でちゃんと美しいものを見ておきたいなと思った。

          iPhone15で撮った星空の写真に、目で見えるよりも遥かにいっぱいの星が写っていた。 それを見て、AIとかスマホとかとんでもない技術が身近にある今こそ、自分自身の目でちゃんと美しいものを見ておきたいなと思った。

          なーんでnoteなんて初めてしまったんダロウ

          考えごとをしていたら何故だか文章が描きたくなる日がたまにあって、誰に見せるわけでもなくwordに言葉を書き連ねていた。 我ながら何やってんだ、と思う。 パソコンに保存されていたそんないくつかの散文を、noteにあげてみようと思いついたのが2週間ほど前のお話。 本当の本当にただの気まぐれだった。 別に続けようとも思ってなかったし、何かを目指していた訳でもなかった。はず。 強いて言うなら、note(というか不特定多数にみられる可能性のあるSNS)に文章を投稿するってどんな感じ

          なーんでnoteなんて初めてしまったんダロウ

          199文字日記

          初めて買ったキャンドルを試した。 暗い部屋の中、キャンドルのボワッとした灯りで本を読みたくて。 期待に胸を膨らませて灯したそれは、本を読むにはあまりにも頼りなかった。 小指の爪ほどの小さな炎がチロチロしているその光景に、思わず笑い声が漏れた。 確かに、お誕生日ケーキの上のローソクを思い出してみれば、ひとつまみの炎で本が読めるはずないか。 それにしても、夜ってほんとうはこんなに暗かったんだなぁ。なんつって。

          199文字日記

          沢山をあきらめてきた爽やかな大人たち 『君はそれを認めたくないんだろう』

          「30歳にもなると、現実的に自分にできることとそうでないことが分かってしまって世界は狭まるんだよねえ。」 ファミレスのボックス席で、会社経営者のその人は当時19歳だった私にそんなことを言った。ほんのちょっとの哀愁こそ漂っていたものの、その声と表情はとてもさっぱりとしていた。 どういう文脈だったのかはもう思い出せない。ただ、その言葉がなんとも心地よく聞こえたことは覚えている。 その心地よさの訳が、山下賢二さんの散文集『君はそれを認めたくないんだろう』に収録されている一つの

          沢山をあきらめてきた爽やかな大人たち 『君はそれを認めたくないんだろう』

          知らないおばあちゃんにギャップ萌えを食らった

          今朝は早起きできたから、春が終わる前にと賀茂川の河川敷を散歩した。 夜型の私にしてはあまりにもらしくないことをしたもんだ。 早く起きただけでも珍しいのに、まさか朝から川沿いでギャップ萌えまで食らうなんて思ってもなかった。 朝の賀茂川には、ランニングをしたりベンチに座って読書をしたりしている人がたくさん。 朝の河川敷ってこういう世界なんだなぁなんて思いながらてくてく歩いていたら、右肩に気配を感じた。 振り返る前に、私の真横を自転車がのんびり通り過ぎる。 横目でちらりと見たその

          知らないおばあちゃんにギャップ萌えを食らった

          コーヒーから抽出する知見

          コーヒーが大好きだけど、初めて飲んだときは顔をしかめた。 大人たちが美味しいって言うからこれは美味しいものなのだろうと信じて背伸びして飲み続けていたら、いつの間にか本当に美味しくなった。 最初から誰もコーヒーが美味しいなんて言わなかったら、多分一生好きにならなかった。 ここから言えることは、「物事への構え方」って重要だということ。 はたまた違う見方をすれば、自分で決めていると思っているものも、世に決めさせられているとも言える。 とにかく何事もコーヒーみたいな側面があるよ

          コーヒーから抽出する知見

          なぜあの人はみんなから慕われるのか

          ビジネス書や自己啓発本には人から信頼を寄せる話し方や印象が良い話し方のコツを指南するものがたくさんあり、度々ベストセラーになっている。 人と話すことに自信が無い私は、書店に平積みされているそれらの本をついつい手に取る。 これまでも本に書かれていることは、普段の自分を省みてたくさんのことに気づかせてくれた。 それは間違いのない事実であるのだが、実際にたくさんの人から慕われている人と話してその人の佇まいというものを直接感じることのインパクトは何にも増して凄まじい。 尊敬してやま

          なぜあの人はみんなから慕われるのか

          人と話すのは苦しい。それでも話したい。

          私とあなたが見ている世界は別物で。 あなたと話すことで、私はその世界を覗くことができる。 だけど会話って、楽しいけれどいつも決まってどこか苦しい。 無邪気な笑い声の裏で少しだけ息を詰まらせている。 それはきっと、あなたと話すことで知らない世界に出会うと同時に、私自身が生きている世界の輪郭も見えてくるから。 一人でいるときはその世界の中にいて、それがどんな形をしているのかなんて分からない。 だけどあなたと言葉を交わしているとき、テレビで宇宙に浮かぶ青くて丸い地球の姿を見るよう

          人と話すのは苦しい。それでも話したい。

          認識するものがいなくなったとき、世界はどんな風に存在しているのか。

          世界というものは、認識するものがいてこそ成り立っているのではないか。 唐突にそんなことを思った。 量子力学の多世界解釈などの話があるのは何となく知りつつも、とりあえず世界そのものは一つであるとして、それは一体どんな姿形をしているのだろうか。 人間にとっての世界と、猫にとっての世界は別物だろう。 人間には目視できないが、原子や電子などは確かに存在している。 そんなものがたくさんある。スケールを変えれば認識し得る世界は変わる。 人間が認識している世界は「人間の認識する世界」で

          認識するものがいなくなったとき、世界はどんな風に存在しているのか。

          白米の食べ方10選

          中学時代、とてつもなく本気でスポーツやっていた。 増量のために毎晩2時間かけてお茶碗大盛り3杯の白米を食べるほどの本気ぶり。 できることなら美味しく楽しく食べたい。 その一心で中学生の少女は数々の白米の食べ方を編み出した。 当時の努力の記録として、特によくやっていた白米の食べ方を書いておこうと思う。 ①きなこご飯 きなこ餅が美味しいならきなこご飯も美味しい。中学生女子はそう考えた。ただただ白米にきなこと砂糖をかけて食べる。 ②ケチャップチーズご飯 チンしたアツアツの白米に

          白米の食べ方10選