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一日に二回訪れる名も無き世界のこと

午前一時半。
もう流石に夜更かしを切り上げて明日を迎えに行きたいのに、どうしても書きたい。
こんな夜も最高なのだ、パソコンを開こう。


夜は、私だけの時間。
懐の深い静けさを味わいながら、どこかぼんやりとした頭で本を読む。
こんな読書には、多分小説が一番似合う。でも今日はビジネス書だった。
ビジネス書。ちょっぴりキビキビしてて、夜には溶けきらない。
その感じもまた良い。

足達裕哉さんの『頭のいい人が話す前に考えていること』。
この本の中で、高度な言語化の習慣を獲得するためのいくつかのヒントが説明されていた。
その一つが「ネーミングにとことんこだわる」というものである。

その話の中で「ル・マル・デュ・ペイ」というフランス語が挙げられていた。
村上春樹さんのある小説の登場人物は、この言葉を「田園風景が人の心に呼び起こす、理由のない悲しみ」と説明しているのだとか。
足達さんはこの感覚に覚えがあり、この言葉を知ったことでそれを一つの概念として捉え、他者と議論ができるようになったのだそう。
この例のあと、「人は名前のないものについて深く考えることはできない。逆に、定義づけと名付けによって新たな概念についての考察や他者との共有が可能になる。ネーミングは思考の出発点」と一般化している。

考えてみれば、名前はついていないけど「ル・マル・デュ・ペイ」のようにある状況の下でいつも抱く感情ってある。
感情というより、その瞬間はそういう「感じ」の世界になる。

私の頭には真っ先に、「天気の良い午後三時」が思い浮かんだ。
天気の良い、午後三時。川沿いを歩く。
お昼を過ぎて少し傾いた太陽のひかりが、明るく、のんびりとまちに注ぐ。ふと昔を思い出すどこか懐かしい香り。
ベランダに干された洗濯物を優しく揺らす風。
遠くから聞こえる子供たちの笑い声。
頭の中には焦りも不安も喜びもない。
ただ、「午後三時」という空気に浸る。

名前はついていないけど、確かに存在する特別な時間なのだ。
すがすがしく、活力に満ちた爽やかな朝とは違う。今日のど真ん中、気合いを入れ直すお昼でもない。これから孤独で自由な夜に向かっていく夕方とも違う。
一日のすき間に存在する午後三時という世界を、だれかと分かち合うことはできるだろうか。

もし、この世界を知っている人がいたならば一緒に名前を付けましょう。

なんてことを書いているうちにあっという間に午前三時。
そうそう、午後三時だけじゃなくて、午前三時も名も無き時間。
午前二時は深夜で、午前四時は早朝。
午前三時はその間にある不思議な時間。久々に訪れたなあ。
浸っているのも悪くはないが、朝が来る前に一眠りしておこう。
それではまた。

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