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【雑記】セックスレスとウツとヒステリー+更年期、そして女風へー女風ユーザー再出発③ー

はじめに

◇◇◇「女風ユーザー再出発」共通のはじめにです。①または②を読んでいただいたかたは、目次のあるところからどうぞ。◇◇◇

ずっと、快楽を求めていた。

noteを始めたもともとの動機は、
そんなわたしが
女性風俗(女風)の利用をきっかけに
自分の性と、あらためて向き合い、
自分が納得できるあり方を見つけたいと
思ったから。

幼い頃の性の出会いと
広がっていく妄想と
現実との乖離と

そして今のあり方を

ただ、書くという行為に
突き動かされながら。

詩のページで、
わたしのことを知った人の中には、
あけすけな性の話に
露悪的に思う方もいるかもしれない。

そして、閉経して既に数年経った女性が、
“いまだに”、
性にとらわれているのを
滑稽に思う人もいるかもしれない。

でも、
こんな自分をさらす場があることで、
日常の自分を保てているのも事実。

自分しか読まない日記ではなく、
自分を見つめながらも
誰かに向けて書くこと。
読まれることを意識して
書くこと。

詩も
そのうちのひとつ

詩も
わたしの生と性の姿を
映し出すもの。

このnoteで
公表することを意識して書くことは
自分の中で、新たなせめぎあいが起こり、
感覚や意識を更新する
助けになるかもしれないと思う。

     ◇◇◇◇◇◇◇

4月末の風俗3回目の利用に向けて
自身の性の現地点を
確認しておきたい気持ちがあって、
書き始めたもの。

利用前に書き終わらず、ようやく形になりました(笑)


今回のテーマは夫との関係について。
家族のことも少し。


ひもといて思ったことは、
わたしの場合、
夫との関係と女風ユーザーになったことは、
あまり関係がなかった、ということ。

女風の利用は、 「【雑記】脱皮してみようー女風ユーザー再出発②」に記したとおり、
性の技術への憧れみたいなものが、
とても強いことからきているように思えるから。

きっとどんな夫であっても、
わたしが女風に出会うことを
止めることはできなかったと思う。

だから、ここからあとは、
ほぼ、わたしと夫との間の“すったもんだ”(死語!?)の話でしかない。

いろいろ一気に吐き出したので、
2万字超え…、長いです。



セックスレス(夫の言い分)


最近、レスが解消されるまでの
(解消と言っていいのかなぁという疑問はありつつ)、
最後のセックスは、二人目を妊娠するため、夫に頼んでした無理やりな生殖行為。

このときのセックスレス期間は、
ほぼ、上の子の妊娠以降と同期間。
上の子が小1の春休みに下の子が生まれたので、だいたい、8年間といったところ。

今でも、あのとき、無理やり起こされた〜って言われる。
でも、8年もしてなかったんだし、
そもそも、あのとき無理矢理でもしなかったら、子どもを産み育てることは、もっとハードになってたんだよ。

夫とは互いに、
長男は弟か妹がいたら、
きっと可愛がるだろうと話していた。
(実際に目の中に入れても痛くないほど長男は弟をかわいがった。弟の名付け親にもなった。)

タイミングを考える上で重要だったのが、
仕事のスケジュールと、
今も二人で業務を担い合っている同僚の“家族計画”。

二人で同時に産休・育休を取るわけにはいかなかった。結婚を控えた彼女に、「先にもう一人産ませて!」と頼んでもいた。

そんなもろもろを考慮すると、もう今しかない!という感じだった。
(このときの決断で、同僚とは、休みがちょうど1年ずれた。)

でも、今、思っても、
いつ思っても、ひどい話。
夫のほうがトラウマになってるかも。

結局、この生殖セックス以降、
昨年までの16年間なかったのだ、全く。

レス解消の時に夫に聞いてみた。
したいと思わなかった?
したいとき、どうしてた?

夫が言うことには、
したかった。
合図を送っていたんだけど
気付いてもらえなかった。

君は帰りも遅いし、
疲れていることが多いから。

だから、アイドル推しにいった。


それね!
アイドルね!
AKBとか、はまってたよね〜。
よく、ライブも行ってたね。
(おニャン子も好きだったみたいだし、
そっち系は昔から好きなのかも。)

ライブに行くと、
ファン同士のつながりもできて
それはそれで楽しかったらしい。

でも、車のキーホルダーとか
身の回りのものがアイドルの写真って、
私が、無理だった。

ある日、何故か
家族LINEに
アイドル推しの言葉が並んで
(間違ったと言っていたけど)
息子とわたしに激震が走り、
家の中の見えるところにあったうちわや
ペンライトなどなど、
全て処分してもらった。
(去年のこと。いや、見えなくして、
と言っただけのような気もするが、
けっこう、わたしは怒ってたらしい。)

うわぁ、もう悪循環でしかない…。

セックスレス(わたしの事情)


セックスレスになったのは
わたしに気持ちの余裕がなかったのは
事実。
夫とセックスする気になれなかったのも
事実。

◯気持ちの余裕がなかった。
これはそのまま、そういうこと。
仕事、子育て、更年期などなど、
でも、次の理由が最も大きい。

◯夫とセックスする気になれなかった。
「夫と」というところが問題かな。
夫以外ならいいんかい、となるから。
たぶん、だから、性欲を他の人に向けていた(女風利用も含めて)のだろう。
妄想であっても、夫とのセックスを想像することはなかったぐらい、
いろいろ、気持ちも身体も離れていたし、拒否していた。

ただ、今は、
「夫“とでも”セックスできる」
そんな心境。
そんな心境になったのも、女風利用の結果、ということに、
なんだか、一筋縄ではいかない人生というものに思い至ってしまう(ちょっと大げさ!?)。

夫のこと


結婚前までは、してた。
よく、していた。
おかげで、結婚後、避妊をしなくなった途端に妊娠した。

つわりがひどかったわたしは、
妊娠初期の間、寝込んでしまった。
もちろん、家事も、食事も、仕事も、セックスも
それどころではなく、
体内の異物に、わたしの体がなじむまで大変だった。

夫もそんなわたしが食べられるものということで、
このときから納豆が解禁に(笑)!

大阪人は納豆苦手が多いらしい。夫もそう。
一緒に住んでからは納豆を食べるのを控えていたんだけど、
八朔しか食べられなくなったわたしが納豆食べたいと言うと
定期的に買ってきてくれるようになった。
目の前で食べていても何も言わなくなった。

ちなみに、うちは食事の買い物は夫がずっとしている。車で買い出しできるから。だから、底値にむちゃくちゃ詳しい。

いうなら、夕食もほぼ夫担当。
(スーパーのお惣菜のときももちろんあるよ。夫自身がいないときはお弁当の手配やカレー等作り置きの用意もしてくれる。←わたしがつわりで寝込んでからの習慣。
わたしはと言えば、自分が留守をする時の夕食の用意なんてしたことない。
実は、良くしてくれるなと不思議に思っている。←いや、感謝しろよ(笑)。)

上の子が中学(まだ給食なかった。)・高校の6年間はお弁当をわたしの分も含めてつくってくれた。
(これから、こき下ろす(!)ので、上げるだけ上げとく😁)

この話を聞いて、
夫と暮らす妻という立場の人で羨ましがらない人はいないかも。(作るのが好き!または、自分で作って食べたい!という人を除いて。)
夕ご飯の献立に悩んだことのない妻。
今日何しよ〜って言うのは夫。

子どもが小さい時は、夕方公園で遊んでいて、「もうそろそろご飯できるから帰ろうか」と言っていたのは、わたし。
(さすがに1年間夫が病休したときは、家事全般わたしがしましたよ😉)

結婚当初、わたしがバランスを考えて
ごはんをつくっても、
勝手に一品つくってしまう。
(卵焼きとかウインナー炒めたりとか。)
上からマヨネーズかけられてしまう。
魚の骨が苦手というから、
フードプロセッサーにかけて、
つみれ団子にしたのに怒られちゃう。
(魚嫌いなだけやん😳)
まぁ、この程度は笑い話ですむ。

とりあえず、今は、肉じゃが、豚汁、鳥の唐揚げ、お肉入りきんぴら、グラタン、炒め物、ポテサラだけは、
わたしがつくる。 
料理限定で出動する感じ。
ちなみに息子たちは、
カレーは夫のつくったものしか食べない。

洗い物、水仕事、掃除はわたし。
夫は皮膚が弱いので。

あと、
高校生の次男のお弁当はわたしがつくる。
長男と自分の分も。夫はお世話になってるお弁当屋さんがあるから要らないとのこと(意地悪でつくってないわけじゃないですよ。)。

夫は友人が多い。あちこちに。
個人的な活動の役も任されているので、
出かけるときは、わたしが「今日はどこの支部?」と聞くぐらい(笑)

女性にも人気がある。
女子会に呼ばれるぐらい(笑)
保育所でママ友から親しくされて、
グループの中心にいたのも、
夫のほう。
たぶん、付き合い始めた時のわたしが感じたように、
人の警戒心を解くような、
安心させるものがあるのだろう。

ちなみに、結婚のお知らせ写真を見て、
知人は「ぬいぐるみみたいだね」と言った(笑)。
確かに!
触り心地よさそうに、ぷくぷくしている。

夫と別れたら、
悪く言われるのはきっとわたしのほう、
とずっと思っている。
付き合い始めたとき、
わたしがたぶらかしている説も
なんとなく聞こえていた。
友人が多く、人気があって
愛されているのは、夫の方だから。

何で、「別れたら」なんて思うのかわからないけれども、
漠然と、結婚当初から思ってきたこと。
わたしと夫の両方を知っている人で、
わたしの方をフォローしてくれる人は、
いないだろうな、と。

さて、本題に戻り、
つわりがひどかった妊娠初期を過ぎても、
セックスレスは復活しなかった。

夫のウツ、妻のヒステリー


夫にウツ症状が出てきた。

結婚当初に、
仕事の関係で、あるトラブルに巻き込まれ、
「家庭を滅茶苦茶にしてやる」とか
いろいろ脅されたらしい。

周囲は夫は何の問題も起こしていないと
わかってくれていたが、
相手が凄まじすぎた。

夫は、このころから、
仕事や職場の話をするのも聞くのも
拒否するようになった。

家では、それらの話は、タブーになった。
職場での軽い笑い話であったとしても。

付き合っていた頃は、
夫といると、なんか素の自分でいられるような気がしていた。
でも、素の自分を出せなくなっていった。

仕事漬けのわたしに、
仕事や職場の話をしてはいけない、というのは、
何も話すな、というのに等しい。

嬉しいことがあっても、
分かちあえなかった。

何が彼の逆鱗に触れてしまうのかが
わからなくなっていった。
普通の受け答えのように言った言葉
何かを聞く言葉
何かをお願いする言葉
さまざまな言葉が悪意に解釈され、
何倍もの言葉で責められる。

「悪意の解釈」というものを実感する日々だった。
わたしのことを知っているはずの近しい人が
わたしの言葉を悪意に解釈し、
それを事実と疑わないことが現実にあることを、
わたしは知らなかった。
(言葉が悪い、汚いとか、勘違いするということとは違う。もちろん、人との関係の中で、曲解されることや勝手に決めつけられるなどのことはあったが、それは近しい人ではなかったし、悪意ではなかった。)

嵐が過ぎ去るのを、待っていた。

丁寧に気を遣って言ったつもりが、
どうも逆に受け止めるらしい
と思うのだけれども、
どのような話し方をすれば、
わたしが伝えたいことを
そのまま受け止めてくれるのかが
わからなかった。

わたしは、壊れた。

近しい人に何を言っても
そのまま通じないことに。
拒否されることに。

子どもが生まれて
1歳になるころだったか、
わたしの精神がスパークした。

ヒステリー症状を発症したのだ。
(この症状を本当にヒステリー症状と呼んでいいのか、実はわかりません。
もし、わかる人がいましたら、
何という症状なのか教えてください。)

1年ぐらいは続いただろうか。

わたしの症状は
大声でお腹を振り絞るように叫ぶこと。
ウーウー泣くこと。

体中がたがた震え、
その震えを止めようと
自分の腕で自分の体を抱きながら
口から声とは思えない音が吐き出されていく。

触れられると
力いっぱい突き放し
また、自分を抱えて、
叫び続け、泣き続ける。

夫は、そんなわたしの姿を初めて見たとき、
さすがにびっくりして、
「戻ってきて!」と叫んだ。
その声を、わたしは、
叫び続ける声の裏側で
深い霞の中の声のように聞いていた。

わたしの目の前にいる人は
わたしの知らない人だった。
信頼も愛情も何も感じさせない人だった。

いったん症状が出ると
癖になるらしい。

逃し方を体が覚えるからだろうか。

でも、自分で自分をコントロールできないというのは、とてもつらい。

叫びながら
自分が暗い穴に落ちていくようで
闇に飲まれていくようで
怖かった。

自分が自分でなくなることが
自分で自分を制御できないことが
怖かった。

この症状を見たのは
夫とわたしの両親。

里帰りした実家でも
両親と話をしているときに
症状が出てしまった。

滞在中は
傷だらけの気持ちをなんとか取り繕えるはず
と思っていたが、
なんのやりとりがあったか忘れたが、
わたしにとって聞きたくなかった言葉があったのだと思う。
水面で息を次ぐ魚のように、
喘ぐように口がぱくぱくしだすと
ストッパーが、外れた。

驚く親に、
夫は「そっとしておいてください。ときどきこうなるんです」と言った。
こんな姿は見たことがないと
半分なじるような親の口調に
夫もつらかっただろうと思う。

わかってほしい人に、
言葉が伝わらない苦しさを、
わたしはヒステリー症状を得ることで、
逃していった。

そう、わたしは「症状を得た」と、
思える地点まできたのだ。
ようやく、この症状がわたしを救ったのだ、
と今になって思える。

以前は、
こんな症状を引き起こすまで追い詰められたことに恨みしかなかった。
(一度でも精神を破壊されたことに対して、
恨みが消えたわけではないけれども。)

わたしのヒステリー症状は、
1年ほどで消えた。
今はない。

自分の心を守ることに
あまりに無防備だった。
近しい人が突如豹変することに
心が追いついていかなかった。

夫の劣等感


わたしのヒステリーは、
1年ほどで症状が潜んだが、
わたしと夫の間は、ぎすぎすし続けた。

思うに、夫は劣等感がとても強い。
ウツ的な症状がその程度を増幅させた。

子どもが牛乳をこぼすのも
自分への反抗か
自分の注意を無視したものと受け止める。

コップが転がり、
テーブルからぽたぽたと牛乳がこぼれる中、
夫は子どもを怒鳴り続ける。

何で俺の言うことが聞けないのか。
俺のことを無視するのか。

まだ、3つにも満たない子どもだ。
牛乳がこぼれないようにどうすればいいか
注意を促すのは、親の役目だ。
失敗したときにどうすればいいのかを
行動で示すのも親の役目だ。

子どもは萎縮している。

あなたの怒りを子どもにぶつけないで!
あなたのその怒りは、
あなた自身が引き起こしていると
気付いて欲しい。

床にこぼれた牛乳は、すぐ拭われず、
受け止められなかった思いとともに、
それぞれの心に、シミになって広がる。

それに、夫は
子どもの目を見て注意をしない。

子どもに背中を向けて
寝転がって、
ぶつぶつと説教をするときもある。

なんですぐに僕のすることを否定するのか。
僕は自分の方法で注意する。
自分のやり方に口を出すな。

ますます頑なになる夫に、
わたしはなす術もなく、
追い込まれた。

子育てでできた溝


寝不足なのは
子どもが泣いても
すぐに起きないわたしのせい

子どもを泣き止ますことができない
わたしのせい

赤ん坊のときは
夫が抱くほうがすぐ泣き止んだ。

泣いている子どもをあやしているときに
取り上げられたこともよくあった。
母親なのに、
子どもを泣き止ますこともできない。

癇の強かった子どもは
3歳になるまで
夜中は必ずのように泣いた。

ぜんそくも持っている子どもは
夜、寝るときも、
できるだけ縦に抱いてあげてください
と言われたが、
自身も昼間の仕事で疲れている中、
そんな芸当はできなかった。
(当時、わたしの立場では育休はなく、
産休だけの復帰で、
生後3ヶ月ぐらいで職場復帰した。
それでも、先輩方が獲得した成果だから、
這ってでも職場に出てこいと言われたし、
自分でもそう思っていた。)

そして、朝、
なぜ医者に言われたことができないのかと
責められることの繰り返し。

私が覚えている光景がある。

夫の友人たちが住む他県に旅行に行った。
お昼に入ったおうどん屋さんで、
子どもが、とりわけたおうどんをひっくり返した。
慌てて(かつ、びくびくして)、
こぼれたものを拾い上げる。
夫は「なんや、ちゃんと見てなかったんか!」と一言怒鳴ると、悠然と食べ続ける。

それを見て、慌てて手伝ってくれたのは、
夫の友人で独身だった男性。
夫の態度に驚きながら、
「大丈夫ですか?」と気遣ってくれた。

いたたまれなかった。
すぐにでも、その場を立ち去りたかった。
惨めすぎた。
少し憐れむような眼差しが辛かった。

子育ては、わたしと夫の間の溝を
広げるばかりだった。

その中でも、
気の優しいところがある息子は、
きっと下に弟か妹ができれば
とても喜ぶだろうという思いは一致し、
子作りだけは協力してもらった。

嫌い


子どもが幼かったときは、
よく
「ママ嫌い、パパがいい」って言われていた(笑)

ある暑い夏の日、
保育所から帰ってきて、
窓を開け放ち、
ぺたんと座り込んだ途端、
「ママ嫌い〜!パパがいい!ママ嫌い〜!」
近所中に響き渡っているであろう大声で泣き叫ぶ。

何で火が付いてしまったのかわからないが、
優に30分はわめき続けていたように思う。
(実感的には1時間ぐらい。)

このころ、救われていた詩があった。
詩自体はもう、覚えていないんだけど、
子育てが辛いときは、
もう嫌だ、投げ出したい!と思っていいんだ、言っていいんだ。
そう言いながら、子どもと一緒に泣いたらいい。
子どもを抱きしめて泣いたらいい。
そんな詩だった。

もう、わたしには、
ただ、泣きわめき続ける子どもを
抱きしめることしかできなかった。

開け放った窓から
大音量のわめき声が撒き散らされていたが、
なす術はなかった。

呆然とただ、わめき続ける子どもを抱き続けた。

わたしは、詩に救われた。
この詩に出会ってなかったら…、
と思うと身震いする。

やがて、憑き物が落ちたように、
子どもは泣き止んだ。

泣き止むと、絵本が好きだった子どもは
絵本を持ってきて、わたしの手に持たせようとした。

わたしは拒絶した。

子どもは顔を歪めると、また、泣いた。

もう、「ママ嫌い」とは言わず、
ただ、絶望したように泣いていた。

心の中がチリチリしているのがわかった。
ごめん。
あなたのこと受け入れられなかった。
自分の気持ちを切り替えられなかった。
こんなわたしだもの、
嫌いって言われても仕方ない。

ウツ治療


夫のウツは、
上の子が小学校6年生のときに、
本格的な治療に入った。

職場で耐えきられなくなった夫が錯乱し、
夫の上司からわたしに、
「すぐに迎えに来てほしい。もう、〇〇さん(わたしの上司)の了解はとってる。」と連絡があったのだ。

それから、ほぼ1年間、夫は休職した。
わたしが出勤して帰宅すると、
布団にくるまったままの夫がいた。

こんな中でも、心の和むエピソードがある。
子どもは、そんな父親を受け入れていた。
夫が言うには、
上の子は小学校から帰ってくると、
夫が寝ている部屋を覗き、
嬉しそうにしているのだ、という。

ただ寝ている父親ではあっても
家にいること自体がとても嬉しいようだった。

このエピソード、
ウツから復帰した職場の人に話すと、
同じ体験をしていた。
なんだか、子どもの優しさと
日頃味あわせてしまっている寂しさが
胸をつく。

ウツ治療では、
精神病院の薬漬け問題に直面したり、
薬漬けの状態を短期で脱するために
別の病院の開放病棟で入院もした。
カウンセリングの認知療法が
たまたま勉強好きな夫の性格に合い、
徐々に良くなった。

ウツ治療の1年間、
韓国人の知人の姪っ子さんは
ホームステイ2年目だったり、
家主に追い出されて引っ越ししたり、
下の子はまだ保育園児で、
保育所の送迎に、
スリル満点の自転車の二人乗りをしたり、
思えば、いろいろあった。

そして、わたしはわたしで
職場でパワハラを受けていた。

いわゆる事業つぶし。
事業つぶしは2回目。
初めてのときは、トップの交代などがあってなんとか切り抜けた。
今回は、もう太刀打ちできない。

執務場所を変えられる。
(これは痛かった。)
本業務を進められないところに。
執務場所から離れられないような
業務を分担させる。
それなのに業務が進んでいないと
「重要じゃないんでしょ(無くてもいいでしょ?)」と言われる。
新しく慣れない業務を増やされたのに、
残業を認めてくれない。
(このころは、まだ若かったから、
12時には寝て、朝3時に起きて数時間仕事するということをよくしていた。)
まわした稟議をなかなか見てもらえず、
相手先との対応に支障が出かねなくなる。
(これは精神的にもきつかった。)
毎週のように成果を求める、
意味のない会議が設けられ、
その資料作りに追われる。
内部資料には、
わたしたちのしてきた事業を
「ごみ」と記される。

新しく来た直属の上司が、
最初は様子見だったけど、
わたしたちの必死さと事業の必要性に納得してくれて、「力なくてごめん」と言いながら、何とかわたしたちの力になろうとしてくれたのは有り難かった。

とにかく、わたしまで倒れられない状況だったから、踏ん張った。
パワハラは辛いこともあったけど、
逆に奮起させてくれた。
(パワハラ上司異動後のほうが、揺り戻しで、初めて年休を全て消化するぐらい休んでしまった。)

認知療法が功を奏し、
職場復帰が近づく頃には
仕事や、職場の話が解禁され、
パワハラのことも家庭で話せるようになった。

夫は、カウンセリングの中で
下の子とうまくいかない関係
(嫌われていると思いこんでいた。)を
相談していることも話してくれた。
(まだ、5歳の息子なんだけど。)

豹変したことも
辛く当たられたことも
冷たい目で見られたことも
無視されたことも
労ってくれなかったことも
子育て中のあれこれも 
度を過ぎた劣等感から来る的外れの怒りも
言葉を氷の刃のように放たれたことも

なにもかもウツのせい。

そう思うことにした。

ウツが本当に治っているのか
どうかは、わからない。
わたしは、治療中、ずっとカヤの外だったから。

夫がしたいことを、
できるだけ受け入れて、
YESを言い続けることで、
着地点を探ろうとしていた。

更年期と切れた糸


夫の休職と同じ頃
わたしは、
更年期の症状に悩まされるようになった。

汗が吹き出す
体がだるい
休みのときは起きられない。

下の子には本当に申し訳なかった。

近くのスイミングスクールに通っていたが、
わたしはほとんど送り迎えをしなかった。
練習を見に行ったのも数えるほど。
小学校に入る前だったが、
一人で自転車でスクールに行って
終わったら自販機でアイスを買うのが
彼のお楽しみ。
(いつも、背伸びして買ってますよ〜、
と受付の人が教えてくれた。)

上の子とは、同じ年ぐらいのときは、
よく公園で一緒に遊んだのに、
体が動かなかった。

婦人科治療を受ければ
よかったのかもしれないが
ただ、寝て、やり過ごしていた。

夫は、復職と同時に、
認知療法の先生の応援を得て
心理学の勉強を始め、
社会人大学院に通ったり、
通信大学で学ぶようになった。

水を得た魚のように
ぴちぴちと元気になり
新しい関係を広げていった。

今度は逆にわたしが
休みの日は布団から出られなくなる。

でも、夫は、わたしに
「寝てばっかり」と言った。

ええ〜。最近までずっと寝てたのは、
あなたの方だよね!?

逆になることがあってもいいんじゃないの?
今度はわたしの番でもいいんじゃないの?
と少し思ってた。
わたしも頑張ってきたんだよ。

そして、夫は言い放った。
「僕は、ちゃんと病院に行って治した」

わたしの中で
何かが切れた。 

もしかしたら、
わたしとあなたを繋いでいた
最後の細い糸かもしれない。

わたしが
何とか切れないようにと、
繋ぎとめていた糸だったのかもしれない。 

切れたのではなく、
もう、繋げなくなってしまったのかもしれない。なんとか繋いでいた手が緩んでしまったのかも。

えぇ、えぇ、そうですね。
ちゃんとカウンセリングに通って
治療法が合って
応援してくれる先生にも出会えて
だから、良くなったんだよね。

あなたにとって、
わたしはなんなの?
家族はなんなの?

ウツが治るってどういうことなのかさえ
わからないまま
あなたの何を見て治ったとしているのか
わからないまま、
わたしも家族も蚊帳の外だよね。

わたしは不安だったんだよ。
あなたが今は、
本当はどんな状態なのか
わからないまま
とても不安だったよ。

あなたも辛かったよね。
わたしはなんの支えにもならなかったのかな。

ヒステリー症状に追い込まれたときより
辛かった。
悲しかった。
やるせなかった。

いらないんだよね、わたし。

ある日、夫とちょうど同時期にウツになり、復職した人と廊下ですれ違い、
声をかけられた。 
(どんだけウツになる人が多いんだ、うちの会社)

彼は開口一番
「僕は家族に、妻に感謝しているんです」
と言った。
「しおんさんも大変でしたね。心配だったでしょ?家族が一番大変だと思うんです。彼もきっと感謝してると思いますよ。
僕の妻も…」
話を聞きながら、わなわなと唇が震えてくるのがわかった。

この人のこんな気持ちを
夫から少しでも感じることができたら、
わたしは救われていただろうに。

一緒にいることの意味は
なんなのだろう。
帰る場所が同じというだけ。
ただ、慣れ合いで同じ家に住んでいるだけ。

更年期のトンネルを抜ける


コロナ禍が始まる1年前ぐらいに、
ひとつの転機があった。

更年期のトンネルを抜けた。

ほんとに、
ある休みの朝、ぱっちりと目が覚めて、
「あぁ、わたし、トンネル抜けたんだ!」
と思った。

何があったというわけではない。
目覚めた時に感じた清々しさが、
それを教えてくれた。

休みの日も、
朝から起きて動けるようになってきた。

少し自分の世界を広げていこうとした。

異動してきた上司が
好きなことがとてもはっきりした人で、
生き生きと自分の世界を語る姿に
魅了された。
(わたしは、ずっと非常勤に甘んじているので、この年ともなれば、上司はほぼ年下😁最近は、上席はほぼ女性になった。)

わたしも好きなことを好きと言って
楽しもう。

ご無沙汰していた映画や
興味を持っていた伝統芸能の観劇
所作の美しさに感銘を受けていた
歌舞伎役者の舞台の追っかけ(関西以外では、東京、熱海、山口など)。
少し経験のある日本舞踊の観覧も。

足をくじいてぱんぱんに腫れた2日後に、
整体院でテーピングしてもらい、
編み込みブーツで足を固定し、
追っかけを兼ねた旅行で
自転車を乗り回すこともあった。

そんなわたしを
夫をはじめ家族は温かく見守ってくれた。

夫は、自分自身が出かけることが多いからか、
わたしが出かけることは、
逆に嬉しそうにしている。
そして、往復の交通手段や宿の手配を
してくれることも多い。
(お金は、もちろん、自分で払うけど。)

そうして、好きなことを楽しむ一方で
わたしが、
もうひとつ、ずっと考えていたのは
セフレを探すことだった。

セフレを探す


おそらく、更年期を過ぎたあたりから
何だか、
自分の性欲が増してきたように思った。

女性が、閉経してから性欲が増すのは
珍しいことではないらしい。
もっと言うと、
女性が本当の快楽に目覚めるのは、
60歳になってから説もある。
なかなか、女性の性って面白い。

そんな説はまだ知らなかったけど、
更年期を過ぎた頃から、
身体が疼くまま、
その波にのまれるように、
その波に流されるように、
自分の性を満たしたい思いに
とらわれるようになった。

そして、
自身の性を満たすために、
身体だけを満たしてくれる
セフレを望んだ。

気持ちはいらない。
顔かたち、話し方、話す内容など、
好みな人かどうかは大事だけど、
好きとかどうとかという感情は迷惑なだけ。
こちらの日常に踏み込まれるのは困る。

わたしが思うセフレの条件は、
相手も同じ既婚者であること
(同じ条件、縛りがあること)、
口が堅いこと(当然)
身体だけの関係とお互い割り切れること。

もちろん、性指向が合うなども
大事なことに違いないが、
相手がいないことには始まらない。

わたしには、一人しか思い当たらなかった。

大学1年の時に付き合っていた院生の彼。
(次に付き合った彼は、無茶苦茶口の軽い人だったのでパス!)

結婚して他県に住んでいる彼とは、
大学の同窓会で会う機会があった。
そんな機会をとらえて持ちかけてみよう、と
秘めた思いを抱いて参加する。

でも、結婚直前に同窓会で再会したときから20年近く経ち、風貌があまりにも変わっているのに驚いてしまった。
わたしも年取ったけど、「〇〇さんかな?」と隣のテーブルに真正面に座っている彼を見ても、確信が持てないぐらい…。
時間って残酷。
いや、そう思ってしまう自分が残酷。

会の後、前回の同窓会の時と同じように、帰り支度をしていたわたしに話しかけてきた。
しばらく、並んでお話をする。
「全然、変わらないですね。僕はこんなになっちゃって。」と恥ずかしそうにする。
「今日は友人と二次会に行くので。」と、そのまま去っていった。
話しかけてきたのも、元カノへの単なる挨拶代わり。

だから、わたしの計画は、
単なる妄想に終わってしまった。
自分の残酷さにも打ちのめされた。

通勤時によく一緒になる人とか、
目当ての人がいなかったわけではないが、
やはり、よく知らない人は怖い、という
気持ちが、次に踏み出すことをとどまらせた。

女風との出会い


そんな中、出会ったのが、女性用風俗(女風)。
この出会いは、別稿(「【雑記】脱皮してみようー女風ユーザー再出発②」)にも書いたので、簡単に。

女性用風俗は、女性の性を満たすために、男性や女性のセラピストさんが在籍して、マッサージや性的な接触、行為をするサービス(ペニスの膣への挿入は、法律で禁止されている。)。もちろん、デートだけとか添い寝だけとかでもOK。利用者の意図を汲んで、性的な望みを叶えるサービス

出会ったとき、探していたのはこれだ、と思った。

女風という、
性の技術を買うことで
快楽を体験できるシステムは、
わたしには願ってもないシステムだった。

それに、
プロの人なら、ちゃんとしたお店なら、
安心できる。

面倒な
引きずるような関係も恐れなくていい。
その場だけ、その時間だけ
満たすことができる。

互いに交わす眼差しに
距離を図りながら、
騙し合って
溺れることができたらいい。

夫とか家族や友人に大っぴらに言えるものではないし、
性的搾取の問題など、利用に当たって気になること、悩むことはいろいろあったけど、
ネットのいろいろな情報を読んで、
利用を決める。

ただ、初めての利用はほとんど会話に流れてしまい、意気消沈して終わる。
オーガズムを得たことのない身体で
イクことを体験したい、と
少々意気込みすぎてしまったのもあるかも。

その後、
肌のざわざわあわあわ感だけが
ずっと抜けずに
苦しむことになる。

最初、この肌のざわざわあわあわ感は、
セラピストさんに惹かれているのか、
と思っていた。

「肌の魔力」に捕らえられたのか、と思った。

でも、それは、肌の怒りだった。

好きという感情も抱いてない人に
求められてもいないのに、
無謀な脳が命じるままに、
快楽を得ようと
肌をさらしたこと、
触らせたことへの、肌の怒り

中途半端な接触への
肌の怒り

この肌の怒りをどう鎮めたらよいのか。

わたしがとった行動は、
レズ風俗を予約すること
夫とのセックスを試みること

肌のざわざわあわあわ感を拭い去ったのは、
夫とのセックスだった。

セックスレスの解消


女風の利用の前に、
一度、夫としてみようとした。

夫とのセックスでは得られないと
思い込んでるだけかもしれない。

朝、わたしが伸びていると
触ってくる。
そのまま触らせ続けるだけ。

でも、上手くいかなかった。
中途半端に終わってしまった。

わかってる。
息子が2人いる家で、
安心して、
じっくり身体を重ねるようなことはできない。

後で夫が言うには、
この頃のわたしは、
「盛りのついたネコ」状態だったらしい。

なんか誘ってくるなぁと思っていた、と。

初めての女風利用の1か月後、
夫とようやく向き合った。

その日は珍しくわたしも夫も出かける用事がなく、
息子たちは2階から降りてきてなかった。

「ねぇ」と、ようやくの思いで夫に話しかけると、
わたしの目からは涙が溢れ出てきて、
次の言葉が出なくなった。

夫は、わたしが何を言いたいのか、
もうわかっていますよ、という感じで、
次の言葉を待っていた。

なによ!
今になって、そんな表情でわたしを見るの?
そんな空気でわたしを包もうとするの?

悔しい、悔しい。
なによ、いまさら。
奥歯をぎりぎりさせる。

そう思う胸の内とはうらはらに、
涙が止まらないなか、
言葉を振り絞る。

「あなたとセックスがしたい。
わたしを抱いてほしい。」

夫は、わかっていた、と言う。
「今日、昼からでも出かける?」
と、答えてくれた。

このときのこと、わたしは
Keep メモにこう書いている。 

昨日、夫と、T(下の子ども)のときから初めて抱き合った。

Tのときも、本当に種付けだけのセックスだったから、こんなにしっかり抱き合ったのは何十年ぶりだろう、20年以上経っているかも。

あの時もA(夫の名)が体調悪かったのを無理やりしたけど、今回も喘息がかなりひどくなっているなか…。

直前に、今日無理かも、と言われたときは、触れ合うだけていいから、と泣きそうになったけど、何とか、一緒にいてくれた。
今回も無理させちゃったよね。

A 、いい男だよ。
ほんと。
挿入はうまくいかなかったけどね。
でも、肌が歓んでいるのは、すごくわかったよ。

Aの愛撫はこんな感じだったよね。
むかしと変わんないなぁ、と懐かしくなった。
クリトリスもちゃんと感じたよ。
安心感半端なかった。

(中略)

とにかく、
後先考えずに暴走することからは
逃れられそうかな。

でも、自覚的に暴走するかもしれない。

肌は、ほんとに鎮まった。
灼けるような心の疼きも。

どうして、女風に行く前に言い出せなかったんだろうな…。
女風に行ったからこそ、言えたのかな。

Aとセックスしたい…、
この一言を言う前に、もう、泣いてた。
泣いていて言えない自分をびっくりしつつ、
言いにくいことなんやね、と待ってくれていた。

自分自身が十分に勃たないことも受け入れていたし、「達しなかった」というわたしのことばも怒らずに聞いてくれたし…。

こんなに受容力あったっけ?と思った。

いい男やん。

今、思い返しても、
心がほのぼのして泣いちゃうよ。

わたしを求めてくれる人はこんなに近くにいるやん。

Aとは、夫とは、肌が触れ合うだけでいい。
わたしの肌は、それで十分に満足している。
満たされている。

昨日のことがあって、何か気持ちが落ち着いた気がする。

それでも、女風を利用したい、
快感を追求したいという気持ちが全くなくなったわけでもないけど、
ざらざらした灼かれるような心の疼きはなくなった。

空洞はあるのかもしれない。
でも、それが、埋められない、
満たされない、と嘆くのではなくて、
あってもいいやん、
ぐらいな感じになったという感じ。

夫とのセックスで、
なぜ、ざわざわあわあわ感がおさまったのか、心の疼きが鎮まったのか。

単に、着慣れない新しいシャツは身体に寄り添わないけど、着慣れた服はすぐ馴染んだのか。
夫の少しがむしゃらな愛撫は唯一無二のもので(今、どこ舐めてるかわかってるぅ?って感じ)、ただ、懐かしさと安心感に包まれたからなのか。

でも、わたしは
また、深掘りしてしまった。

夫との今


長い間、
わたしは夫と同じ部屋で一緒に寝ていない。

しかも、わたしは布団にですら寝ていない。(笑)

夫との接触は、だいたい、
朝、晩の洗面台。

ゾロゾロと触ってくる。
最近は、触ってきても、
以前のような拒否はしない。
感じもしないけど、
触りたかったらどうぞ、という感じ。

わたしのお尻が冷たいときは、
疲れているときなのだそうだ。

それはともかく…、
セックスレスの解消の後、
セックスは1回だけ。
夫は、2、3か月に1回でいいらしい。
それって…、
わたし、やっぱり、
女風で満たさせてもらうしかない!?

レス解消の後も、
わたしは考察を続けた。

だからと言って、女風が遊びだとは思えない。
やっぱり、肌って心と直結したとても敏感で、まさしく自分自身。
そこをさらけ出すのは、
自分自身を、だまさないとできない。
真剣で本気なのにだます。
上手く言えない…
ただ、エッチをしたいだけなのに、なんか上手く自分を取り繕うと、してるだけなのかな…?

自慰行為を自己肯定的に捉えるのに長い時間がかかったのと同じ?

でも、誰とでもエッチしたいんかい、とも思ってしまう。

気持ちよくなれるんだったら、いいんじゃないのかなって、かなりあばずれ? 

悶々

これ以上何を言っても、言葉で自分自身を丸め込もうとしてるだけのような気がする。
早く結論を出して、問いを終わりにしてしまいたいというような。

自分自身の性の深淵と向き合うことをやめてはいけない(もしかしたら、浅いかもしれませんが)。
際限のない暴発しっぱなしの性欲をなだめる術を慎重に探すことも。もう、その方法は見つけたも同然だけど。

やっぱり、Aへの後ろめたさはぬぐえない。だから、秘さなくてはいけない。

一般的にどう思われるか考えたら、
まぁ、ひどいことばしか思い浮かばないけど。
自身がその道しかないというのなら、
もう、自分自身は受け止めようよ。

開き直るんじゃなくて、
自分自身を、どこかに着地させるための、
ひとりではたどり着けない場所にいくための、
わたし自身の選択を、
自分自身が納得して、
大事に思えたらいい。

そう、ひとりではたどり着けない場所に行くためにセラピストさんとの時間を買う。

なんだかんだ言っても、
Q店のキャストさんたちに会いたい、
どんなふうな未知の快感があるのか知りたい…、
どんなふうにわたしを満足させてくれるのか知りたい、
というだけかもしれません。

Kさん(最初のセラピストさん)では満足できなかった恨みは大きいかもしれません…💦

この世界を知ってしまって、
どうして利用しないなんてことがあるのだろう、という感じ。
やっぱり、単なるすけべ。

女風の時間は、
わたしにとって身体という物体を差し出すのではなく、
心と繋がった肌をさらす、
そうやって、
ひとりではたどりつけない
性の快感を体験する時間

快感を得るための代償はとても大きい。
誤るとダメージが大きい。

だから、遊びなんかじゃできない。
中途半端な気持ちではできない。
悲壮にはならなくていいけど、
気負わなくてもいいけど、
きっと、いつも、形容しがたい思いを抱えるんだろうな、と思う。

人の肌には魔力がある、
このことは忘れてはならない。
好きでもない人に触れることを許すことは、傷つきながら快感を求めているのと同じかもしれない。
血が滲んだ肌を、快感で埋められたら、
少しは修復が早いかもしれないけど。
そこまでして、肌をさらすのに、
遊びの気持ちではできない。

もしかして、後ろめたさを、
自身も傷付くことでしか、
向き合えないのかもしれない。

いや、
後ろめたさそのものに爪を立てている。
体験、なんてきれいな言葉じゃないよね。

性の快感に溺れる時間

そうまでしても、快感に溺れたいと思う、
自分の性

(中略)

裏切りとわかって、
それでもそのようなことをする自分は、
もう人間としてダメなんだろうか?

少なくとも、パートナー失格か…

自虐 

好きという思いもない、
求められもしていない、
それでも肌をさらす、
パートナーがいても、いなくても、
同じこと。

自身を裏切っている

心は求め、恐れている、
肌の記憶の報復に恐れている。

セラピストさんが心の中で、軽侮を感じていても仕方がない。それを感じさせずにプロとして接してもらえればよい。

自慰行為?自姦?

単に自身の性欲をコントロールできない、だけ。

性欲、なんだろうか?

性欲、だから自分を許せるわけでもないだろう。

心が求めても、わたしの肌は正直すぎる。

セラピストさんに会うために、
外観を整えようとするのは、
自分自身も商品のように感じているからかもしれない、と思った。
セラピストさんも商品だけど、
自分自身も商品として差し出すような感じ。

自瀆

村山由佳『花酔ひ』
「心の飢えならば言葉を尽くすことで満たせるかもしれないが、体の飢えはまた別なのだった。相手への優しさや思いやりでは埋められないものが、そこにはどうしようもなく存在するのだ。」

何で、女風があるんだろう。
その存在を知ってしまったのだろう。
その存在を求めている女性がいる、ということ。

パートナーを裏切ることになるのか。
でも、知ったら傷付くことはわかっている。

傷つけたくてしているのではないということだけでもわかってほしい。

どうしようもないんです。

未知の快感がそこにあると思うと、
欲しくて欲しくてどうしようもないんです。

それを人がなんと呼ぼうが。

夜の闇から呼ぶような声に誘われるかのように、自ら迷子になっているだけ。

罪とか、後ろめたさとか、
そんな、ややもすると甘いことばには
自ら爪をたてよう。

自分自身にプライドはあるか?
自分の矜持とは?

性欲を満たすこと。
それだけのことなのに、いろんな問いがやまない。
問うことをやめてはいけない。
未知の快感を得ること、
そのために自分の肌をさらすこと、
そこに自分のプライドはあるか?

選ぶことが、自分のプライド

敢えて迷子になることを選ぶこと、
それは自分自身の選択。
自分で選ぶことが自身のプライド

女風を利用した自分自身への問い、
女風をそれでも利用したいと思う
自分自身への問い

自虐はほどほどに。

自虐から出た言葉は、
ややもすると陶酔、
自分に酔うことにしかつながらない。

わたしが欲しいのは、
自分の状態をありのままにあらわす言葉
垢のついていない、
心を映し、心をえぐる言葉

(中略)

Aはかなり調子が悪そうだ。
そんな一方で、妻はこんな状態で、
ほんとなってない…。

未知の快感を得たい…か。
本当に自販機からものを買うかのように、
そう望んでいる。

Aとの関係の中で、
探っていくことを放棄していたのかもね。
この前のセックスで、
少し、わたしたちの関係を諦めることはない、と思えたことは大きい。

割り切ったら、大事にしたいものがこぼれてしまう気がする。

傷付くことがわかっていながら、
行為に及ぶのは、
やはり、パートナー失格なんだ。

満たされないのではなくて、
満たそうとしていない。

その努力を自ら放棄している。

なぜ、他の人に身体をさらしたいのか。
自身も傷つくのに。

自分も夫も傷つけるようなことをして、
わたしは何を得たいのだろう。

もともとタガは外れてた。
この前のセックスで、
外れたままでいいのか、
今いちど、丁寧にかけ直す必要があるのではないか、という気持ちになっているから悩むのだろう。

捨てるもの、
大事にしたいもの、
捨ててはいけないもの

夫婦関係で満たされないものは外注もあり、それが性の解放、
みたいな言葉に同調している場合ではない。

(中略)

倫理観は、もともとなかった。
でも、壊したくないものもある。

家族って、
わたしたちがつくってきた家族は、
今は分かち合うものがない。

わたしは、ずっと自分勝手

いろんなところで、
いろんな家族関係を知ると、
わたし、子どもたちが小さい頃、
ぎゅーっと、抱きしめてあげれていたかな、とか、
話しかけていたかな、とか思う。
あまり、わたし自身が
家族と関係を築いてこれなかったのかな。

たぶん、わたしのそういういろんな意味での薄さが、今、返ってきてるのかな。

Aとのことも、日常の関係の薄さや断絶が、セックスレスを招いてる。

日常が、前戯であり、後戯なんだろうに。

ホテルに行くだけで、
挽回できるというのだろうか。

日常のちょっとした傷の積み重なりや、
過去のトラウマがわたしをさいなむ。

トラウマだけじゃないよね。
わたしがしてきたこと、
家族の今が、わたしを苛んでいるんだよね。

家族と向き合うことがつらかったり、
自身を責めたり、
八方塞がりに感じたり、諦めたり…、
そういう関係性の中では、
自分自身でしか慰めようがないように感じたり…。

わたしが、外に性を求めるのは、
逃げ、なのでしょうか。

きっと、誰とであっても、
わたしは変わらない、
同じような関係しかできない、
そう思ってしまうつらさ。

そういうのをすべて横においておくことでしか、セックスができない、のは、
Aとでも、他の人でも一緒

だから、自分の中で、ねじが外れているように、タガが外れているように感じるのだろう。

日常的なところでエロスを感じられなくなっているから、大事にできなくなっているから、制御もできない。

制御ができなくて、
性を消費する行動に出てしまうのか、
このまま制御できなくなるのが怖いから、
制御可能な(と、自身が思っている)ところで自身を傷つけているのか。

って、わたしの女風は、自傷行為みたいな話になってる。

日常と繋がったところで…、
その延長でのセックスではない。

そんな状況で、夫とセックスをしても
断絶は深まるばかり、かもしれない。

そんな悲しいことになるなら、
最初から断絶したところでのセックスのほうがまし、
…そんなふうに知らずになっていたのだろうか。

知らずにそういう選択をしていたのだとしたら、少し自分に絶望する感じ。
悲しくて悲しくて、もう笑うしかない感じ。

絶望か、
自身の業の凄みみたいなもの、
自身の奥底に潜む虚無のようなもの、
気付きたくなかったもの

夫とのセックスでも埋められない日常の亀裂の深さって何よ、という絶望

夫婦のセックスはテクニックではどうしようもない。

結局、自分の中で、
夫とのセックスも、
女風でのセックスも
境がなくなって、
単に日常から切り離した
単なるセックスになっている

自分の中での、
あまりにも薄い罪悪感は、
そういうことなのだろう。

Aが知ったら傷付くことはわかっているから、秘めないといけない、
という覚悟だけがある。
傷付くか、軽蔑されるか。
軽蔑されるなら、そのほうが気が楽だよね。

日常からの逃げ…か。
なんか、ありきたりのところにきちゃったね。
そこを見たくなくて、
閉経後もマシマシなんて、思ってたのかな。
どっちもあるんだろうけど。

こんなことに気付いたら、逆になんだか性欲減退する感じ…。
気持ちが落ち込んじゃったからかな。

わたしはわたしを見つめる。
わたしを誰かが見つける。

わたしは家族を見てるだろうか。
家族はわたしを見つけているだろうか。

夫とのセックスレスを解消した後も
考察を続けて
辿り着いた地点は、残酷だった。

わたしにとって、セックスは非日常の営みなのだということ。
日常や過去や未来、今でさえ
横に置いておくことでしか、できないもの。
その点で、女風も夫とのセックスも同じ。

日常のエロスをどれだけ感じられているのか、と思うとその欠落ぶりに愕然とする。

自分自身の愛情の薄さにも。

そして、“夫とでも”セックスができる自分に、過去の記憶が触手を伸ばす。

こんなにあなたに傷つけられてきたのに、
こんなに自分で自分自身を傷つけてきたのに、
それでも、あなたに身体を開くことができる。
あなたと身体を重ねることができる。

それは、赦しなのか
じょうなのか
それとも、 
絶望なのか。

夫婦のセックスは、
夫婦だから当たり前のことか?
もしかしたら、
絶望からくる行為かもしれないのに。

セックスは体験に過ぎない


このかん、女風利用の現地点をわたしはどのように考えているのだろうかと、いろいろ思う中で、しっくりときた言葉がこれだった。

初めての利用後、わたしの中では女風の利用で、ずっと繰り返し、行き着いてしまう考えがあった。

1 好きと思っていない人に、求められてもいないのに、肌をさらすこと

2 性を分かちあうのに、その人である必然性は、何もないということ。

3 快楽を求める切実さを日常的な買うという行為で叶えようとしていることに、愛への怠惰を感じてしまうこと

4 自分自身の身体をセラピストさんに差し出す商品のように感じてしまうこと

ずっと、セックスと愛情を切り離すことに、
罪悪感を感じていた。

単に性欲のみで快感、快楽を得ようとしている自分が、歪んでいるように思えた。

肌の復讐も、そこからきているように思えた。

好きという気持ちとセックスは重なるべきと思い、
そうならない自分が歪んでいるように思い、
人間として何か大事なものが欠けているように思い、
そして、わたしにとって夫とのセックスも
女風でのセックスも、
「非日常」のもので、
日常のいろいろや、いろんな問いかけを
横に置いてしかできないものになっているという絶望感もあった。

でも、今は、
わたしにとって、
今までのセックスも
愛というものからは遠かった、と気付いた。

性への興味も憧れも、
好きとか愛とか、とは関係なかった。

それが、わたしの性のかたちなのだろう。

わたしの性は、
ずっと、脳の暴走に従っていただけ。

今までのセックスも体験に過ぎないものだったんじゃないか、という思いに憑かれている。(経験は、全然多くないけど)

ただ、風俗3回目の利用での
ソーマさんとの時間は、

体験に過ぎないけど、
でも、わたしを形づくる、
わたしが形づくられる体験、
わたしを妄想の世界から
生身の感覚を取り戻す体験
なのだ、とも思えるものだった。

そして、最初に掲げた考えのうち、
最初の3つは、
純粋な快楽の追求の前に
もう、問いかけすら不要になってしまった。

もともと、好きという気持ちと身体は
全然リンクしていなかったけど、

ただ、身体が開いていくほどに、
自分の中でリンクしてしまうような回路が
できてしまうかもしれない、
という怖さはある。

今は、まだ、セックスは体験に過ぎない。
無邪気に
未知の刺激に
新しい感覚に焦がれているだけ。

気持ちはいらない。

その技術を貪欲に味わい尽くしたい。

可能なら、
わたしの欲しい言葉も
ときどきは。

夫への手紙


Aへ

わたしは、あなたの知らない世界で
わたし自身の快楽を追求します。

それは、あなたを見限ったからでも
嫌いになったからでもありません。

もちろん、過去の記憶は
今でもわたしをさいなみます。

でも、それよりも、なによりも、
わたしは、
幼い頃から、ずっと、
性の技術に憧れていたのです。

快楽を追求すると言っても
実際は、日常的な消費行動と同じように、
単に選択肢の中から選んで、
買っているに過ぎません。

ただ、今は、通り過ぎることができないのです。

日常とは異なる世界で
特別な技術を持った人と
自身の快楽を追求できる場所があることを知った今、
通り過ぎることができないのです。

あなたとは叶えることができない
性の技術への憧れを
叶えたいのです。
存分に味わいたいのです。

ときどき、あなたの手を離して、
わざと迷子になります。
迷子になって、
見つけてくれるのはあなたじゃないけど。

そして、
また、
あなたのもとに帰ってきます。

必ず
帰ってきます。

          あなたの妻 Sより




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