「爆豪推しは麻原彰晃好きなのと同じ」と直接言われた。全力で反論する。
私はヒロアカの爆豪勝己というキャラが好きなオタクなのですが、以前、爆豪ファンをボロクソ叩く人があまりにも多いので
「爆豪好きってだけで酷いこと言われてつらい。人の好きを否定するのは良くないと思う」
と投稿したことがありました。
すると、直接こんなことを言われたのです。
「麻原彰晃好きって言ってる人居たらやばいでしょ?それと同じじゃない?」
は!?!?は!?!?!?泣泣泣
ということで反論していきます…。いやまじで泣きそう。つらい。
麻原との決定的な違い
正直、あの元死刑囚と推しの差を伝える日が来るとは思いませんでしたが…弁明せずにはいられないので考えたことをちゃんと書きます。
私は、"麻原が好き"と"爆豪が好き"の違いは主にこの2つだと思っています。
一つ目「創作物のキャラクターである」
昨今では特に「創作と現実の区別をつけろ」などといった文言を見かけますが、言いたいことはまさにそれです。
爆豪がどうこう以前に創作のキャラクター全般において、基本的に現実の人間と同列に語ることはできません。なぜなら"実際には何も起きていないから"です。
爆豪は確かに中学生の頃いじめをしていましたが、その被害は現実には起きていません。その上で、創作物として爆豪というキャラが好きなことのなにがいけないのでしょうか。
なのに、それを現実の犯罪者、ましてやいくつもの事件を起こし死刑になった麻原に例えて批判するなど筋が通りません。何度も言いますが、創作のキャラと現実の人間な時点で、罪の重さを抜きにしても全くもって同じではないのです。
ボンドルドが好きな人は現実の児童を拷問にかけるマッドサイエンティストに魅力を感じると?
吉良吉影が好きな人は現実の快楽殺人者まで推していると?
痴漢が合法な世界という設定のエロ同人やAVが好きな人は、現実の痴漢をも軽視していると?
悪事を働いたキャラのファンは「それが創作で、現実に被害者が出ていないから好き」と考えている場合がほとんどでしょう。
二つ目「ヒロアカの世界で生きている」
これはかなり個人的な考えにはなるので解釈が違う方もいらっしゃるかもしれませんが…、私が読んでいて思ったこととして、
ヒロアカ世界の"贖罪"に対するメッセージ性は現実の平均的感覚より少々寛容な気がするのです。
なぜなら、「過去と向き合って罪を償おう、変わっていこうとする人」や、それを見て「全部ではなくとも、少しずつ相手を赦そうとする人」「過去は消えないとしても、その上でこれから先のその人を見ようとする人」を何度も何度も描いているからです。
勿論、ヒロアカ世界の全員がこうというわけではありませんが、少なくともそういった人々を肯定的に描いている作品ではあります。(許せないと思う人を肯定している描写もあります)
そう、ここが大事なのですが、もし現実で同じ償いをして同じ後悔を感じていたとしても好きになったりできません。被害者も許したりしないでしょう。
実際、私も父から虐待を受けていた人間であり、父のことが苦手です。もし今さら後悔していると(絶対あり得ないけど)言われても、好きにはなれないと思います。
しかし、エンデヴァーはキャラとして大好きなんです。
見た目や性格も格好よくて好きですが、やはり過去の罪と向き合い、父として変わろうと、ヒーローとして責務を果たそうとする姿がとても好きです。
その理由は一つ。ヒロアカの世界で生きるキャラクターたちだからです。
この「そういう世界だから」というのはあらゆる作品で応用できますが、
ヒロアカで言うと峰田が除籍にならないのもその理由に当てはまるでしょう。
「何度もノゾキをしようとしている、特に銭湯では自身の個性を使って壁を登りノゾキをしようとした」
というのは、普通に考えてヒーロー科を即除籍処分にされてもおかしくありません。
しかし、ギャグっぽく処理されてその後なんのおとがめもないですよね?
それは「そういう世界だから」です。
これが贖罪に対する感覚にも言え、現実ではいじめっ子なんていくら後悔しようが好きになんてなれない私が爆豪推しになったんじゃないか、と思うのです。
最後に
(ちょっともう触れたくないのですが一応…)
というわけでこれが、麻原彰晃という元死刑囚が好きだと公言するのとは全く性質が違う理由2選でした。
もっと言えば、好きを批判される道理はない理由2選です。
しかし、「爆豪が嫌い」という感情自体は全く問題ありません。ファンに直接送りつけたり、表現を規制しようとしない限りどれだけ公言しようが自由です。
だって実際、一話目の爆豪がしたいじめは
"生まれつき足が不自由でもサッカー選手に憧れる少年に向かって、リフティング見せつけながら「死んで生まれ変わったら足動くかもな」と言い放つ"ような所業であり、
ファンの私から見てもそのシーンには嫌悪感しかありません。ですから今でも嫌いと思う人がいるのも至極当然です。
だからこそ、「自萌えは他萎え、他萎えは自萌え」みたいに、お互いの自由を尊重し、
人の"好き"も"嫌い"も否定することなく過ごせたら平和で良いなと個人的には思っています。
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。