人生観について。
こんにちは。このページを見つけてくださり、ありがとうございます。何かしらのお役に立てたなら嬉しいです。
今まで私は世間体ばかりを気にして、それを強いプレッシャーに感じて生きてきました。今もまだその感覚があります。
将来1人で働いて(障害者年金2級は受給しています)生活していかなければならない。どうゆう職種なら継続できるか。車の運転免許証を取るお金はどう貯めようか。取れたとしてお給料から維持費を捻出して生活できるようにするには、どのくらい稼げば良いのか。いや、車を持たず、電車やバスが便利な場所に住もうか。考えては焦り、チャレンジしても続かず落ち込み立ち止まっていました。
この親に金銭面を頼らずに生活してゆくというのは私の近々の問題であり課題です。今私は精神障害者年金2級と父からの期間限定の生活費をいただいて生活をしています。就労にはまだ就けていません。就労支援b型のほんの午前2時間の内職の就労さえ、ままなりません。
原因は解らないのですが、すべての身支度が整い、あとはもう少しで家を出るだけというタイミングで動けなくなるのです。座ったまま立ち上がれない。急にそうなるので自分でも動揺してしまいます。そして、どうして動けなくなるのか、どうしてほとんどの人が出来ている毎日のように同じ時間に家を出て、同じ時間、同じような作業をするという動作を何故私は出来ないのか。
ひたすら落ち込み、解決できない状態で、今現在は就労支援b型を長期でお休みしている状態です。最近は好きで通っている居場所でさえ、行く直前になって準備万端にも関わらず急に動けなくなるときが頻繁に起きるようになりました。好きな場所へ行く、そこに楽しみがある、なのに体が動かない。
この原因を突き止めて解決しないと、動けるようにならないのか?同居人でもある友人は、原因を突き止めて解決するより、対処方法を見つけたほうがいいをじゃない?と言ってくれました。
感情的にならず、落ち込まず、ただ対処方法を探してゆく。簡単に落ち込まないで理性的に、とはいきませんが、あまり感情的にならないほうが良さそうです。必要のないエネルギーを使って疲労困憊し、良い結果を生まない経験が多々あったからです。この家から出るとき、特に作業、仕事に行くときに体が動かなくなる問題を解決することが私の今の課題です。
一度、同居人でもある友人に私の人生観をふと話したことがあります。苦しくても我慢して、食べていくために働く。それが死ぬまで繰り返される。生きるのは苦行。それが当たり前。
この私の考えに友人は、あまりに暗すぎて衝撃を受けたそうです。私にとっては当たり前の考えでしたが、人に話したことはなかったので、衝撃を感じる人もいることに私自身も驚きました。生きていくのは辛くて当たり前で、それに耐えて生きて死ぬ。
この価値観を和らげて、もっと楽な価値観に変えられたらどれだけ楽だろうと私も思います。
私は幼少期から、忙しく余裕のない共働きの両親と、その間に流れる殺伐とした冷たい空気を感じながら育ちました。だいぶ私が成長するまで、辛そうにしながら疲労困憊で帰宅する両親しか見たことがありません。生きるのは辛いこと、という価値観はここから始まっているのかもしれません。楽しいことは多々あります。
ですが、根底にあるのは、呼吸するだけで辛い。生きるのは辛いことという価値観。どこか諦めもあります。切実に求めても得られないことが多かったのも影響しているかもしれません。
いかに充実した時間を生きるか、そこに重点をおき、自分が満たされる生き方をしたほうが結果的にも楽に生きられるのかもしれません。今こうして書きながら文章をまとめていて、そう思うことができました。
まだまだ経済的自立の目標達成までに、時間がかかりそうです。幸せになるために生きるという考えに変化してゆくのも、きっと時間はかかります。ですが、なんとか生きていかなくちゃ。周りの大切な人たちに迷惑をかけたり、悲しませたりしちゃいけないから、がんばるしかありません。もう少し楽に考えられたら。
今回は私の人生観を変えていかなくてはならない課題を見つけることができました。
こんな文章を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。感謝します。
それでは、良い1日になりますように。