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noteを書くことで、成長してるような気がする話。

なんだなんだ、どうしたんだ??

最近、わたしの周囲の人たちの急激な進化・飛躍に驚いてます。

ある人は音声配信の海に飛び込み
ある人は新天地を求めて準備に余念がなく
ある人は今までの殻を脱ぎ捨てようとし
ある人は新しい自分に気付き
またある人は、斬新なアイデアで周囲を沸かせる

なんなん? みんな、成長期なの??

先日もnoteを徘徊していた折、「いろいろ書いて試してみたけど、◯◯が自分にとって一番自然でいられることに気付きました」なんて記事を拝見しまして。

うわー、めっちゃキラッキラ。
そりゃもうキラッキラで眩しいくらいでしたよ。


その姿がね、みんな、とっても楽しそうでワクワクしてて。観客席から拍手喝采スタンディングオベーションですよ。紙吹雪まで散らしたいくらい。



………なんですけど。
その気持ちに、まったく嘘偽りはないんだけど。

けどさ?
いいなぁ、とか、嫉妬っていうか、まぁそんな気持ちが、わくよね。恥ずかしい話ですけどね。うん、まぁ正直に言っちゃうとね。

嫉妬? んー、「妬ましい」? 憎いとは思わないんだけど。「うらやましい」が強い感じでしょうかね。


ちなみに「妬ましい」の意味ね。

自分よりも好ましい境遇に置かれた者に対して、うらやましく思い、かつ憎らしく思うことを意味する表現。

Weblio辞書より


嫉妬したからと言って、人の足を引っ張るようなことは、絶対に、しないです。じゃあどうなるのかと言えば、気持ちが向かうのは、相手ではなく自分なんですよね。でね、ネガティブな人が考えるのは。

なんで自分はこんなにダメなんだろう、なんですよね。

ぜんぶ、自分を責める・傷つける方に向かうんです。


今まで、こんな傾向の自分を「人のことを悪く思うよりもマシ」だと思ってたんですけど、違うんだよなぁ。

人も自分も、同じ。大事。
責める必要なんて、まったくないんだよね。

うらやましいと思う気持ちは持ったままでいいんだと、ようやく思えるようになりました。
「あんな風になりたい」のなら、そのように頑張ってみればいいだけで。もしダメでも、ほんの少しは目標に近づいてるんじゃないかなーって、思えるようになりました。

多分、noteを書いてるのが、ジャーナリング(書く瞑想)の効果になってるんだろうなーと。


先日、「文章力が上がった気がする」的なことを書きました。どうやら人間的な成長もしているような気もしますよ(言ってろ)。


思うだけなら自由なんでね(笑)。
わたしも勝手に「成長した人たちの仲間入り」をしてみようかなと思ったのでした。

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