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【D-35】『関心領域』/煉瓦

映画とお笑いを同じ日に観にいくということをたまーにやるんですが、自分でもよくこんな大きな感情の振り幅に耐えられるなと思います。

ただ、それでも1日に詰め込まないといけないくらい時間が足りないのです、観たいものがこの世にありすぎるので。

『関心領域』

アウシュビッツ強制収容所の隣に住む将校とその家族を描いた映画。

という前情報だけで興味をそそられ観に行きました。終始不穏な感じが続きつつも、何かすごいドラマがあるとか衝撃的な展開があるとかはではなかったです。ただ、だからこそとてつもなく怖いです。

「人間はここまで残酷になれるのか」というレビューも見ましたが、それはあくまでわたしたちが人道的な倫理観の整った教育を受けてきたからこそ感じることだと思います。

正義や人としての正しさというのは、太陽のようにただ一つ紛れもないものではなく、その光に集まる無数の虫のようにあらゆる種類の姿かたちをしています。どの正義を信じるかは、どの時代のどの種に生まれるかで全く異なるものだと思うし、特にホロコーストや戦争といった題材に触れるときにはこの考えを絶対に忘れないようにしています。いまの自分の認識する"正しさ"とは、無限にある解釈の中の一つを選んでいるにすぎないと思うからです。

伊藤計劃の『虐殺器官』という作品では、なぜ戦争をしなくてはならないのかという問いに「ビッグマックを食べきれずにゴミ箱に捨ててしまうような日常を守りたいから」という表現が出てきます。この映画はそういう視点からみるホロコーストを、観客にいやらしく見せつけてきます。

認識した瞬間に立っていられなくなるほどの世界への無責任さ。確実に存在している悲痛な叫びを認識しながらも、それを無視できる権利のうえに立つ平穏。「お前らだってそっち側なんだぞ」と言わんばかりの日常的な風景に、かなり嫌味を感じます。

個人的には、収容所の中の人が書いた楽譜を、使用人がピアノで弾くシーンが一番強烈でした。

アウシュビッツのこの家を天国と信じて絶対に手放したくないとキレ散らかす婦人の隣に、明日自分が生きてるか分からないけれど数十年後の同胞たちの自由を夢見て曲をつくるユダヤ人が生きているということが、あまりにも近い距離で認知が激しく歪んでいておぞましかったからです。

あと、これから観に行かれる方に伝えしておきたい。この映画をポップコーンとかを食べながら観るのはオススメしません(音に耳をすますシーンが多すぎるので)。まぁ、そもそもホロコースト見ながらポップコーンという発想が上流階級すぎて引きますけど。



煉瓦

たのしいお笑いの時間です。

ひつじねいり。めちゃくちゃおもしろかった〜〜!
ネタが進むにつれて、ということは?つまり?と期待していたその通りのでっかいボケで爆発して、めちゃくちゃ気持ちよかったです。いつ見ても絶対おもしろいひつじねいり最高。

兄弟。なんかすごいピュアな話だった。汚さとか裏笑いとかなく爽やかにこういうネタができるのが兄弟の素敵なところだなぁと思いました。あとこういうネタをいっぱい見れるライブに行きがちなので、兄弟が毎回違うネタをやってくれるのが本当にありがたい。。

小松海佑。なんか久しぶりに見た気がする!感動するくらいいつもおもしろいけど、今回もすごかった。記憶の解像度が高すぎて油断していると「あんまそのまま受け取りすぎるなよ」などと言われる。神の視点すぎるだろと思う。こんなライブ感ある神の視点見たことないなと思ってまた感動する。本当に小松海佑のような芸人がいてくれて、こういうお笑いがあってうれしいなと思います。

牛女の時事漫才も見れました!うれしい!2024年上半期のおさらいでした。特定の思想に偏っている人のつくる時事漫才、おもしろすぎました。謎かけいっぱいスペシャルでした。

にゃんこスターの"最古のお笑い"も最高でした。隙あらば三助が降りてしまうズルコント。ズルすぎる。でも最高。

「あゆむがバイト先にいるのイヤに決まってるだろ!」
「2人兄弟なので、息子の2/2が吉本興業という家庭」
(兄弟の)弟が(木田の)弟を探している
「最近謎かけがすぐできるようになってきた」
「加齢とともに言葉を音でしか認識できなくなるから、オッサンはオヤジギャグを言う」
演者が創価ばっかりのライブになぜか呼ばれてしまった
金澤TKCファクトリーが「俺違いますからね?!」と言った話