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大切に使っている言葉。いつかくるその日まで、大切にとってある言葉。

自分で言葉を考えるのが好きだ。

景色や映像を見たり、本を読んだり、誰かと一緒にいたりして感動したとき。
脳内に、これまで自分が覚えた単語たちが溢れる。
この感動にはどれが一番似合う?どれが人に伝わる?
手のひらに広げてみて、取捨選択していく。
どんな言葉を用いてその感動を表現しようかと考えるのが好きだ。

同じくらい、
もともとの言葉の意味を考えるのも、好きだ。

歌詞とか短歌、映画の中の台詞、小説の一文、遠い星や人の名前、キャラクターにつけられた商品名、キャッチコピーに胸打たれたとき。
他人が並べた単語から伝わるものを噛み締める。
心の中で「わかりみが深い」とか「くうぅぅ…」と味わう。
どうしてこの言葉を選んだのか、いやこの言葉以外にない。
なんて、思いながら、その表現の意図を考えるのが好きだ。

前者については私のnoteやInstagramを見てくださった人ならお分かりだろう。
本の感想ひとつとってみても、私の文は長い。そしてよく分からない。
それを知った上で文体をちっとも変えていないのだから、もう開き直りというか、正直諦めているわけで。
少し前に色々と思うことがありちょっと落ち込んだりしたけど、まぁいいやとりあえず書きたいこと書こう!なんて無駄にポジティブを繰り出して、今に至る。

そう、前者のことは置いておいて。
後者の好きについて話したい。

私という人間は、そのものの呼び名、そのものを表現している言葉に弱い。

好きな登場人物の名前とか、よく聴くバンド名とか。本ならそのタイトルとか帯に書いてある文、映画なら予告編のキャッチコピーとか。
そのものを表している言葉。

あと、物語全体の内容や一曲通して、じゃなくて、この頁の一文!や、歌詞のこの部分!とか、この場面の台詞のここ!とか。
そのものの、部分的に切り取った言葉。

それが時折、胸の奥の感性という扉をバンッと開いて上がり込んでくる。
初めましてーっ!と叫んで肩を鷲掴み、ゆさゆさと揺さぶってくる。
突然の出来事に目をチカチカさせて放心状態。
感情が定まってようやく、こちらこそ!と言って固い握手を交わす。
出逢ってくれてありがとうと深く深く思う。

大袈裟な比喩だが、強い感動に出逢ったら人ってこうじゃないか。

たぶん、「ツボをつく」って言った方がわかりやすいんだろうけど。
私はツボなんて生ぬるいと思う。

そこに、もうこう、グッと押すどころじゃない。
なんていうか、ガッとくる。
掴んでくる。
痛いなんてもんじゃない。
抉ってくる。

毎回ここまで強い感動がくるとは限らないんだけど。



たとえば、化粧品の商品名に惚れたことがある。

美容に関して強いこだわりはないが、少し前に流行ったイエベやブルベや春夏秋冬は、それとなく自己判断で調べたことがある。
だけど素人がする、ましてや色彩感覚に長けているわけでない自分がする判断は曖昧だもんで、実際どれに当てはまるかなんて明確に分からないままだった。
そうなるともう面倒くさくて、なんとなく年相応の無難なカラーを目や唇に塗り続けた。
流石にファンデーションは肌色から浮いた色を買って使いきれなくなったら嫌だ、という貧乏心で百貨店の美容部員さんに選んでもらうことはあったが。
そこで素敵な色のアイシャドウやリップを勧められても、若い時のあの冒険心はどこへやら。
どうも尻込みしてしまう。

かと言って、全く興味がなくなったわけじゃないし、化粧すること自体は嫌いじゃない。
何かないと困るけど、どうせなら心惹かれるものがないかな。
と、ネットサーフィンすることが増えた。
今は指を少し動かせば情報が目に流れ込んでくるから、そこからいかに運命を見逃さす、見定めることができるかにかかっている。

ある日、OSAJIというブランドに行き着いた。
開発者が母の肌に使える安全なものを、とつくられた化粧品たち。
ホームページから肌への優しさが伝わってくるような洗練された印象。

肌に合えばそれに越したことはないよな、と思いながら商品ページをスクロールする。
その時はリップを探していた。
海外ブランドを使うとなぜか皮向けがひどく、かといってプチプラだと発色は良くてもすぐ落ちる。私にとって化粧品の中でも口紅は特に悩む。
とはいえ、皮膚科に行くレベルで荒れなければいいか、くらいの心づもり。

いくつも並ぶ、ピンク、オレンジ、コーラル。
いろんな色があるなぁ、と画面をサラサラ見つめていた。
ふと、これなんかいいかも、と手を止めて商品名を見た時、きゅんっと胸が鳴った。

Fuu〈封〉、Ashioto〈足音〉、Kimito〈君と〉…

これが、各商品の名称だった。

何これ。
見たことない、聞いたことない。素敵。
瞬時にそう思った。
感性の扉が開いた。

本来色で選ぶそれを、もう私はその名前で選び始めた。
モデルが手本に塗った写真を横目に、各商品の名前の隣に書いてあった「どんな色なのか」紹介文のようなものを夢中で読んだ。それも分かりやすい以上に、素敵な文だった。

何度も何度も読み替えして、やっとのこと私は「Kokorozashi〈志〉」と「Page〈頁〉」というカラーを選んだ。
そして別のページでネイルが販売されているのを見て、またその名称と紹介文を読んでため息をついた。
購入する予定ではなかった「Yorimichi〈寄り道〉」と「Yokogao〈横顔〉」という名前のネイルもカートに入れた。
(ここで何故このネイルカラーを私が選んだのかわかったあなたはすぐにでも友達になりましょう)

届いた日の、開ける瞬間のワクワクったらなかった。
幸いにも唇は荒れず、使い心地がいい。

しかしそれ以上に、充実感に満たされていた。
リップもネイルも使うたびに、胸がおどる。
自分に似合うことも大事だけどそれ以上に、使っている自分が楽しくなるひつとの条件として、選んだ “名前” 。
それが私にもたらしたものは、たまらなく大きい。
しかも私しかそれを知らない。
最高だ。


たとえば、観葉植物につけた名前もそうだ。

買ったその日がこんにゃくの日だったので、そのまま「こんにゃく」と名付けられた。なんともかわいそうなウンベラータ。

それでも、夫婦で「こんにゃく〜」と呼んで水をやるたびに、おかしくも愛しい想いが込み上げる。
想いが届いてと信じたいが、2年前からスクスクと成長し続けている。
本当は間引いた方がいいのだけど、夫が「なんか嫌だ…」と言って切らないから、わさわさとたっぷり葉を実らせている。
私が欲しがった時は、いらないと言っていたのに、今では彼の方が丹精込めて育てているから不思議だ。

たとえば、台詞や文章だと、
そのすべてを正しく覚えることは難しい。

だから、本を読んでいて刺さった言葉があったら、私はすぐにページの端を折ってしまう。
付箋を貼る方もいるだろう。栞を挟む方も。

そして胸が熱いうちに自分なりの感想をしたためるが、ページを折った箇所にある言葉を丸々引用することは、何故かほとんどない。
たぶん、物語を読んだからこそ辿り着いた言葉だから、そこだけ抜くと、そこに繋がる想いを私が上手く伝えきれないからかもしれない。
でも忘れたくない言葉だから、しばらく経ったあとに読書用のノートにそれを書き綴ったりする。

ふとした時に、感動を思い出すために。
逢いたい時に、逢えるように。
綴る。

ただ、映画や漫画、ドラマだと、文字に起こすと臨場感が出ない。
本当に感銘を受けた言葉は、その映像かイラストを覚えて、必要な時に記憶から取り出すしかない。





特別な言葉。

口にする時は心を込める。

まだ言う時じゃないなら、

いつかくるその時まで、大切にとってある。

そんな言葉はありますか。

ありふれていたっていい。
誰も知らなくてもいい。
たくさん使ってきて、擦り切れていても。
胸を突いたあの日に置いてきたまま、埃をかぶっていても。
今の今まで、忘れていても。

あるんじゃないですか。

人が大事にしている言葉や好きな言葉にはきっとちゃんと理由がある。
だから、それを口にする時、心で呟く時、知らずとも愛情が込もっている。
その瞬間に、背筋が伸びたり、優しくなったり、
とてもいい顔をしている。

思うだけでそんな風になれる言葉は、いくつあってもいい。

もちろん、言葉だけじゃなくてもそれは、景色とか場面でもいい。

私は言葉だと取り出しやすいから、いくつも集めてしまうだけで。


思うだけで、前が向けるような何かが、

あなたにもきっとあるでしょう。

ありますように。

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