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価値はなくても、せめて理由がないと生きてはいけないと思ってた

大学三年生、数年前から就職氷河期。
印刷するのと同じように大量に書いた履歴書の多くは、
きっと企業に届いたその日のうちにシュレッダー行き。
運よく面接まで行けてもテンプレにのせた「わたしの強み」なんて、
ニコニコして聞いていた人事の人はあくびを噛み殺していたに違いない。
だって、ほら。このざまだ。

就職が決まることが勝ちなら、私は負け続けていた。
ああ、一刻も早くスーツ脱ぎたい。
でも社会人になったらこれを着て週5で会社に通い続けるのか。
帰り道、絶望しながら慣れないヒールを引き摺る。

途中、母から電話があった。
本日の手応えを聞いて、今の時代は仕方ないわよ、と慰められる。
他人に自分の人格を否定され続けた気がしてたから、
時代のせいにしてくれるその言葉で少し楽になる。

「ゆとり世代は大変ね。競うことに慣れてないから、辛いよね」
「うん」

大変、なんだろう。そう言うなら。

でも私は、この時代しか知らない。

時は流れて世は令和。
とりあえず病院事務に勤めている三十歳手前。
まさか自分が生きている間に世界規模のパンデミックが起こるとは。

インターハイ。学園祭。修学旅行。
学生たちの、生活を彩るさまざまな行事が中止になっていく。
通勤中、道で固まりになって動いてた制服姿もまったく見ない。

今日は感染者が何万人だ。どこでクラスターが出た。
今年の夏は外出を自粛しましょう。
録画したニュース番組流してたっけ、というほど毎日同じ放送内容。

朝の支度をしながら夫が
「学生は、夏休みの思い出も作れないのか」とぼやく。
「ああ、かわいそうに」

と、私は言ってしまった。
すぐ、後悔した。

この子たちにとって、今の年齢で迎える夏は、今年だけ。
かわいそう、なんて、身勝手な言い方を。

「どんな大人になるんだろうね」

きっと私よりマシな大人になるよ、と言いかけてやめる。

私は、あの時代しか知らないから。

◇ ◇ ◇

私も“ゆとり”だから

noteを始めて最近、読書感想コンテストがあることを知った。
学生時代の課題にある読書感想文を思い出して、懐かしくなったから、
どれ、推薦図書を一冊読んでみることにした。

選んだ本は、朝井リョウさん著者『死にがいを求めて生きているの』。

正直なところ、朝井さんの本をたくさんは読んだことがなくて、
この本を選んだことは自分でも意外だったと思う。

朝井さんといえば、エッセイ『時をかけるゆとり』『風と共にゆとりぬ』
最近では新刊『そして誰もゆとらなくなった』。
三部作とも面白いと感想をSNSで見て気になっていた。(読んでないけど)

“ゆとり”ってことは同世代か。

保育園から学生時代に至っては、見渡す限りが同学年だったのに、
大人になると同学年に出会うことが極端に減る。
だから、同学年、同世代に大人になって出会うと、親近感がこう、
むくむくと込み上げて、それだけで距離がぐいっと縮む気がするのだ。

理由はそれだけだった。
小説を読むときに共感が得られると気持ちいい。
この著者が書く物語なら、私重なることが多いかも。
そう思って文庫本をいそいそとレジに持っていった。

読書中、こんな気持ちになるなんて、
知らずに。

危険の排除、説かれた道徳で生まれた反動

表題作は8作家が競作した「螺旋プロジェクト」のうちの一冊。
各時代を舞台に、人が「海族」と「山族」の2つに分かれ、対立する。
朝井さんが描いたのは平成の世。
山族の「堀北雄介」と海族の「南水智也」の幼少期から青年になるまで、
主に彼らに関わる登場人物視点に語られる物語。

物心ついたときから始まっていて、多感な10代、
働き盛りの20代を過ごした平成は、私の生きた時代だ。

だから、雄介と智也の過ごす時代背景が深く刺さった。
作中に書かれている彼らが小学生の頃、
運動会の危険性のある種目、テスト順位の貼り出し、
大人が消してゆく。子どもに決定権は与えられない。
ピッタリ一緒じゃないけれど、わかる。

私の小学校には大きなポプラの木があった。
幹がとても太かったけれど、高学年になればギリギリよじ登れる。
休憩時間に枝に腰掛け、校舎を眺めるのは楽しかったけど、
怪我人が出ると危ないからと廃止。

学期末に渡される通知表は「あゆみ」と呼ばれるものになった。
成績の評価は数字の5段階評価ではなく、
人に優しくできるだの元気よく挨拶できるだの
びっしり書かれているどこか曖昧な項目の横の、
「とても良い・良い・がんばりましょう」のどれかに教師が○をつけた。

そういうものだと思っていた。
別に我慢を強いられているわけじゃない。
危険は排除したほうがいい。
成績が良ければ人として優れているわけじゃない。
いつの間にか時間割に入っていた「道徳」の授業の中で、
しきりにそれを教えられた気がする。

くわえて、断片的な記憶としてよみがえってきたのは、
友人をあだ名で呼ぶことを良しとしなくなったことだ。

ある日、下校前に教師からプリントを配られた。
それには『○○さんの名前の由来は?』と書かれている。
担任の教師が説明する。
「来週までに親御さんに自分の名前の由来を聞いてきてね。
 今月末にある学校集会で発表します」

集会が始まって、各々が自らの名前の由来を順番に発表していく。
あてられた漢字の意味。祖父母からもらった一文字。込められた願い。
終えてから担任は言う。
「みなさん、親御さんあるいはおじいさん、おばあさん、周りの人、
 すてきな思いや歴史から名前は付けられていましたね。
 同じ名前でもひとりひとり違う、大切な個性です。
 遊び半分やふざけて名前をもじって呼ぶことは、
 せっかくの思いを踏みにじる行為です。
 おともだちを呼ぶときは、嫌な気持ちにならない呼び方をしましょう」

個性。
今聞くと、笑ってしまうかもしれない。
いや、当時もしらけた顔で私は聞いていただろう。
あの頃、集会にいた大多数の子どもが、
担任が諭す言葉がいかに無駄かわかっていた。

見た目を揶揄するあだ名なんて、大人がいないところで言い続ける。
危ないことだって見えないところでやる。

抑制されたわけじゃなくて、最初からなかったとしても、
私たちの有り余った体力は攻撃性を増した。

集団になると発言する子、周囲を巻き込む子が目立つけれど、
言わないからおとなしいわけじゃない。
合わせているほうが楽だから。流されているほうが早く済むから。

安全に守られた檻の中で競うことを奪われたら、
退屈から、何か面白そうなことをさがして、
誰か見つけたら急いでその波にのる。
ひとりだけはずれないように平気な顔して必死で泳ぐ。
待って。みんな、まって。
こせいって、なに。

より「オンリーワン」を目指せ

同じ制服を着て、同じ教科書を開いても、
少しずつ周りとの違いを意識し始めた時期。
突如、いや兼ねてから平成の風潮としてそれはあったが、
私の肌身をぎりぎりと削ったのは、高校時代からだった。

大学入試の面接練習の時に、副担任から「もっと個性をだせ」と言われた。
強く言われたわけではない。言い方は、むしろ優しい。
でも、私はその日言葉を忘れた。

流行った歌にあった歌詞。
“ナンバーワンにならなくてもいい もともと特別なオンリーワン”

いい。すごくいい。
ナンバーワンになれない私の肩を優しく抱いてくれるような歌詞。
でも流れるテロップをみると何にでもなれそうな強大な魔力を感じるのに、
曲が終わってしばらくすると、自分の中身の無さを寒いほど痛感する。

本を読むのが好きだった。私より読む人は何千何万いる。
好きな歌手がいた。私よりその歌手に詳しい人がいる。
仲が良い子がいた。私以外の子の方が仲良いい気がする。

親しい人に「そのままでいいよ」と言われて安堵しながらも、
そのままの自分は何にも特出していないつまらない存在なのに、
この人は私の何を見てそんなこと言っているんだ、と
相手に悟られぬよう冷めた笑みを浮かべながら、自分を責める。

今なら言えるかもしれない。じゃあ教えてくれ。私には何がある。
しかし、何かを言われたところで、
他人から見える自分と、自分の知る自分には大きく差異がある。
ゆえに他人から長所を言われても、当時の私は受け入れる姿勢はなかった。
自分で、自分の良い個性を見つけなければいけない。

他人より優れているもの。
他人を寄せ付けない、強い意志のあるもの。

全員で浸かっていたぬるま湯はもう冷めきっているのに、
私だけ、まだ、まだ、抜け出せないでいる。

価値。
私に価値がないなら、せめて理由を。
生きていてもいい、存在意義。

生きがい。

「死にがい、なんじゃないの」
死にがいを求めて生きているの/朝井リョウ

物語の後半、雄介と智也が言い合うシーンの中、
智也が言う。

ずっと読んでいる中で、雄介の乱暴なものの言い方や、
すぐ何かに影響される様子や、その癖不器用なところが、
「こういうヤツ、クラスとか学年に一人はいたな」と
少々の嫌悪感を抱いていた。
でも、登場人物のひとりである前田と同じように、
なぜか雄介から目が離せない。

それが、なぜかわかった。

私の中に、雄介の要素があるから、気になるんだ。

すべてじゃないけど、絶対にいる。
生きがいを感じたくてしがみつける何かを探し続けている。
その似た部分を雄介があまりに露呈すると気持ち悪くて、
だから、嫌いだった。

私は生きている間、何かしらに命を注ぎ、
他人からすごいねと言われないといけないと思っていた。

どんな小さなことでも、私、と認識されることで。

死んだあとも、こんな人だったねって、
言われないと生きた証を残せないと、思ってたんだ。

根づいていた“ゆとり”のせいにしていた劣等感

文庫についていた特別付録の著者インタビューと解説を熟読して、
本を閉じたときは私は仕事の休憩中だった。
半ば放心状態で、でも仕事に戻らないといけないから
そっと現実を呼び続けた。

でも、本当に呼んでいたのは、
大学受験で面接に落ちて近辺の私大に行くことなった私。
就活から逃げたくてとりあえず内定をもらった会社に就職した私。
慣れない環境と始まったばかりの仕事に何をしたいかを見失い、
自暴自棄に一人暮らしの部屋で暗い本を読み漁る私。
こんなに辛いことが生きることなのかと思っている、私を呼んだ。

本は、いや本だけじゃないけれど、
創作は時として、人の過去でさえも救う。

この本を通して、平成、“ゆとり”に生きた世代の、
何かにならなければいけないという思いを、
何にもなれないと決めつけていた自分を、
許された気がする。

「ありのままでいいんだよ」「生きているだけでいいよ」
それ言われるの辛いよね。
自分の良さを自分で決めるなんて、果てしないよね。
生きる理由があった方が、本当は楽だよね。
と、言ってくれている。

字面だけでは「は?贅沢病?」と見えてしまうだろう。
でも、私たちが抱えていた言いようのない、
これまで表に出せていなかった感情を、
時代の闇を紐解くように
この物語が明らかにしてくれている。

でも、じゃあどうすればいいのか、それを書いているわけじゃない。
それでも、強烈に過去に光は差した。

これもまた、「これまでの自分を誰かに認めてほしかった」という、
自己肯定感の低さからくる欲求かもしれないが。

さまざまな感情が押し寄せては引きながら、
誰にでもできる仕事をしに、私は休憩室を後にした。

その時代を照らす物語

本を読み終えてから、二週間くらい経っただろうか。

過去の自分を呼ぶ中で、思い出した一文がある。
中学生の頃に読んで今に至っても、最も推す少女漫画の主人公の言葉だ。

例えば人の素敵というものがオニギリの梅ぼしのようなものだとしたら、
その梅ぼしは背中についているかもしれません…
世界中の誰の背中にも 色々な形 色々な色や味の梅ぼしがついていてでも背中についているせいでせっかくの梅干しが見えないだけかもしれません。
『自分には何もない。真っ白なお米だけ』
そんなことないのに 背中には ちゃんと梅干しがついているのに…
誰かを羨ましいと思うのは 他人の梅干しなら
よく見えるからかもしれませんね。
フルーツバスケット/高屋奈月

あの頃もいいこと言うな、と思ったはずだ。感性に刺さった。
でも、大人になってから噛み締める。
当たり前のことなのに、そんなことも見失うほど余裕がなかった。
隣の芝生は青いどころか茂りに茂り、自分は荒地にしか見えなかった。

でも、もういい。ただ心地よく畑を耕せばいい。
泣けば濡れて、種が育つだろう。花が咲けば、もうけもん。
もし人が通れば「頑張ってますね」と言ってくれるかもしれない。
「そちらはどうですか」なんて挨拶して、互いの芝生を見て、
もっとこうしたらどうかと話し合えばいい。

背負うものも、好きなものも、得意なものはぴったり同じはない。
だけど、同じでも、似ていてもいい。

そう言い聞かせながら文章を書いてみたりしていると、
私は昔より、何かになりたい気持ちが薄れていることに気づく。
なんか楽しいからしてる。
でもSNSを活用して投稿している時点で誰かに見てほしいからで、
やっぱり何かになりたい気持ちは払拭しきれてないのかな、とかも思う。
でも、もう何でもいいのだ。
そんな人がいても私は否定したことはないから、
自分を否定するのもやめる。

同年代を「こんな特性の人間が多い」とまとめてしまうのは、
このご時世どうなんだと思うこともある。
けれど、世の中に起こった事象、政策に伴って、
その時代に生きる人間に必ず何かしら影響を及ぼす。
すでに令和に起こった数々の出来事。
何も感じないで生きている人なんていない。

ただ、どんなことも、結果が出ないと評価はできない。
平成が始まったばかりの頃、それがどんな時代だと語ることはできなかった。

今も、そうだ。
後に、どんな時代だったと語り継がれるのだろう。

どんな気持ちで、何を抱えて生きているの、令和の真ん中で生きる君たち。

きっと計り知れないものが、そこにあると思う。

勝手にbacknumberの水平線という曲を聴いて、
切なくなっている私を許してほしい。

どうか未来に、君たちが救われる物語が
歩いた道に寄り添ってくれる光が
私にとってこの本のような存在が

どうかあらわれますように。

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