光村図書出版・6年国語「海の命」に込められたメッセージをみる
光村図書出版 6年国語『創造』に収録してある「海の命」の全文です。
その後、「海の命」についての考えを述べていきます。
1.全文
2.分析
3.考察
1.全文
---------------------------
父もその父も、その先ずっと顔も知らない父親たちが住んでいた海に、太一もまた住んでいた。季節や時間の流れとともに変わる海のどんな表情でも、太一は好きだった。
「ぼくは漁師になる。おとうといっしょに海に出るんだ。」
子供のころから、太一はこう言ってはばからなかった。
父はもぐり漁師だった。潮の流れが速くて、だれにももぐれない瀬に、たった一人でもぐっては、岩かげにひそむクエをついてきた。ニメートルもある大物をしとめても、父はじまんすることもなく言うのだった。
「海のめぐみだからなあ。」
不漁の日が十日間続いても、父は何も変わらなかった。
ある日父は、夕方になっても帰らなかった。空っぽの父の船が瀬で見つかり、仲間の漁師が引き潮を待ってもぐってみると、父はロープを体に巻いたまま、水中でこときれていた。ロープのもうー方の先には、光る緑色の目をしたクエがいたという。父のもりを体につきさした瀬の主は、何人がかりで引こうと全く動かない。まるで岩のような魚だ。結局ロープを切るしか方法はなかったのだった。
中学校を卒業する年の夏、太一は与吉じいさにでしにしてくれるようたのみに行った。与吉じいさは、太一の父が死んだ瀬に、毎日一本づりに行っている漁師だった。
「わしも年じゃ。ずいぶん魚をとってきたが、もう魚を海に自然に遊ばせてやりたくなっとる。」
「年をとったのなら、ぼくをつえの代わりに使ってくれ。」
こうして太一は、無理やり与吉じいさのでしになったのだ。
与吉じいさは瀬に着くや、小イワシをづリ針にかけて水に投げる。それから、ゆっくりと糸をたぐっていくと、ぬれた金色の光をはね返して、五十センチもあるタイが上がってきた。バタバタ、バタバタと、タイが暴れて尾で甲板を打つ音が、船全体を共鳴させている。太一は、なかなかつリ糸をにぎらせてもらえなかった。つリ針にえさを付け、上がってきた魚からつリ針を外す仕事ばかりだ。
つリをしながら、与吉じいさは独り言のように語ってくれた。
「千びきにーぴきでいいんだ。千びきいるうちーぴきをつれば、ずっとこの海で生きていけるよ。」
与吉じいさは、毎日タイを二十ぴきとると、もう道具を片づけた。季節によって、タイがイサキになったリブリになったりした。でしになって何年もたったある朝、いつものように同じ瀬に漁に出た太一に向かって、与吉じいさはふっと声をもらした。そのころには、与吉じいさは船に乗ってこそきたが、作業はほとんど太一がやるようになっていた。
「自分では気づかないだろうが、おまえは村一番の漁師だよ。太一、ここはおまえの海だ。」
船に乗らなくなった与吉じいさの家に、太一は漁から帰ると、毎日魚を届けに行った。真夏のある日、与吉じいさは暑いのに、毛布をのどまでかけてねむっていた。太一はすべてをさとった。
「海に帰リましたか。与吉じいさ、心から感謝しております。おかげ様でぼくも海で生きられます。」
悲しみがふき上がってきたが、今の太一は自然な気持ちで、顔の前に両手を合わせることができた。父がそうであったように、与吉じいさも海に帰っていったのだ。
ある日、母はこんなふうに言うのだった。
「おまえが、おとうの死んだ瀬にもぐると、いつ言いだすかと思うと、わたしはおそろしくて夜もねむれないよ。おまえの心の中が見えるようで。」
太一は、あらしさえもはね返す屈強な若者になっていたのだ。太一は、そのたくましい背中に、母の悲しみさえも背負おうとしていたのである。
母が毎日見ている海は、いつしか太一にとっては自由な世界になっていた。いつもの一本づりで二十ぴきのイサキを早々ととった太一は、父が死んだ辺りの瀬に船を進めた。いかりを下ろし、海に飛びこんだ。はだに水の感触がここちよい。海中に棒になって差しこんだ光が、波の動きにつれ、かがやきながら交差する。耳には何も聞こえなかったが、太一は壮大な音楽を聞いているような気分になった。とうとう、父の海にやって来たのだ。
太一が瀬にもぐリ続けて、ほぼ一年が過ぎた。父を最後にもぐリ漁師がいなくなったので、アワビもサザエもウニもたくさんいた。激しい潮の流れに守られるようにして生きている、二十キロぐらいのクエも見かけた。だが、太一は興味を持てなかった。
追い求めているうちに、ふいに夢は実現するものだ。太一は海草のゆれる穴のおくに、青い宝石の目を見た。海底の砂にもりをさして場所を見失わないようにしてから、太一は銀色にゆれる水面にうかんでいった。息を吸ってもどると、同じ所に同じ青い目がある。ひとみは黒い真じゅのようだった。刃物のような歯が並んだ灰色のくちびるは、ふくらんでいて大きい。魚がえらを動かすたび、水が動くのが分かった。岩そのものが魚のようだった。全体は見えないのだが、百五十キロはゆうにこえているだろう。
興奮していながら、太一は冷静だった。これが自分の追い求めてきたまぼろしの魚、村一番のもぐリ漁師だった父を破った瀬の主なのかもしれない。太一は鼻づらに向かってもりをつき出すのだが、クエは動こうとはしない。そうしたままで時間が過ぎた。太一は、永遠にここにいられるような気さえした。しかし、息が苦しくなって、またうかんでいく。もうー度もどってきても、瀬の主は全く動こうとはせずに太一を見ていた。
おだやかな目だった。この大魚は自分に殺されたがっているのだと、太一は思ったほどだった。これまで数限りなく魚を殺してきたのだが、こんな感情になったのは初めてだ。この魚をとらなければ、本当の一人前の漁師にはなれないのだと、太一は泣きそうになりながら思う。水の中で太一はふっとほほえみ、ロから銀のあぶくを出した。もりの刃先を足の方にどけ、クエに向かってもうー度えがおを作った。
「おとう、ここにおられたのですか。また会いに来ますから。」
こう思うことによって、太一は瀬の主を殺さないですんだのだ。大魚はこの海の命だと思えた。
やがて太一は村のむすめと結こんし、子供を四人育てた。男と女と二人ずつで、みんな元気でやさしい子供たちだった。母はおだやかで満ち足りた、美しいおばあさんになった。
太一は村一番の漁師であり続けた。千びきにーぴきしかとらないのだから、海のいのちは全く変わらない。
巨大なクエを岩の穴で見かけたのにもりを打たなかったことは、もちろん太一は生がいだれにも話さなかった。
----------------------------------
2.分析
復讐譚という定形のスキームに当てはめることのできない作品です。
非常に難解の物語です。
登場人物…太一、父、与吉じいさ、母、クエ
主人公・・・太一
クエがはっきりと出てくるのは、後半です。
もし、授業する際、子どもたちにメッセージを伝えるとしたら、何が思い浮かぶでしょうか。
◯会話文
会話文だけ抜き出してみます。
----------------------------
太一「ぼくは漁師になる。おとうといっしょに海に出るんだ。」
----------------------------
父「海のめぐみだからなあ。」
----------------------------
与吉「わしも年じゃ。ずいぶん魚をとってきたが、もう魚を海に自然に遊ばせてやりたくなっとる。」
太一「年をとったのなら、ぼくをつえの代わりに使ってくれ。」
----------------------------
与吉「千びきにーぴきでいいんだ。千びきいるうちーぴきをつれば、ずっとこの海で生きていけるよ。」
------------------------------
与吉「自分では気づかないだろうが、おまえは村一番の漁師だよ。太一、ここはおまえの海だ。」
------------------------------
太一「海に帰リましたか。与吉じいさ、心から感謝しております。おかげ様でぼくも海で生きられます。」
--------------------------------
母「おまえが、おとうの死んだ瀬にもぐると、いつ言いだすかと思うと、わたしはおそろしくて夜もねむれないよ。おまえの心の中が見えるようで。」
---------------------------------
太一「おとう、ここにおられたのですか。また会いに来ますから。」
---------------------------------
会話文は文脈の流れの中での一言であることが多く、登場人物の人物像を十分にうかがい知ることは難しい。
◯描写表現
次に、描写表現を拾ってみます。
・ある日父は、夕方になっても帰らなかった。空っぽの父の船が瀬で見つかり、仲間の漁師が引き潮を待ってもぐってみると、父はロープを体に巻いたまま、水中でこときれていた。
・ロープのもうー方の先には、光る緑色の目をしたクエがいたという。父のもりを体につきさした瀬の主は、何人がかりで引こうと全く動かない。まるで岩のような魚だ。結局ロープを切るしか方法はなかったのだった。
・与吉じいさは瀬に着くや、小イワシをづリ針にかけて水に投げる。それから、ゆっくりと糸をたぐっていくと、ぬれた金色の光をはね返して、五十センチもあるタイが上がってきた。バタバタ、バタバタと、タイが暴れて尾で甲板を打つ音が、船全体を共鳴させている。
・与吉じいさは、毎日タイを二十ぴきとると、もう道具を片づけた。
・船に乗らなくなった与吉じいさの家に、太一は漁から帰ると、毎日魚を届けに行った。真夏のある日、与吉じいさは暑いのに、毛布をのどまでかけてねむっていた。太一はすべてをさとった。
・母が毎日見ている海は、いつしか太一にとっては自由な世界になっていた。いつもの一本づりで二十ぴきのイサキを早々ととった太一は、父が死んだ辺りの瀬に船を進めた。いかりを下ろし、海に飛びこんだ。はだに水の感触がここちよい。海中に棒になって差しこんだ光が、波の動きにつれ、かがやきながら交差する。
・刃物のような歯が並んだ灰色のくちびるは、ふくらんでいて大きい。魚がえらを動かすたび、水が動くのが分かった。(岩そのものが魚のようだった。全体は見えないのだが、百五十キロはゆうにこえているだろう。)
・太一は鼻づらに向かってもりをつき出すのだが、クエは動こうとはしない。そうしたままで時間が過ぎた。
・しかし、息が苦しくなって、またうかんでいく。もうー度もどってきても、瀬の主は全く動こうとはせずに太一を見ていた。
(おだやかな目だった。この大魚は自分に殺されたがっているのだと、太一は思ったほどだった。これまで数限りなく魚を殺してきたのだが、こんな感情になったのは初めてだ。この魚をとらなければ、本当の一人前の漁師にはなれないのだと、太一は泣きそうになりながら思う。)水の中で太一はふっとほほえみ、ロから銀のあぶくを出した。もりの刃先を足の方にどけ、クエに向かってもうー度えがおを作った。
描写表現には情景表現と心情表現があります。
「海の命」という作品は情景表現は少ない。
( )内は視点を太一に近づけた表現であるので、全知視点の描写表現ではないと捉えます。
-----------------------------
ここまでを整理すると、次のことが言えると考えます。
(1)父・与吉・太一が海に還ったということ
・父は(おそらく)クエに殺されたということ。
以下の文章から殺されたと思われると推測できます。
ある日父は、夕方になっても帰らなかった。空っぽの父の船が瀬で見つかり、仲間の漁師が引き潮を待ってもぐってみると、父はロープを体に巻いたまま、水中でこときれていた。ロープのもうー方の先には、光る緑色の目をしたクエがいたという。父のもりを体につきさした瀬の主は、何人がかりで引こうと全く動かない。まるで岩のような魚だ。結局ロープを切るしか方法はなかったのだった。
・与吉は床の上で海に還ったということ。
以下の文章から海に還ったと思われると推測できます。
船に乗らなくなった与吉じいさの家に、太一は漁から帰ると、毎日魚を届けに行った。真夏のある日、与吉じいさは暑いのに、毛布をのどまでかけてねむっていた。太一はすべてをさとった。
「海に帰リましたか。与吉じいさ、心から感謝しております。おかげ様でぼくも海で生きられます。」
・太一はクエと対面し、クエから海の命を感じ、海に還ったということ。
以下の文章から海に還ったと思われると推測できます。
水の中で太一はふっとほほえみ、ロから銀のあぶくを出した。もりの刃先を足の方にどけ、クエに向かってもうー度えがおを作った。
「おとう、ここにおられたのですか。また会いに来ますから。」
こう思うことによって、太一は瀬の主を殺さないですんだのだ。大魚はこの海の命だと思えた。
3.考察
3人の海への関わり方は似ているところもあるし、違うところもあります。与吉は海ではなく、床の上で亡くなっていることから、海に還っていないと捉えることもできるでしょう。しかし、太一は「海に帰りましたか。」と声をかけています。悲しむのではなく、感謝の気持ちを伝えています。
その後、太一はクエと対面します。憎い存在のクエの目を見て、おだやかな目だと感じ、水の中でふっとほほえみ、クエに向かって笑顔を作る。
なぜ、笑顔を作れる?
直前に以下の文があります。
・この魚をとらなければ、本当の一人前の漁師にはなれないのだと、太一は泣きそうになりながら思う。
泣きそうになりながら、笑顔を作れる。
解釈は一つしかないのではないだろうか。
「受け入れる」
「諦観」
その後、以下のような文章が続く。
・やがて太一は村のむすめと結こんし、子供を四人育てた。男と女と二人ずつで、みんな元気でやさしい子供たちだった。母はおだやかで満ち足りた、美しいおばあさんになった。
太一は村一番の漁師であり続けた。千びきにーぴきしかとらないのだから、海のいのちは全く変わらない。
一人前≠村一番の漁師
クエに父が宿ったなどの解釈はできるかもしれない。
ただ、私はクエという自然に魂が宿るという神秘的な考えでは論理的に文章を読み解くことができないと考えます。
私の解釈は次のとおりです。
◯「村一番の漁師」という『生き方』
クエと初対面した太一。思いの外、おだやかな目をしていた。
クエは岩そのもののような魚でした。
クエとじっくりと向き合う時間…太一は父のこと、与吉のこと、母のことを想起していたのでしょう。
・刃物のような歯が並んだ灰色のくちびるは、ふくらんでいて大きい。魚がえらを動かすたび、水が動くのが分かった。岩そのものが魚のようだった。全体は見えないのだが、百五十キロはゆうにこえているだろう。
もりを突き刺してもおそらく刺さらないのは自覚していたのではないでしょうか。与吉の床の上で亡くなり、すべてをさとるほどの力のある人物であるからこそ、太一にとって父や与吉の存在は大きく、自覚も強いのだと思います。一方で、二十ぴきのイサキを採るだけで、必要以上の漁をすることはないという面も太一にはあります。父や与吉の教えが生きています。
「大切な人への思い」
「海との共存」
クエと実際に向き合って、2つの価値観が衝突していたのだと思います。
そして、
「村一番の漁師」と「一人前」という価値観の衝突。
一人前でなければ、村一番の漁師ではないとは思わなくなったのではないでしょうか。
・やがて太一は村のむすめと結こんし、子供を四人育てた。男と女と二人ずつで、みんな元気でやさしい子供たちだった。母はおだやかで満ち足りた、美しいおばあさんになった。
太一は村一番の漁師であり続けた。千びきにーぴきしかとらないのだから、海のいのちは全く変わらない。
「大切」
父も与吉も母も
クエも
大切と思ったからこそ、
「一人前」ではなく、「村一番の漁師」として、千びきに一ぴきしかとらない「漁師」であり続けたいと
『生き方』を決めたのではないでしょうか。
読者には先人たちが残してくれたものを大切にしつつ、冷静に考え、自分の内なる声を聞いて、『生き方』を決めていってほしいという願いがこめられていると考えました。
特に、他人の意見に流されやすい子どもに向けて私は授業をしたいです。