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こんにちは🌱 前回の文章、読んでくださりありがとうございました。 感想がとても嬉しかったです。 あのあと、瞑想によってほかにどんなことが変わっただろうかと考えたら、娘(みぃちゃん)の眠りが変わったことを思い出しました。
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「瞑想をする者は、闇の中に生きる 瞑想をしない者は、盲目のままに生きる 私たちにあるのは黒の選択のみである」 ヴィクトール・ユーゴは19世紀に生きた作家。私はフランスの大学にいた頃に、課題図書でよく彼の作品を読んでいました。 でも、彼が瞑想をしていたのは知らなかった。 瞑想について、私の持つイメージはちょっと違うのだけれど、それでもこのフレーズの持つ強いメッセージは伝わってきます。 わからないことだらけのこの世界で、瞑想は、うつくしい光を思い出してその糸を辿っていくた
生きているとほんとうにいろんなことがあるなぁ…と思います。 「静」と「動」のバランスの大切さを感じてから生活が落ち着いてきたな〜🌲と思っていたら、ある日心を揺さぶることを言われたり。 そういうとき、ざぶんざぶんと波が大きくなるのを見つめ続けるのか、荒ぶってみるのか、それとも波にあえて乗りつつ気持ちのいい場所を探すのか…。どれもOKで、どれもどこかへたどり着きます。 昨夜は不安な気持ちを抱えたまま、いつもの瞑想会に(LINE通話で参加者はマイクも画面もオフ🌕)。瞑想の声を
おはようございます😌☕️ みなさんは、瞑想ってしたことがありますか? もしかしたら、日常的にしている方もいらっしゃるかもしれません。 私は数年前に習ってから、ときどき瞑想がしたくていてもたってもいられなくなるようになりました。疲れていたり、なにかヒントがほしいときです。 でも、瞑想は、ずいぶんと日々のなかにも入り込んできた感じがします。知らずのうちに瞑想状態に入っていた…ということもよくあり、それは絵を描いているときだったり、お皿を洗っているときだったりとほんとに何気な
⭐︎ 2017年、秋の京都を訪れた。 駅を降り、四条の方へ歩いていると、ひとつのフレーズが目に飛び込んできた。 「いま、いのちがあなたを生きている」 と、日本語訳がついている。 よく見ると、それは東本願寺の看板だった。 歩いても歩いても何度でも目に入るように、間隔を空けて何枚も同じものが設置されている。 いま、いのちが わたし を生きている。 わかりそうで、完全にはわかりきれない文の目的語を少し変えて呟きながら、かつて住みたくてたまらなかった街を歩いた。私はこの街に
3年前、私のおなかにやってきたまぁくん。 その頃、私は日常的に瞑想をするようになっていて、ラピスラズリみたいな澄んだ青の光が見えていた。かわいい魂のひかりだとわかった。 嬉しくて、不安で、まぁくんがきてくれたことが奇跡みたいで、でもあたりまえのようにも感じて、心の海がざぶんざぶんと揺れた。 妊娠がわかってすぐに描いたこの絵。 カモワン・タロットを少しかじっていたから、これが描けた瞬間、胸がざわっとした。