前世からの憂鬱
「もし選べるならば、男性女性、どちらになりたいか」
かなり答え辛い難問でしょうが、私ならこう即答します。
「女性。
男性は絶対に無理です。なぜってネクタイを締めなければならないから」
そんな理由で?と目を見開かれても、私には切実な問題です。
いくら世の中のカジュアル化が進み、昔ほど“きちんとした服装”が求められないにしても、それなりの場でスーツとネクタイが必須なことは言わずもがなです。
もしも私が男性になり、何かの間違いで手堅い職業に就いたとして、就業中のネクタイ着用を義務付けられたら、すぐさまそこから出奔します。
糊のきいたシャツのボタンを襟元まで留め、更に細長い布で首元を締め上げられるという状態に、とても耐えられそうにないからです。
こうして想像しながら書いただけで、思わず首元に手をやり、幻想のネクタイをゆるめたい気分です。
私は輪廻転生を当たり前に信じていますし、前世もおそらく人間であっただろうと考えますが、気がかりなのは、死に際があまり穏やかでなかったのでは、ということです。
それも首に関わりのある亡くなり方、たとえば首を締められるとか、首吊り、断頭台での最期など不吉な事象が想像されます。
そんな"前世からの因縁説"を採用せずにはいられないほど、物心ついた頃から、首に何かが触れる、巻き付くという感覚が極度に苦手なのです。
タートルネックはもちろんのこと、首の詰まった洋服は一着も持っていませんし、襟付きのシャツのボタンも必ず二つは外します。
寒いのが大の苦手の割に、マフラーやストールはごく緩くでなければ身につけられず、それはシルクやパシュミナといった肌触りの良い高級品でも変わりません。
さらに自分の中にある"同調性スイッチ"を切らなければ、他の人を介しても強い不快感が湧き上がってくるから厄介です。
そうなると首にぴったりとしたチョーカーをつけた人を前にするだけで苦しいような気がしてきますし、スタンドカラーのワンピースをまとった人、ボトルネックのセーターを着た人にもそわそわします。
ひどい場合は対面の必要すらなく、最も顕著な例は、ウォン・カーウァイの映画『花様年華』でしょうか。
私の大好きな作品で、独特の映像美と詩的な舞台立てにより、交わらないもどかしい愛を描いた名作です。
物語の世界観に合致した衣装がまた素晴らしく、1960年代後半の香港が舞台のため、マギー・チャン演じるチャウ夫人は常に旗袍(チャイナドレス)を纏い、全篇で計26着もの異なったデザインを見せてくれます。
凝った刺繍と取り取りの色彩、洒落た模様に彩られたそれらをほっそりとした身体つきのマギー・チャンが身につけると、まさに洗練と優雅の極みですが、問題なのは、観るうちに首周りに息苦しさを覚え始めることです。
なぜならそれらの美しい旗袍すべてが"花様年華スタイル"と称される独特の高い立領であり、首筋を豪奢なネックレスのようにぴったりと覆っているからです。
チャン夫人が完璧に仕立てられたタイトな旗袍の裾を揺らめかせ、華奢なハイヒールで路地やホテルの長い廊下を歩む姿は息を飲むほど蠱惑的ながら、それを正視するのが辛いという複雑さ。
当時の香港では洋装よりも旗袍スタイルが一般的であったらしく、もし私がこの時代の香港に生まれていたら、かなり厳しい状態に陥ったに違いありません。
なぜこれほど首周りが気にかかるのか、あらためて調べてみると、これが決して珍しい症状でなく、病院でそれらしい名前までつくのに驚きました。
「咽喉頭異常感症」というのがそれで、喉や気管支の異常、ストレスなどの心理的要因、更年期障害、甲状腺疾患など様々な原因があるらしく、私の場合なら当てはまりそうなのは一番目です。
しかもこの病に悩む人はことさら切実な人が多く、首元に布が触れただけで吐き気やパニックに襲われたり、社員証や入館カード、タオルも首に掛けられず、ネックレスも無理、ケープを巻かれると髪も切れず、掛け布団が首元に当たると眠れない、などの実例は日常生活での苦労が偲ばれます。
そうなると私は中途半端なわがまま者さながらで、どうにか解決策を見つけたいとは思うものの、残念ながら現段階で確固たる対処法は無いそうです。
この上は自分でささやかな工夫を凝らすほかなく、襟ぐりの開いた洋服を選び、ネックレスは長めにし、巻き物は避けるなど、地味な対策を行っています。
幸いにもというべきか、私が男性になってスーツにネクタイで働く日も、優美な旗袍で古の香港の街を漂う日も来ないでしょうから、強風に震えつつコートの首元を閉じては開きを繰り返すのは、まだ御の字と言えるのかもしれません。