ドラマ「舟を編む」を観て、映画を観て、またドラマを観る
お気に入り映画の一つである「舟を編む」。そのドラマ版の放送が始まると知り、楽しみにしていた。とはいえ、映画版「舟を編む」が好きだからこそ、ドラマ化への複雑な思いもあったりする。
だって、映画とは主人公も違うみたいだし、時代も変わっている。
それって、もはや別の作品ではないか。なんて。
そして今、2話まで視聴したところ、確かに映画とは違っている。
でも、その違うところが良い。
というか、このドラマ、かなり好きだ。
録画してあった1話を3回も観ている。
ということで、今回はドラマ「舟を編む~私、辞書をつくります~」について、映画や原作との違いなどを交えての感想を。
映画「舟を編む」(2013公開)を初めて観たのはいつだろう。確か、日本アカデミー賞でたくさんの賞を受賞していたことを覚えていて、その後に配信で観たのだと思う。辞書作りという地味なテーマであるのにも関わらず、とても心を動かされる内容で、その映像や音楽も美しかった。そして、主演の松田龍平さんをはじめとするキャスト、みんな魅力的だ。
期間限定で3月1日(金)より上映。劇場で観られるチャンス。
原作は、三浦しをんさんの同名小説。
実は原作を読んだことがなかったが、ドラマ視聴をきっかけに原作も読んでみたくなり、いま読んでいるところ。
アニメ版もあり、長男に薦めたことがある。
※以下、ネタバレあります。
まず、映画と大きく違っているところ。主人公を変えている。
映画では、主人公の馬締光也が辞書編集部に配属されるところから始まり、恋愛や人とのつながりを通して彼が成長していく物語にもなっている。今回のドラマで主人公となる岸辺みどりは、映画では後半からしか出てこないし、彼女の人生についてはほとんど描かれていない。
ドラマでは、主人公である岸辺みどり(池田エライザ)の人物背景が細かく描かれている。読モ出身でファッション誌編集部員であった彼女は、異動初日の辞書編集部で「言葉と説明だけですよね、辞書なんて」と言う。今どきの若者でもあり、まだ辞書編集の奥深さを知らない。そんな彼女が言葉の魅力に気づいていく過程を、私たち視聴者も一緒に体験するような感覚になる。個性が強い馬締ではなく、みどりを主人公にしたことで、より共感しやすくなっている。
みどりは、これまで無意識に使用していた「なんて」という言葉を辞書でひいてみたとき、愕然とする。
「なんて」には軽視する意味が含まれていた。
私なんて。
朝食を食べる時間なんてない。
後にして、カメラなんて。
自分が無意識のうちに周りの人間を傷つけていたかもしれない。
そんなことに気づく彼女を見て、私も自分の過去を振り返ってみたりする。
ドラマが進む中で、なぜかみどりに感情移入し、涙まで出ている。
「なんて」を辞書でひいてみてください
と、みどりに助言したのは、「大渡海」の発起人であり日本語学者の松本先生(柴田恭兵)だ。そして、こんな言葉もかけていた。
辞書はあなたを誉めもしませんが、決して責めたりもしません。安心して開いてみてください。
松本先生を演じる柴田恭兵の声のトーン、話し方がとても優しくて落ち着く。そういえば、NHKで2017年に放送されていた「この声をきみに」というドラマで朗読教室の先生を演じていたのも柴田恭兵だった。松本先生と少し雰囲気が似ているような気がして、とても好きなドラマだったので、そんなことを思い出した。
さらに、松本先生はこんなことも言っている。
私自身も、ハッとさせられた。
言葉そのものに良いも悪いもない。その使い方によって、相手にどう伝わるのかが変わるのだ。相手に伝えたいことをしっかり伝えるために、私はちゃんと言葉を選べていたのだろうか。改めて言葉の大切さについて考えさせられたシーンだった。
それから、松本先生による新しい辞書の名前「大渡海」についての説明も良かった。小説では荒木さんと松本先生が馬締に向けて語っているが、ドラマでは松本先生がみどりに向けて話している。
この作品のタイトルにもなっている「舟を編む」という表現が、ここで登場する。
「舟を編む」というタイトルだけでは、どんな映画なのかわかりにくい。初めてこのタイトルを見たとき、まさか辞書作りの話だとは想像できなかった。でも、映画を観終わったときには、このタイトルがとてもしっくりきていたし、映画を観ている間も、辞書編集部の人たちと一緒に海を渡っているようなそんな感覚にもなる。
ドラマではサブタイトルに「私、辞書を作ります」とあるので、最初から辞書編集の話だということがわかってしまうけど。
「舟を編む」というタイトルも、この作品に惹かれる理由の一つなのだ。
「なんて」の話に戻ると、ドラマの第1話では、この言葉を軸にストーリーが展開している。でも、映画や原作には「なんて」という言葉についてのシーンはない。そう聞くと原作からずいぶんと変わってしまっているように思えるが、なぜかそう感じない。その中心にあるものはきっと同じだから。
第1話の最後に、みどりが自分なりの「右」を馬締に伝える。
「朝日を見ながら泣いたとき、あったかい風に吹かれて先に涙がかわくほうの頬っぺた。それが右です。なんて」
それを聞いた馬締さんが、こう言う。
「なんてすてきな右でしょう。」
こういう「なんて」もあったんだ。なんて優しい締め方なんでしょう。
ドラマで馬締を演じているのは、RADWIMPSの野田洋次郎だ。
こんなに演技が上手だったのかと驚いている。
松田龍平とはまた一味違う馬締。主人公ではないから、これくらいがきっといい。言葉を大切にしているという意味で、野田さん自身とも共通する部分があると、あさイチで言っていた気がする。
それから、原作には登場しない学生バイトの天童くん。第1話でやたらと舌打ちをする、こちらもクセのある役を前田旺志郎くんが上手く演じている。
ドラマの1話を観たら、映画を観たくなったのでHuluで視聴した。やっぱりこちらも心に沁みる。そして、その後またドラマ1話を観たくなった。
キャストもストーリー展開も違うのに、真ん中のところは同じような気がした。
長くなってしまったので、1話についてだけしか書けてないけれど、2話の内容もとても良かった。
この作品に触れると、紙の辞書が欲しくなる。
AIに聞けば何でも簡単に教えてくれる時代だけど。
自分で辞書をひいてみたら、大海に浮かぶ小さな光も見つけられそう。