西瓜糖の日々 こんなの書きたいよ(文学とは)
少し前に、月と6ペンス 〜恋する惑星 という散文を書きました
その拙文に
タイトルのような コメントを頂いたのです
西瓜糖の日々、こんなの書きたいよ
え、西瓜糖の日々?
薄茶色の表紙の文庫本を 開いた事はあるのだが、
まだ 最後まで読めていなかった
いやいや、ボクの書いた月と6ペンス 〜恋する惑星は
今の19歳歳下彼氏との 馴れ初めを 淡々と 起こったことを
そのままに書いたようなもので
かの有名なブローティガンの
「 西瓜糖の日々 」は 褒めすぎだろう?
それに 確か そんな内容だったっけ?
嬉しさと戸惑いを感じたボクは
コメントをくださった きくちよKGさんの真意を探るべく、再び
西瓜糖の日々を読み始めたのである
ううむ
どこか この世とは違う 別の世界で起こったような詩的な物語
もしかして、まだ自分が深くこの小説を理解しきれていないという事も
多分には あるのだろうが
イマイチ、自分の書いたものとの類似性を見出せず
もう一度 きくちよさんに
このコメントをくださったことについて
お伺いしてみたのだ
すると、
もう一度読んだけど、やっぱり、西瓜糖だー。
ちょうちょがふわふわってきて、花たちに上から次つぎkissを振りまくように楽しげに舞ってるような、そんなところにいる気分。
という、又しても きゅんきゅんしてしまう
ありがたいお返事を頂く事が叶った
文学について
なんて自分でも大それた記事を書いてしまった、というのが
冒頭にリンクした 以前 書いたものである
言葉とは
読むものの意思があって
はじめて 意味をもつ
そこに 読み手の感受が なければ
言葉は 単なる文字の羅列に過ぎない
** *
ふうむ
現在のボクのフォロワーさんは 20人に満たない
ひとつの記事をあげても
きっと ちゃんと文章を読んでくれている方は
多くて10人といったところだろう
その事を卑下している訳ではない
むしろ、その数少ないフォロワーさんの中に
このように 真摯に ボクの拙い文章と向き合って下さる方がいらっしゃる
という事が 本当に嬉しいのだ
[ 読み手の感受 ]
書き手は それについては
もう 書いたものを 公開した時点で 読み手に委ねる事しかできない
もちろん、書いた以上は
どこかの誰かに 読んで欲しい、少しでも 何か伝わるものがあって欲しい
それが 正直な想いでもある
ちょうちょがふわふわってきて、花たちに上から次つぎkissを振りまくように楽しげに舞ってるような、そんなところにいる気分。
kissを振りまきたいのは、Junである
美しいブローチをキリリと胸に挿したように
頂いたコメントとは、書く者を 勇敢にさせてくれる
田辺聖子は
人は甘い関係を築くために生きる
なでなでしあうのが 望ましい
と、説く
惜しむでなく、互いをなでなでしあう
相手への リスペクトを、たとえばコメントとという形で
伝え合う
それは 知的な大人の遊戯であり
人生を 愛おしく芳醇に薫らせてくれる 季節ごとに咲く花のようなもの
あらためて
きくちよKGさん、
そして、ボクの記事を読んで下さっている皆さまへ
心からの感謝を
** *
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