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休み時間や放課後ではなく「授業時間」が楽しいこと
(この記事は2022年1月に投稿されたものを再投稿しています。)
先週の指南書2022年初号ではなんとなくネガティブというか夢も希望もないような(?)内容だったので、今週はポジティブなことをお話しますね。
私はフリーター(10年以上)とサラリーマンと現在の(ワンオペ)カフェオーナーといった3つの勤務形態をこれまでに経験してきています。
それらの中で現在のカフェオーナーが最も「楽しい」または「幸福な」仕事であることは断言出来ます。
その理由をこれから述べますね。
まず私がお店をやろうと思った動機付けをこれは各方面色んなところで散々述べている定型文でありますが、今一度お伝えします。
それは「人生は一度、だからもっと思い切って直接的に物事の全工程に関与し、全責任を負い、己の意志を貫き通して人生を終えたいなという思い」であります。
このくだりを読んだ人の中には「え?全工程?何から何まで全責任かぁ、やっぱりそれは嫌だなぁ、サラリーマンのほうが結局リスクが少ないしいいかな」と考える人もいるでしょう(特に大企業なんかにお勤めの方)。
もちろんそれはそれでよくて、それで結局「やめておこう」となった人も事前にリスク回避出来たという意味でもそれは英断だと思います。
ただ今回ここでは私の考えを述べます。
今からひとつの例え話をしますが、それは「学校生活」のことです。
学校生活の中には「授業、休み時間、部活動」があります。
この中で圧倒的に長い時間は勿論「授業」であります。
その授業は苦痛だけど休み時間や部活動が楽しくて、そのために学校行ってるという人もいるかもしれません。
放課後遊ぶために辛抱している、という人もいるでしょう(たぶん圧倒的多数)。
授業の中でも「体育は好きだけど数学が苦痛」等その内訳もあることでしょう。
はい、この「授業」という部分をそっくり「仕事」に置き換えてみましょう。
日々の生活の圧倒的長時間拘束されているのが「仕事」であります。
その仕事は苦痛だけど職場仲間とのランチや部活動(都市対抗野球等やラグビー等マジな活動)がやりたくて仕事に行っているという人もいるかもしれません。
退勤後の呑み会や休日のために辛抱している、という人もいるかもしれません。
仕事の中でも「事務作業は好きだけど営業外回りが苦痛」等その内訳もあることでしょう。
なんにせよ、この「勤務時間そのもの」にやりがいがあって楽しいのが良いに決まっていますよね。
私は小中学校時代は勉強も出来ず授業も苦痛で、放課後のために生きていました。
でも高校に入り、突然ガリ勉になったため授業を真剣に聴き始めました。
先生やクラスメイトからも「優等生扱い」され、授業中は苦痛ではありませんでした。
しかし、休み時間も帰宅後もひたすら勉強し続けていたため、さらに勉強そのものは好きなことではなかったため(笑)結局高校時代はそんなに良い思い出はありません。
授業を受けているという行為は「受け身」であり、知りたくてしょうがない事柄を聴くのであればまだしも何の役に立つかもわからないものであっても、しかも教え方が上手とはいえない先生の話を聴いているのはやはり楽しいものではありません。
サラリーマン時代に目を向けてみます。
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